ゴフトグーイェ・タマッドンハー

留学生としてイランにやってきてから10年以上。イランの人々とのあれこれや、イランで見たこと考えたことなど。

タアズィーエ


 西暦680年に起こったカルバラーの悲劇を西暦2007年の今でも追体験するためにどうするか。

 一つはその悲劇がどうして起こったか、どのようにイマーム・フサインが死を迎えたかといったことを語り物語にして、謡うようにして語り聞かせる(平家物語を語って聞かせる琵琶法師みたいな感じでしょうか)やりかた。これをロウゼと言います。

 そしてもう一つは劇にして人々に分かりやすく見せること。これがタアズィーエ。

 ロウゼもタアズィーエも10日かけて、イマーム・フサインに付き従った72人がどのように次々と悲劇的な死を遂げていったかを語り、演じます。

 先日ご紹介したヘイアトと呼ばれるテントの中ではロウゼが行われ、町や村の広場ではタアズィーエが行われることが多いです。

 写真はタアズィーエの初日。このように、フサイン軍とその敵であるヤズィード軍に扮した人々が戦いを演じていくのです。

 ちなみに、緑色は預言者ムハンマドの血筋であることを表す高貴な色で、これがフサイン軍を表しています。ヤズィード軍は赤あるいは黄色を身につけていることが多いようです。

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 昨日、大学の試験期間が終わりました。
 私自身が試験を受けたわけではないのに、なんだかエネルギーを吸い取られた感じで疲労困憊です。不思議なものです。
 学生は新学期が始まる前の一週間の休みに入りますが、私はこれから採点作業です。記述式の試験ばかりなのでこれがまた大変な作業です。

 そういえば、先日、先学期の給料をもらってきました。なにやら話によると、一ヶ月ほど前に出ていたのだけども、学科長が我々に伝えるのを忘れていたらしいとか。まあ、いいんですけど。とりあえず、今年中にもらえたわけですし。でもやっぱり一学期遅れなんだなあとため息が出てしまいます。

 それにしてもどうしてこんなに給料の支払いが遅れるのだろうかと思っていたら、ある方が、「ああ、利息を稼いでいるんでしょうね」と教えてくださいました。

 イランは長期定期預金の金利が18パーセントに達するという国です。短期でも5パーセントくらいは付くようなので、教師、それも立場の弱い非常勤講師の給料を銀行に入れて利息を稼いでいるのだろうというのです。

 それはあるかもしれません。

 単に事務が遅いか、言い訳通り本当にお金がないのかどちらかなのだろうと思っていたのですが、そういう考え方があったとは目からウロコでした。

 「バブル期の利息が高い頃の日本でもそういうことがあったんですよ」
 だそうです。知りませんでした。
 日本でもうそういうことが行われていたというのは驚きですが、イランも侮れないなあと、妙な感心をしてしまったのでした。

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 イランは一昨日からイスラーム・ヒジュラ暦モハッラム月に突入しました。イスラーム・ヒジュラ暦1428年の第一日目です。

 アーシュラーの悲劇と呼ばれる、シーア派第三代目イマーム・フサイン(ペルシア語だとエマーム・ホセイン)の非業の死を語り聞かせ、その悲劇を悼み、再確認するための場であるホセイニーエあるいはヘイアトがあちこちに作られています。
 これは恒常的な建物のこともありますが、この時期になるとそれでは足りなくなるので、ご町内で一つといった感じで街角にホセイニーエとして使うテントが建てられます。
 夜になると近所のこうしたテントに集まり、ロウゼ(悲劇語り)を聞き、ダステ(行列)を組んで、胸を叩いたり鎖で身体を打ちながら通りを練り歩いたりするのです。これが結構な大音量でやるので、ホセイニーエやマスジェド(モスク)に近かったり、表通りに面している家の人は大変だろうなあと思わずにいられません。

