何故「自主」なのかというと、イランの大学では新入生が全員揃っての入学式や、卒業生が全員揃っての卒業式が行われないからなのです。新入生として一人一人大学に登録にやってきて、卒業証明書をそれぞれ都合のつくときにもらって卒業していく。そんな感じなので、なんとなく締まりがないというかそんなところなのです。
革命前はアメリカのようにローブを着ての卒業式があったと聞いていますが、今はそういった「西欧かぶれ」のことを大学主催で行うことはありません。そこで、卒業する学生が学科単位でそれぞれに自主卒業式を行うのです。
先週、卒業(予定)生による自主卒業式があることを知らされたのですが、その時は「月曜日の午後」とのことでした。まだ最後の試験が終わってもいないのに卒業式って変な感じだなあとは思いましたが、せっかくのことなので出席のつもりで予定を開けていました。
ところが、土曜日の夜になって、「卒業式が日曜日の午後に変更になりました」との連絡が。
突然そんなことを言われても、その日その時間には既に別な予定が入っています。予定を動かせるかどうか検討はしたものの、それはかなり難しいという結論に至らざるを得ず、残念ながら卒業式は欠席となってしまいました。
そして月曜日に、「先生!どうして卒業式に来てくれなかったんですか!」と、当の四年生たちに責められることに。
「だって、仕方がないじゃないの。いきなり、前日の夜になって変更って言われても、もう別な予定があったんだから」
「大学が、月曜じゃなくて日曜にしろって言ってきたからこっちも仕方がなかったんです」
「あら、そうなの。大変だったわね。でも、まだ試験も終わっていないのに卒業式なんて、大丈夫なの?私は、あなたたちが最後の試験を落としたらどうなるんだろうって思うと、心配でならないのよ」
「先生!大丈夫です!先生が私たちに親切にしてくれれば」
「そうです、試験の点数を卒業プレゼントにしてください!」
「それは、あなたたち次第でしょ」
「先生〜〜〜」
まあ、そんなこんなで、前日に取り損ねた記念写真を撮って、無事、彼らとの今学期の最終授業が終わったのでした。
それにしても、本当に、もし試験に落ちたらどうするんだろうなあと、人ごとながらちょっと心配になってしまったのでした。
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私が住んでいるアパートはまだクーラーを入れる準備が整っていないのですが、町のあちこちでクーラー用品が大量に見られるようになり、冷房が入る夏ももうすぐそこという感じです。
そのクーラー用品というのがこれです。

木くずのパッキンのようなシートなのですが、これを見るようになると、「ああ、夏が近づいているんだなあ」という気分になるものです。
イランはカスピ海岸やペルシア湾岸などの湿度の高い地域を除くと、水冷式クーラーが一般的です。ここ数年は韓国製の日本でも見るようなエアコン(ガス式と呼ばれているらしい)が見られるようになってきていますが、まだまだ大きな箱状の水冷式クーラーが幅をきかせています。
このパッキンを水で浸すようにして、その後ろから送風をすると、ひんやりとした空気が送り出されるという次第。
クーラーを使う間ずっと湿った状態ですから、翌年には真っ黒に汚れたりするこのパッキンを新しいものに取り替え、送風モーターや水を通す管がちゃんとしているかどうかをチェックするのが夏前の大切な作業なのです。
テヘランは日本に比べるとずっと乾燥しているため、家の中にいて窓を開けていると風が入ってそれなりに涼しいので、私はよほどのことがないと冷房を入れないのですが、暑がりで寒がりのイランの多くの人たちは、夏になると寒さで体調を崩しそうになるくらいに冷房を入れっぱなしにするのでたまりません。まあ、水冷式クーラーの欠点の一つは温度調整がしにくいというところなので仕方がないのですが、良くこんな寒いところにいられるなあと感心してしまうこともしばしばです。
イランの人は極端から極端へと走ると言った研究者がいますが、冷暖房も極端から極端だよなあとちょっと思ってしまうのでした。
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先日、山歩きをしているときに初めてラーレ・バフシー(野生のチューリップ)を見ました。
あちこち歩き回っていますが、これを目にするのは実は初めてです。
イランが原産と言われているチューリップは、ペルシア語では「ラーレ」と言い、女性の名前にも使われます。
古典文学でも美女や美男の形容に使われ、特に血色の良い頬を「ラーレのような頬」と言っていたものでした。
私が見かけた野生のチューリップは、もう時期が過ぎていたため枯れかかりでしたが、それでも、「ああ、チューリップなんだなあ」というのは十分に分かる姿でした。
ただし、今の園芸品種のチューリップに比べるとずっと小柄で、せいぜい10〜15センチくらいの高さしかありませんし、花びらも細く小さなものでした。
一緒にいたイラン人の友人によると、赤の他に黄色のものもあるのだとか。
重い荷物を担いでの山歩きにぐったりしていたのですが、ちょっとうれしくて疲れも吹き飛んだ気分だったのでした。
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出かけてみたら調査対象が山の中にあることが判明。図らずも山歩きをすることに。

