私は日本語学科の部屋にいることがほとんどで、お茶を飲みたいと思うたびにそこへ出るのも面倒で、学科室に用意された小さなポットに給湯室でもらったお湯と、これは学科室に用意されているお茶の葉で飲むのですが。

(給湯室の写真がないのでチャイハーネのサモワールを代理に)
先日、サモワールからお湯をポットに移しながらしみじみサモワールを眺めていて気がつきました。
三つあるサモワールには、それぞれメーカーの名前かサモワールの名前かよく分かりませんが、名前のプレートがついています。
その一つ、「Forutan=謙譲」にちょっと微妙な気分になってしまいました。日本で、たとえばポットに「謙譲」という名前がついていたらどんなかなあと思ってしまったのです。
サモワールがへりくだってどうするんだろうと思いつつ、もう一つの「謙譲」を思い出してしまいました。
イランの人はナッツや乾燥果物、各種の種をよく食べますが、それらを売るハールヴァール・フォルーシーにまさしく「Tavazo’=謙譲」という店があるのです。
ナッツの質が良いとか、味付けが良いとかそういうことから、この店は非常に有名で、いつもお客でいっぱいです。そのため、「支店」を名乗る店も多く、本来の店には「当店には支店はありません」という張り紙がしてあるほどです。
日本へ一時帰国をするときなどは、私もここでおみやげを買うのですが、「今日、タヴァーゾへ行こうと思っているんだ」と言うのを、たとえば、ペルシア語を勉強し始めたばかりの外国人で、それがハールヴァール・フォルーシーの名前だと知らなければ、「私は、今日、謙譲へ行こうと思っています」という文章に翻訳するんだろうなあと思うと、なんだかおかしくなってしまったのでした。全く意味不明です。私自身がイランに来たばかりの頃にまさしくそうだったのですが。

もっとも、この「タヴァーゾ」はお値段の方は全く「謙譲」はしていなくてとても強気なのですが。
「謙譲」はイランにおいては大切な徳目の一つ。様々な場所でその重要性が語られています。「どう生きるのが良いのか」ということを分かりやすく描いたペルシア語の古典文学『ゴレスターン(薔薇園)』にもわざわざ「謙譲」という章が設けられているくらいです。
確かにイランの人たちは言葉ではとてもへりくだる人が多いのですが、態度や内容がをよくよく聞くとそうでもないことがあったりします。
もちろん卑屈にへりくだる必要はないとは思うのですが、実は自信満々に謙遜してみせるというのも一つの技だなあと、ちょっと感心してしまうところであったりするのです。相手に対して敬意を払うという基本は守りつつ、必要な主張はするというさじ加減が上手なのだろうなあと思うのですが、まねをするのはなかなか難しいのです。
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