 初日の一昨日はまだテントの設営が終わっていないところもあちこちで見られました。こういうところがイランらしいところかもしれません。昨日でさえまだなんとなく準備中といった感じのところもちらほらと見られました。

へいあと


 この写真右に見える肖像画がイマーム・フサインだということになっています。(実際には60歳くらいだったと言われていますので、こんなに若々しくはなかったと思うのですが)
 今年は、このイマーム・フサインの肖像画やその異母弟であるアッバース(イランではアボルファズルと呼ばれることが多い)の肖像画を飾ることはまかりならんというお達しが政府から出されたそうです。(これに関する新聞記事を探しているのですが、どこに埋もれてしまったのか見あたりません)
 ところが、政府の言うことに素直に従わないのがイランの人たちらしいところです。
「彼等の肖像画を飾らずして何のモハッラムか」とばかりに、例年以上に大きな肖像を発注したところも多かったとか。

 このエマームたちの肖像画などを見る度に、イスラームは「偶像崇拝禁止」じゃなかったのかなあと思わずにいられません。
 確かに、イランのシーア派の人たちがこの絵を崇めるわけではないですが、イスラームではもともと、「偶像崇拝に繋がるから」と人間を描くことを禁じたり、人形を禁じてみたりしていたはずだよなあとなんだか不思議な感じがするのです。

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 この木曜日と金曜日はシーア派最大の哀悼行事アーシュラー前の最後の週末ということで、親戚や友人の家に遊びに行く人たちで道路が大渋滞を起こしていました。
 シーア派第三代目イマーム・フサイン(イランではエマーム・ホセイン)が殺されたことを悼み、イマームとその家族、支援者たちがどのようにして殺されていったかを10日間かけておさらいし、殺されていった人々の痛みを我と我が身に味わい、生後六ヶ月の子どもまで殺された悲劇に涙を流す一大イベントです。

 イスラーム・ヒジュラ暦では明日から1月にあたるムハッラム月(イランではモハッラム月)が始まりますが、イスラームでは1月1日だからといって別に正月を祝うということはありません。あくまで一年が過ぎ、次の一年が来た、という暦の上での区切りに過ぎないようです。
 イランではイラン独自の暦を使っていて、正月は春分の日ですし、モハッラムの1日目というのはアーシュラーの悲劇の始まりの日として喪に服する第一日目でもあるため、なおのことイスラーム・ヒジュラ暦での正月という感じは全くありません。

 シーア派ではなくスンニー派が多い国の留学生などに聞いても、先日行われた犠牲祭や、ラマダーン月が明けた祝祭日が正月のようなものだから、という返事でした。

 アーシュラーはモハッラム月の1日から始まって10日目にクライマックスを迎えます。でもそこで哀悼の行事が終わりというわけではなく、そこから更に 40日目の喪が明けるまでが服喪期間に当たるため、50日間、切りの良いところまでということなのか、まるまる二ヶ月間が喪の期間とされています。
 そのため、イランではモハッラム月とその次のサファル月には、結婚式を初めとするハレの行事は基本的に行われません。
 モハッラムの前がハッジ月(巡礼月)で、ムスリムの義務の一つであるマッカ巡礼が行われる月なのですが、マッカへの巡礼から帰ってきた人が親戚や友人を招いて行うお祝いも、モハッラムに入ってしまうと行えません。

 そのため、イランでは、モハッラムの直前になると結婚式場やレストランがフル回転です。あまり賑やかにパーティーを行うのもはばかられるということで、ホームパーティーすら自粛傾向だとか。難儀な国です。

あるーすぃー


 写真は結婚式に使う自動車を飾り付けている花屋の前で。こうした自動車とも二ヶ月後まではなかなか出会えなくなる。

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ごるべ


 試験の採点などの仕事に追われ、更新やコメントへのお返事が遅れています。済みません。

 食事を作る気分にもなれず、近所のピザ屋へ行ったところ、いつもピザ屋の前で餌をねだっているたちがこんな風に座っていました。

 このぼさぼさとした長毛が、ペルシアっぽいのかなあと思うのですがいかがでしょうか。
 それにしても彼等、洗ってブラッシングをしてあげたいなあ。迷惑だろうけど。

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ナンパ?