自動車で行けるぎりぎりまでは自動車で。
そこから先は約1時間の山歩きです。高度2千メートルを超える山の中を歩いたわけですが、春の空気がさわやかでしたし、一面の緑がとても気持ちの良い山歩きでした。
高原の春の花が咲く中には虫たちも飛び回っています。
その中でも目についたのがてんとうむし。ペルシア語ではキャフシュ・ドゥーザク(靴作り)と呼ばれるてんとうむしが花に群がり、飛び回りと、大活躍でした。イランでこんなに沢山のてんとうむしを見たのは初めてで、本当にびっくりでした。

キャフシュ・ドゥーザクがどうしてキャフシュ・ドゥーザクと呼ばれるのかはよく分からないのですが、絵本の中や昔話などではかならず靴屋というキャラクターで登場してきます。
緑に覆われた山を歩いていると、ここがイランだとは思えないくらいで、気分はアルプスを超えるトラップ一家という感じのする一日だったのでした。
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日本の報道では「政府系財団」となっているようですが、政府の意向を受けずにこういった行動を取れるはずがないので、あえて「政府が抗議」とさせていただきました。
話が少し変わりますが、ここしばらく、日本を強制送還になったイラン人一家の件について色々な方からコメントをいただいたり、意見を求められたりしました。
私自身は特に感想は持っていないのですが、逆に、どうして日本ではこの一家のことだけがそんなに大きなニュースになっているのかが不思議でなりませんでした。日本を強制送還になる外国人はイラン人に限らず沢山いますし、日本に長く住んでいた人たちもその中にはいたのではないでしょうか。その中で何故この一家だけがそんなに同情されなければならないのか、正直よく分かりませんでした。彼らに何か含むところがあるわけではなく、純粋に不思議だったのです。
もし私が、まだ自分の研究のために必用なのだから、といってビザが切れたままイランに不法滞在をして、なおかつアルバイトで生計を立てていたためにイラン当局に逮捕され、国外退去になったならどうなのだろう?「イランに生活の基盤があるのに」「日本に帰っても仕事もないのに」と同情してもらえるだろうか?と考えると、何となく違和感を感じたのです。恐らく、「法律を破ったのだから仕方ないでしょ」と言われて終わりじゃないのかなあと。
イランで次はちゃんとビザが出るのかなあと心配しながら暮らしている身ですので、ビザの問題は気に掛かります。かなり理不尽なことが多いのも身をもって体験しています。法の不備故に心ならずも不法滞在をさせられたこともあります。その一方で、法律がおかしいからと言って「守る必用がない」という言い方をしたら、際限なく社会がおかしなことになってしまうことも実感しています。
権利と義務の行使というのは難しいものだと、こんなときに思うのです。
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今日はシーア派初代イマーム・アリーの娘であり、第二代目イマーム・ハサン、第三代目イマーム・フサインの妹に当たるザイナブの誕生日です。
彼女はイスラーム・ヒジュラ暦5年のこの日(西暦626年10月2日)に、預言者の末娘ファーティマとその夫であるアリーの間に生まれました。
彼女についてはそれほど多くの逸話が残されているわけではありませんが、兄イマーム・フサインが殺された時に、夫と共に兄に従ってイラクへ向かっていたとされており、兄が殺された後、兄の正当性を堂々と主張し、その遺骸を引き取り葬ったとされています。
こうした逸話からでしょうか、彼女は母性のそしてまた看護師の象徴のように考えられています。そして、彼女の誕生日をイランでは、看護師・保健師の日としているのです。
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と書き出しておきながら、フットサルではなくてフットボールの方で昨日の大きなニュースは、ドイツのブンデス・リーガのハンブルグに所属していたマフダヴィーキヤーがチームを去ることになったというもの。
手元の新聞によると、在籍8年間で210試合に出場、ゴールは26とのこと。(それにしても、イランの新聞のこういう時の表って見にくいですね。合計を書いておいてくれないから自分で足し算をしなくてはいけないのはちょっと面倒くさい)
これからどうするのかは未定とのこと。家族のこともあるのでできたらドイツ国内のチームでプレーをしたいが、他の国でプレーすることにも魅力を感じているというようなことも。