 混み合ったカフェの中

 隣のテーブルの女の子に声をかけてみる

 以前は見られなかったこんな光景がごく普通に見られるようになった

 テヘランも随分と変わったなあと感じるのはこんな光景を見るとき

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 もう何日か前の話になりますが、イランのニュースで「日本に防衛省誕生」というニュースが繰り返し流されていました。
 私の知り合いなどはそのニュースを見て、「日本には今まで軍隊がなかったのか?」と驚いていました。「確か、イラクに軍隊を派遣していなかったっけ?」などと突っ込まれると、説明するのに一苦労です。「日本ではあれは軍隊であって軍隊でなかったのだ」という説明に、「何のこと?」と腑に落ちないという反応をされてしまいます。

 憲法第九条とか、日米安保条約とか、朝鮮戦争の話とか、色々と複雑なんだよ、と説明はしてみますが納得できたようなできないようなあいまいな反応です。無理もありませんが。

 しかし考えてみたら、イランの軍隊も外国人である私の目から見るとなんだか不思議だったりします。
 それはイランには軍隊が二つ存在しているからです。
 一つはいわゆる正規軍(ニールーと呼ばれているもの)で、これが国軍ということになっています。もう一つが革命防衛隊(パースダーラーンと呼ばれているもの)で、内外の反体制派と戦う組織であるということになっていて、それぞれが陸海空軍の三軍を持っているとのこと。軍事費がかさみそうな組織構造です。

 どうして軍隊が二つもあるのかというと、王制の時代にアメリカのバックアップもあって中東一とも言われるほど強力だった正規軍を牽制し、反乱を阻止するために革命後(1979年)、ホメイニー師の命令によって設立されたのが革命防衛隊だからなのだそうです。要するに相互監視をさせるためということです。

 革命防衛隊はその名前の通り、革命政権を内外の敵から守るために存在します。革命直後は正規軍の反乱阻止や反革命ゲリラ組織の鎮圧という役割が大きかったのでしょうが、最近はその心配もほとんどないため、イラクのサドル師の民兵組織や「バドル軍」、アフガニスタンの「モハンマド隊」、レバノンの「ヒズボッラー」への支援といった『防衛』からははみ出ているのではないかと思われる対外支援や、下部組織である「バスィージ(民兵)」を使ってデート中のカップルをこづき回したり、大学内の改革派組織をつぶして回るという反体制分子の摘発を行っています。

 大統領閣下のバックボーンでもあるこの組織、このところ、ここ出身のいわゆる「保守強硬派」がポストを占めるようになりつつあります。そのためか正規軍より妙に存在感があるのですが、いざ実際に戦争が起こったときには正規軍と革命防衛隊のどちらが作戦などの主導権を握るのでしょうか。
 幹部候補生を教育する「軍事大学」を持ち、「正規軍」という名前を持つ正規軍が、戦闘に関する責任を持つのでしょうが、二つの軍隊が一つの国に存在しているというのは私の目から見るとなんだか不思議だったりしますし、大丈夫なのかなあという感じもしたりします。何といっても、横の連絡は絶対にあり得ず、「自分の領域」意識の強い省庁組織を目の当たりにしているため、いざ有事となったりすると責任の押し付け合いや、責任逃れが横行するのでは?という感じがしてしまうのです。

 まあ、私が人の国の軍隊のことを心配することはないのですが。
 それにしても、核を巡ってきな臭い噂が絶えない国に住んでいると、日本の自衛隊論争というのが何とも危機感の薄い議論だという感じがするなあと、防衛省登場のニュースを見ながら改めて感じてしまったのでした。