彼には一度インタビューをしたことがあります。
カメラと共に近づいた私を見て「え〜〜〜、英語はできないよ〜〜」と逃げ腰だったのが、「あ、ペルシア語分かるの」とほっとしたような笑顔が印象的でした。突然のインタビューにも笑顔で丁寧に応えてくれて、いい人だなあと思ったことをよく覚えています。
希望通り、ヨーロッパでプレーを続けることができることを願っております。
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ストレスのない生活ってどんなものなのだろうと考えてはみたのですがよく分かりません。
まあ、もう一ヶ月もすれば授業も終わって夏休みがやってきますし、そうしたらゆっくりしようかなと思います。
久しぶりに遠出をして楽しんだはずだったのですが、ストレスというのはそんなに簡単に解消できるものではないのでしょうか。ちょっと不思議です。
その遠出ですが、ファールス州のヌール・アーバードというところで発見されたというアケメネス朝時代の第四宮殿跡を見に行こうというのが最大の目的でした。
オーストラリアのシドニー大学とイラン文化財保護庁の協力で行われた発掘現場を見たいね、と知人に頼んで文化財保護庁に問い合わせてもらったところ、「見たければどうぞ」ということだったのでほくほくと出かけたのでした。
普通、まだ報告書が出されていない発掘現場をそう簡単に見せてもらえるものではありません。それだけに喜び勇んで出かけてのですが、到着してみたら何と、「埋め戻しましたから、そこで良ければ案内しますよ」とのこと。やはり、うまい話というのはないものです。
それでも遺跡のあった場所は見せてもらいましたが。

今は麦などの畑が広がるだけの場所に、2500年前には宮殿があったのかと思うと、宮殿を忍ぶよすがはないものの、なんだかしんみりとしてしまったのでした。
その当時、パサルガダエ(ペルシア語ではパサルガード)とスーサ(同じくシューシュ)を一直線に結ぶ「王の道」の中継点として造られた宮殿だったとか。私たちを案内してくれた文化財保護庁職員の話を聞いていると、この宮殿の全容が分かるにはまだまだ時間がかかりそうです。

イランは革命前には海外の発掘隊が沢山入り、各地で調査が行われていました。革命でそれはストップしてしまい、その後も微妙な国際関係とも相まってなかなか海外との協力はうまくいかない部分もあるようです。発掘したい場所はまだまだ沢山あるのだけれども、イラン一国では手が足りない。海外の調査隊にぜひ協力して欲しいのだがという文化財保護庁の専門家の話を聞いたこともあります。
予算や人員の不足のため、観光スポットとして「使える」遺跡が調査や修復に関して優先されてしまうのは仕方のないところかもしれませんが、一歴史ファンとしてはこうしたまだ「知られてはいたけど見つかっていなかった遺跡」がどんどん明らかになってくれると嬉しいなあと思うのでした。
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今日はオマル・ハイヤームの記念日です。
オマル・ハイヤームは、日本では「四行詩人」として知られていますが、本来は詩人ではなく数学者、天文学者として有名でした。
オマル・ハイヤームは、本名をギヤース・ウッディーン・アブール・ファトフ・ウマル・ビン・イブラーヒームといいます。ハイヤームというのは「天幕作り」という意味で、彼の父親が天幕作りを職業としていたために、オマル・ハイヤーム(天幕作りのハイヤーム)と号したと言われています。
彼は1048年5月18日に、当時の文化と宗教の中心地であったニーシャープールに生まれました。彼の子ども時代や若い頃のことはほとんど知られていませんが、1074年に、当時イランを支配していたセルジューク朝のスルターンであったマリク・シャーとその宰相ニザームル・ムルクにより登用され、ペルシア暦の改正と天文台の建設を行ったとされています。
1079年に制定されたマリキー暦あるいはジャラーリー暦は現在のクレゴリー暦に匹敵する正確な暦でした。
その後も偉大な科学者としての名声を誇ったオマル・ハイヤームでしたが、晩年はセルジューク朝からの庇護を失い、故郷のニーシャープールで隠遁生活を送っていたといわれています。
彼は1131年12月4日に亡くなり、ニーシャープールに葬られました。
現在、彼の墓所とされる場所には廟が作られ、彼を偲ぶ人々が訪れる場所となっています。

現在、海外では彼は「四行詩人」として名高く、その詩は各国語に翻訳されていますが、オマル・ハイヤームは余技として、個人的な趣味としての詩作を行ったものであり、職業的な詩人ではありませんでした。そのため、オマル・ハイヤームの詩とされているものの真偽の鑑定は難しく、彼が本当に詩作を行ったかどうか疑問視する学者もいるほどです。
彼の詩はこの代や人生のはかなさや過酷な運命の中で、いかに楽しく生きるべきかを歌ったものが多く、反イスラーム的とも言えるものを多く含むため、真面目なムスリムの中には彼の詩は絶対に読まないという人もいます。しかし、その思想はイランやイスラームという枠を超えて、人の心に訴えるものがあるため、これほどまでに世界中で好まれるのだともいわれています。

写真は在りし日のニーシャープール。今は廃墟が残るのみ。
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一つの事柄でも人によってこれだけ感じ方や考え方が違うのだなあと、改めて考えてしまうような出来事でした。
海外への留学生についてです。
イランには海外の大学へ留学したいという大学生が沢山います。
動機は様々で、イランから政治的な理由からあるいは経済的な理由により逃げ出したいから、最新の知識を学びたいから、イラン国内での出世の道具としてなど、人それぞれです。
イラン国内外の奨学金を得て留学する人もいれば、私費で留学する人もいます。学位を得た後イランに戻ってくる人もいれば、帰ってこない人もいます。しかし、イランの国費留学生は、留学するに当たって様々な制約などがあり、基本的にイランに戻って来ざるを得ないようになっているのだとか。
私は仕事のためにあちこちの省庁や機関へ行くことがありますが、そこでは必ずと言っていいくらい、海外から戻ってきた人に出会います。あるいは、民間企業で働いている人も多くいます。
私が出会ったそうした人たちは、ほとんどみんな、イランを良くしようと考え、自分が海外で得てきた知識をイランに還元しようと努力していました。
自らの意志でイランに戻った人もいれば、色々な事情から不本意ながら戻ってきた人もいるでしょう。それでも、それぞれにできる限りのことをしているように見えました。
私の周囲にも、家族を海外に留学させている人やこれからさせようとしている人が何人もいます。子どもを、兄弟を留学させることで自分もイランを脱出しようとしている人もいれば、イランに戻ってくることが当然だと考えている人もいます。
それぞれの人にそれぞれの考え方があるでしょうから、なんとなく違和感を感じはしないでもないですが、どちらが良いとも悪いとも私には言うことはできません。ただ、イランが、もう戻って来たくないと考えてしまうような国であることが残念だとは思います。また、留学する気はないという子どもに対して「何を言っているの、あなたが留学してくれなきゃ、私もイランから出て行けないじゃない」という親の発言はなんだかちょっと考えてしまいます。
それから、一度留学したら海外で仕事を見つけるからイランに戻ってくる留学生がいるわけがない、仕事がないから帰ってくるんだよ、という言い方をする人がいるのですが、これもちょっと残念な評価です。イランに戻ってきて頑張っている人たちに対して失礼じゃないかなと感じてしまうからです。なんだか、戻ってくるのは海外で仕事を見つけることができなかったんだとか、こんな国に帰ってくるのはばかだからと言っているかのように感じることがあるからです。思い過ごしなら良いのですが、時々、どうしてもそう感じてしまうことがあるのです。
イランを良くしようと頑張っている人たちの努力が報われる国であって欲しいと、心から願いますし、海外で勉強をしている人たちが、イランであれ他国であれ、自分を生かすことができる場所を見つけられることが一番だとも思うのです。
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ペルセポリスをはじめとする古代イランの遺跡が多く存在するファールス州には、海外から多くの観光客が訪れていて、ぱっと見はテヘランよりもよほど国際的な感じでした。もちろん観光都市だから当然なのですが。
観光客はアラブ諸国からが最も多いとか。特に、アラビア半島からは避暑を兼ねて毎年沢山の観光客が訪れるそうです。テヘランからファールスに到着してあまりの暑さにくらくらとしてしまった私としては、「避暑」という言葉に、春から秋にかけてのアラビア半島には絶対に訪れまいと固く心に誓ってしまうほどの衝撃でした。そんな中でも、オマーンの夏は涼しいというのは興味深いところですが。
まあともかくそういう土地なので、ホテルのフロントやおみやげ物屋も英語の他にアラビア語も話せるという人が多いようです。
アラビア語が話せなくとも、現在イランで使われているペルシア語というのは、古代のペルシア語にアラビア語の文字と語彙が大量に入り込んで成立したものなので(大和言葉と漢語の関係にちょっと似ている感じ)、単語レベルでは何となく理解できる部分があったりするのが面白いところです。
シーラーズにあるワキールのモスクというところ訪れたときのことです。
観光名所の一つなのにしっかりと昼休みを取っていたこのモスクの前で、開けろ〜〜と念を送っていた我々に、イラン人のおばさんたちが話しかけてきました。
おばさんたちも観光客だそうで、時間がないから困るわ〜というようなことを話していたら、男の子たちのグループがやってきました。
おばさんたちは彼らにもペルシア語で話しかけますが、彼らはペルシア語を解さないので会話が成立しません。
ところがおばさんはくじけません。
「ニーム・サーアト(半時間)後にならないと開かないのよ」
「?????」
「ニーム(半分)」
「?????」
「ネスフ(半分)!」
「うん、うん」
おお、通じたぞ、と思わず日本語で感心してしまった我々。
「ニーム」というのはペルシア語起源の「半分」なので通じず、「ネスフ(正確にはニスフ)」はアラビア語起源の「半分」なので通じたのです。「サーアト」は「時間」でやはりアラビア語起源。
男の子たちはシリアから来たとのこと。シリアにあるシーア派関連史跡の名前を挙げながら盛り上がるおばさんたちにさよならを言って、冷たいジュースを求めてそこを立ち去った私たちなのでした。