壁絵


 イラン・イラク戦争(イランでは「押しつけられた戦争」と呼ばれる)での戦死者(イランでは「殉教者」と呼ばれる)称揚の壁絵の一つ。こんなものを描かなくても良い平和な世界が理想なのは当然だが、現実はなかなか難しい。ベンチに座るおじさんたちがいつでも好きなだけ世間話に興じていられるよう願わずにいられない。

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 昨日、昼寝をしていて目が覚めたらが降り始めていました。
 このは例年になく寒さが厳しく、が降る回数も多いようです。
 沙漠の中の町として有名なヤズドでも市内でが積もるほど降ったと言いますし、ザグロス山脈やアルボルズ山脈沿いの地方からも、毎日のようにのニュースがもたらされています。

 来年の夏のことを考えたらが沢山降ることは良いことなのですが、この寒さのために野菜の生育が悪く、品質が良くないのに値段が高騰しているというのが人々の悩みとなっています。

 イランは「四季がある国」だとイランの人たちは自慢をします。
 これは文字通り、一年の中に四季があるということもそうなのですが、例えば、アゼルバイジャン地方がの時でも湾岸では夏のように暑く、テヘランでは秋だけど、もっと南の地方では春のような陽気と、一つの国の中に四つの季節があるかのようだということも指すのだとか。

 日本の四倍という広い国土を持つ国ですから、北の方ではでも南では農業ができるくらいに温かいのです。その上、革命政府の功績の一つで、道路の整備が進み、国内の流通がスムーズになっています。そのため、でも南の地方から露地栽培の野菜がもたらされるようになっていてとても便利だったのですが、今年はちょっと厳しいようです。

 そういえば、イランではハウス栽培の野菜というのはあまり見かけません。苗を育てるために畑にビニールをかけているところは眼にすることがありますが、ビニールハウスをたてて、中で温度調整をしてまで野菜を作っているというのは聞きません。花卉栽培のためのハウスは見たことがあるのですが。

 ともかく、例年の二倍以上になっているというトマトの値段が落ち着くのはいつになるのでしょうか。
 朝になってもはまだやみそうにありません。我が家は値段のせいではなく、で外出ができないために野菜不足になりそうです。

ばるふ


 写真は先日のの後のもの。今はこれよりももっと積もっていて、坂の上にある我が家は、と氷でちょっと外出が怖い状態。

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 テヘラン大学は来週から二週間の試験期間に入ります。きっと今頃学生たちは試験のために懸命に勉強をしているに違いありません。

 真面目な学生が多いとはいえ、時にはやはり試験で良い点数を取るためにカンニングをする学生もいます。数年前には、教室の壁にカンニング用の書き込みをしていた学生がいたとかで大騒ぎになったこともあるそうです。
 そのためかどうか分かりませんが、試験前の今週は教室に鍵がかけられ、机や壁の掃除が行われたそうです。

けらーす


 外国語学部の教室は御覧の通り。
 私はこの小さなテーブルがくっついた形の椅子というのが苦手です。これではノートを取ることはできても教科書や参考書を広げるスペースがないからです。人文学部は長椅子と長机だったので便利だったのですが。

 この形の椅子とテーブルを使った授業を見ていて思うのが、左利きの人には不便な形だよなあということです。
 イランに来て何となくびっくりしたことの一つが、「左利きの人が多いなあ」ということでした。何ということはない、日本が子どものうちに右利きに矯正してしまうことが多いというだけのことで、そういうことをしない国ではごく当たり前の光景なのですが、それでもやはり妙に印象に残っていました。

 で、このテーブル付きの椅子ですが、やはり左利きの学生には使いにくいようで、ノートを取るときや試験の時などは、隣の椅子に付いているテーブルを使っている学生も眼にします。
 何とも窮屈そうなその姿勢を見る度、人文学部の古ぼけた長椅子と長机を懐かしく思い出してしまうのです。