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昨夜テヘランに戻ったのですが、シーラーズの空港からテヘランまでがいやに長く、暑さ疲れと相まって、ぐったりでした。
普段からシーラーズ発の便は何故か遅れることが多いのですが、昨夜は遅れに遅れ、4時間遅れとなってしまいました。
シーラーズの空港ではこの遅れについて何の説明もなく、「最低1時間遅れる予定。空港からでないで待つように」という張り紙が一枚されただけです。
私が搭乗予定だった便の4〜5便前から遅れが始まったらしく、私が夜9時近くに空港に着いたときには、8時50分発の便のチェックインも始まっていない状態でした。
いつまで経ってもチェックインが始まる様子もなく、チェックインが済んでいた便も飛行機が到着しないために出発できません。どうやらテヘランに原因があることは確かなようです。
しばらくすると最も遅れている便の乗客に対して夕食が配られはじめました。このパターンだと、次にはフライトがキャンセルになるなあと嫌な予感です。
そうこうするうちに、30分遅れで私が乗る予定の便のチェックインが始まりました。ラッキー、と喜んでいたら、これもすぐに「最低1時間遅れる予定〜」という張り紙が。明日は朝から授業があるんだけど大丈夫かなあと不安になり、同じく翌日に授業がある先生に電話をしたところ、「テヘランがものすごい暴風で、ガラスが割れるくらいだったんですよ」とのこと。
ようやく理由が分かりました。
強風でテヘランを発つことができなかったならそのように言ってくれればいいでしょうに、なぜかシーラーズではそのようなアナウンスはありません。普段はけっこう文句言いでわがままなイランの人たちが、こういう時には意外と待ち続けるのですからちょっと不思議です。
待たされていた5便の中で、何故か私が乗る予定の便が一番早くシーラーズに到着したため、他の人たちよりも早くシーラーズを出ることができたのですが、飛行機が飛んだことよりも、冷房がほとんど効いていなかったシーラーズ空港を出ることができたのが何よりもうれしかったのでした。

長時間待たされてぐったりのおばさんたち
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何かと思ったら、学部の幹部教員に対する抗議集会だとか。学生の抗議集会というのも随分と久しぶりです。
情況はいまいちよく分からない部分もあるのですが、ある学部運営に関わっている教授が学生に対して非常に侮辱的な発言をしたのだとか。その発言に怒った学生たちが、昨日の二限目をボイコットし、抗議集会を開いていたのです。
数日前から学生たちがなにやら署名を集めていたのには気付いていたのですが、学生の「学食の食事の質を良くして欲しいという署名なんです」という説明に、「そういや、何年か前にも寮の食事を良くして欲しいという署名とデモ」があったなあと、疑う必用もなく納得してしまっていました。
問題になっている教授がどのような発言をしたのかは分かりませんが、ここまでの大騒ぎになるのですからかなりのものだったのでしょう。
二限目の始まる時間になって、学生が集まっているホール(というほどのものではありませんが)を通って教室に向かうと、私を見つけた学生が口々に「先生、私たちはこれに参加しなければいけないので授業に出ることはできません」と嬉しそうに言います。まあ、気持ちは分からないでもありませんが、先生は一応教室へ行かなくてはいけないので、はいはいと流しながら教室へ。見事に誰もいません。15分経っても学生が来なかった場合は休講にして構わないということなので、15分だけ待って事務室へ戻ったのですが、学生は小一時間ほど気勢を上げていたようです。
このところ、学生が政治に興味を失ったことや、バスィージなどによる締め付けが厳しくなったことなどから、学生が集団でこうした行動を起こすことは少なくなっていましたが、まだまだやるときはやるんだなと感心してしまったのでした。
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イラン国内の600にのぼる文化関連市民団体から千人の代表がペルセポリスに集まって、イランの高度な古代文明をアピールし、映画『300』に抗議をしたのだそうです。

ペルセポリス観光に訪れた人々に平和のシンボルであるオリーブの小枝を配り、優れたイラン古代文明を世界にアピールするといった内容の共同宣言を発表したとのことですが、この写真やニュースを見ている限り、集まった人たちもペルセポリス観光にいそしんでいるようにしか見えないのが何とも言えないところ。

イランの前政権であるパフラヴィー朝は「古代ペルシアの後継者」ということを強調し、ペルセポリスを築いたアケメネス朝の建国を元年とする「シャーハンシャーヒー」と呼ばれる暦を一時期ではありますが使用し、更にイラン建国二千五百年祭をペルセポリスで開催するくらい、「古代ペルシアの栄光」を政治的にも利用していました。
しかし、パフラヴィー朝を追い出して「イラン・イスラーム共和国」を建国したホメイニー師は、「イスラーム以前の歴史は歴史ではない」と主張して、ペルセポリスを破壊(爆破)しようとしたと言われています。イラクがイランに攻め込んできて泥沼の戦争が始まらなければ実行されていたのではないかと、この話を教えてくれた人は話していましたが、とすると貴重な古代の遺産が破壊されずに済んだという意味ではイラクに感謝しなくてはいけないのだろうかと複雑な気分になったものでした。
イラン・イラク戦争が終わってからもしばらくは疲弊した社会や経済の立て直しが第一で、イランの人々は自分たちの歴史を振り返ったり、観光旅行などをする余裕はありませんでした。
私がイランに初めて来た1996年の写真を見ると、シーラーズやエスファハーンといった有名な観光地でさえ、イラン人も外国人も旅行者などほとんど見られないような状態でした。ほとんどの写真が、貸し切り状態で人が写ってないことからも人がほとんどいなかったということが明らかです。ところが、年が下るに従って人が写り込むようになり、観光施設としての設備が増えていきと、人がいかに多く訪れるようになったかを実感させられます。
古代ペルシアの文明と古代ギリシアの文明のどちらが優れているとか劣っているとかではなくて、アケメネス朝を滅ぼしながらもアケメネス朝の王たちに敬意を払ったアレクサンドロスのように、互いに敬意を払うことが大切なのだろうなあと思ってみたりしたのでした。
でもまあ、映画としての『300』は正直、これほど大騒ぎをしなければならないような大したできでもなかったように思いますし、無視しても構わなかったんじゃないかなあという気もするのですが、イランがぴりぴりと反応しなくてはいけないくらいに欧米では高い評価を受けているのでしょうか?
(写真は5月8日のイーラーン紙から)
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その中で訪れた場所の一つがイラン観光庁でした。
毎年一回、調査などのために必要な書類を発行してもらうために訪れているのですが、今年は少し様子が違います。
入り口で兵役中の男の子が入場者のチェックをしているのもそうですし、書類の受付場所も違っています。なんか変だな〜と思っていたら、私の書類をチェックしていた女性が、「これはここじゃないわ」と一言。
「は?」
「だから、組織が変わって、ここも観光庁には違いないけど、ここは事業部で、あなたのこれは観光局だから」
「はあ」
「観光局は引っ越したから。住所は今確認してあげるから、そっちに行ってね」
「はあ」
唖然とする私を目の前に彼女はどこかへ電話をして住所をメモしています。
参ったな〜という顔をしていたのでしょう。彼女はメモを渡しながら「一応、ここでできるかどうか聞いてあげるわ」と私を連れて隣の部屋へ。
「あの〜〜去年まではここで手続きをしていたので今年も来たんですが〜」と言う私に同情したのか、結局はそのまま手続きをしてもらえることになったのですが、やられたという感じです。というか、結局手続きができてしまうというのはどういう事?と不思議ではあるのですが。まだ業務の分担がいい加減なのか?と思わず突っ込みたくなってしまった瞬間でした。
日本でもそうなのかもしれませんが、イランではしょっちゅう組織が変わり、役所の引っ越しも多いので、手続きなどのために役所を訪れて困惑させられるということも珍しくありません。組織の一部が引っ越しというのなら分かるのですが、同じ建物なのに中身が全く違う役所に変わっているということもあるので侮れません。
観光に力を入れようとしているために観光庁内でも業務が多くなり、これまでの建物内では収まらなくなったということなのでしょう。組織を分けたといっても人が大きく入れ替わったわけでもないようで、レターの受付をしている女性たちなどは私を見て「あら、久しぶり」と声をかけてくれたりして、人の顔を覚えるのが苦手な私をびっくりさせてくれたのでした。
それにしても、イランの人ってどうしてこんなに記憶力が良いのかなあと、人の顔や電話番号、ペルシア語の単語など、覚える傍から忘れてしまう私としてはかなりうらやましくなってしまうのでした。
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イランの衛星放送番組などでもこの話題が取りざたされているそうですが、私がイランの文化財保護庁から聞いている限りでは、水没はないとのことです。
パサルガダエはアケメネス朝期の貴重な遺跡であり、世界的に見ても貴重なものである。そのような遺跡をそんなに簡単に水没させるなどあり得ない。
とのことなのですが、イラン・イスラーム共和国の建国者である故ホメイニー師は、「イスラーム以前の歴史は歴史ではない」と言い、ペルセポリスを爆破しようとしていたと言われている人物ですし、狂信的とも言える信仰を売りにしている大統領閣下なら何の痛痒もなく古代遺跡を水没させるかもしれない。そんな感じがしてしまうのは確かです。
しかし、スィーヴァンド・ダムの水はパサルガダエの手前8キロメートルくらいのところまでは来るそうですが、パサルガダエを沈めてしまうことはないそうです。ただ、間近まで水が迫ることで、大気中に増えるであろう湿度がどのように遺跡に影響を与えるかが計算できず、心配されているとのことです。
二千年以上の風雪に耐えた遺跡が、末永く保存されることを願ってやみません。

雪の日のキュロス大王の墓。パサルガダエが雪に埋もれて、このままではシーラーズに帰れなくなるのでは?と心配するほどだった。
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考えてみたら、先生一年目の昨年は、担当授業のない日に先生の日が当たっていたのでした。
イランの学生は日本の大学生に比べると子どもっぽいというか、素朴で素直な子が多いように感じます。ただ、その一方で、いかに楽をして良い点数を、そして最終的には学位を手に入れるかということに一生懸命になる怠け癖且つずるいところも持っていたりするので、何というか、結構振り回されてしまいます。
学生に限らず「とにかく要求は駄目でもともとで言う」という人たちですから、試験の日程から内容、評価基準まで、とにかく自分たちに有利にするために大騒ぎです。大学の事務室だけでなく、先生の携帯電話にまで電話をしてきて「自分(たち)に有利に図ってくれ」との陳情です。そのエネルギーを勉強する方に回してくれないかな〜と思うのですが、そこが学生なんだよな〜とも思ってしまうのでした。
それから、頭の良い、天才肌の学生が多い(と勝手に感じている)ためか、飽きっぽくて、集中力が持続しないのもなんとかならんかなあと思うところです。
ある程度の説明を聞くと「分かってしまう」らしくて、ケアレスミスが多くなってしまうのです。そのため、そこそこのところまでは簡単に上達するのだけどもそこから先にはなかなか上達できなくなってしまうというのは、何とも残念なところです。
そこで、こちらは「怠けないで、繰り返しなさい」と何度も注意をするのですが、まあ、先生の言うことを聞かないのが学生ですから、なかなか改まりません。もちろん、真面目にこつこつ勉強する学生も多いのですが、ついつい、「うっかりミス」を連発する子の方が目についてしまいます。
もともとペルシア語を母語としない人も多い国ですから、自分の母語ではない言葉が身近に存在するということが当たり前という環境だからでしょうか。外国語を話すということにそれほど構えない学生が多いのは助かるのですが、話すことは上手でも読んだり書いたりすることがなかなか上達しないというのは、何とも悩ましいところだったりするのでした。

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今日はイスラーム哲学者であり、思想家であったモルテザー・モタハリー師の殉教日です。
モタハリー師は1920年にホラーサーン地方で生まれ、12歳でマシュハドの神学校に入学し、イスラーム神学を学びました。その後ゴムの神学校へと移り、ホメイニー師からも教えを受け、革命活動に関係を持つようになりました。
ゴムでの活動の傍ら、モタハリー師は1955年から23年間にわたり、テヘラン大学神学部で教鞭を執りました。そこでイスラームの近代社会への適応を含む自身の思想を教え、その教えは多くの学生に影響を与えたと言われています。
モタハリー師はイラン・イスラーム革命の勝利の直後、1979年のこの日に反体制派により暗殺されました。
モタハリー師の師の一人でもあるホメイニー師は、教師として多くの学生を導いたモタハリー師の功績を称え、同師の殉教日であるこの日を「先生の日」と定めました。その後、毎年、すべての先生に感謝を捧げることになったのです。
大学でも学生たちが日頃お世話になっている先生に贈り物をしたりする光景が見られます。別段誰に強制されたわけでもなく、自然に先生に感謝をすることができるというのは先生と学生の間に良い関係が築けているからなのだろうなあと思ったのでした。

これはモタハリー師の肖像壁絵。
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配給制の施行まであと20日ほどですが、この間にありとあらゆる容器にガソリンを買いだめする人が出るのではないかとか、配給制になった後も様々な手段でガソリンを安く手に入れる人が出るのではないかとか、各種タクシーの料金が値上げになるのではとか、色々な懸念が出ているようです。
ガソリンは気化しやすいので、事故が起こることを考えたら安易な買いだめはしない方が良いと思うのですが、それでもするのでしょうか。
それにしても、自動車を生産するだけして、それを売りさばくために自動車ローンを借りやすくして国民に売るだけ売って、これでは国庫が空になるとガソリンの値上げをするというのはどうなのでしょうか。もう何年もテヘラン市内の交通の問題について指摘されていながらも公共交通機関の整備をするなど十分な対策もとらず、国民が自家用車あるいは乗り合いタクシー、タクシーに頼るしかないような情況を放置していたのはテヘラン市であり政府であったのにと、なんだかなあという気分です。
ガソリンが値上がりしようと、他に手段がないのですから、人々は高いガソリンを買うことでしょう。
でもまあ、友人たちによると、「確かに地下鉄なら安くて早いだろうけど、たとえ渋滞に巻き込まれようとなんだろうと、『(タクシーのように乗客を乗せず)一人で自動車を運転している』というのがステイタスなんだから、いくら整備が進んだって貧乏人みたいに地下鉄やバスに乗る人なんていないよ」だそうですから、これからも自動車は増え続け、ガソリンは消費され続けるんだろうなあとも思うのです。

写真はガソリンスタンドの順番待ちをする自動車の列。
ガソリンの値上げをするのは仕方がない流れなのでしょうが、ガソリンスタンドをもう少し増やすというのはできないものなのでしょうか。イランのタクシーは客を乗せてからガソリンスタンドへ向かうので、急いでいるときなどとても精神衛生に悪かったりするのです。
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