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 昨日は試験問題を三科目分作成。
 試験期間はまだ少し先なのですが、研修のために日本へ行く学生の出発が試験期間に重なっているために前倒しで試験をしなければならないのです。同じ試験範囲で二種類の試験問題、更に難易度も同じくらいにしなければならないというのは非常に難しく頭を抱えてしまいました。

 まあ、それでも彼等が6週間の日本滞在を有意義に過ごすことができるのでしたら構わないのですが、研修期間をもう少しずらしてくれたらなあとぼやきたい気分になってしまうのも仕方のないところです。

 試験問題を作っている最中、テレビのニュースチャンネルを付けっぱなしにしていたのですが、そこには昨日ご紹介した「ガディール・ホンム」の祝日に際して行われた学生の集団結婚式の様子が何度か映し出されていました。

 日本でもそうかもしれませんがイランでも結婚式は一大イベントで、かなりの出費になります。若い学生にとってその金額を負担することは大変です。そのため、国が主催して集団結婚式を行うことで結婚式の費用負担を減らしてあげようという趣旨のようです。それなら卒業して職に就くまで結婚を待てばいいのに、というのはこちらでは余計なお世話なようで、私がそう言った途端「そんなことはない」と反論の雨あられでした。

 日本では比較的少ないようですが、こちらでは学生結婚は珍しくありません。それどころか在学中に出産をする女性も多く、「この学生はいつの入学だったっけ?」と悩むこともしばしばです。

 「人は結婚して子どもができて一人前」という考え方に異を唱えるつもりはありませんが、出産のために休学すると、休学以前に覚えていたことがかなり抜けてしまうのが教える側としては辛いところです。決してゼロにはなりませんが、授業についてこれるかこられないか微妙なところにまでなってしまうこともあります。

 このあたりを学生たち自身がどう考えているのかと思って尋ねてみました。色々な話が聞けましたが、おおよそこんなところのようです。

 日本の外国語大学や外国語学部のほとんどもそうでしょうが、イランでも外国語学部は女子大と見まがうほどに女子学生ばかりですので、あくまで女子学生の意見ということでお聞き下さい。

 彼女たちの大学進学の動機は何か。
 ・外国語に興味があったから。
 ・外国に留学したかったから。
 ・今時は大学に進学するのがあたりまえだから。
 ・仕事を見つけるときに大卒の資格があると便利だから。
 ・結婚をするのに大卒の資格がないといい結婚ができないから。
 ・恋人を見つけるため。

 在学中に結婚・出産をすることについて。
 ・条件のいい相手だったら結婚はするけど、子どもは卒業してから。
 ・籍だけは入れるけど、実際の結婚生活は卒業してから。
 ・留学をしたいので結婚はまだ考えていない。
 ・結婚をして相手と一緒に外国へ行く。
 ・相手が結婚したい、子どもが欲しいというのなら希望に従う。

 卒業後働きたいか。
 ・日本語を行かした仕事に就きたい。
 ・日本語と関係なくとも、英語など外国語を行かした仕事に就きたい。
 ・どうせ結婚するから働く必要はない。
 ・夫と相談して決める。
 ・働きたくともコネがなければ仕事はないから働けないと思う。

 こんな感じの答えが返ってきたのですが、「結婚をするのに大卒の資格がないといい結婚ができない」というのには驚きでした。それも一人や二人ではなく、かなりの人数がこう答えたのですから、今の女子大生にとって当たり前の考え方なのではないかと思われます。

 なんだか考えてしまう答えです。

 イランの国立大学は基本的に授業料は無料です。彼等の勉学にかかる費用のほとんどは国が負担しているわけです。学生一人が入学してから卒業するまで平均してどのくらいの費用がかかるのか分かりませんが、決して安いお金ではないと思います。国がそれだけの負担をするのも「有為の人材を育成する」という目的があるからだと思うのですが、「いい結婚をするため」の資格になってしまっているのかあと、なんだか微妙な感じです。まあ、このくらいきっぱりと言い切ってくれると、それはそれでいいか、という気分にもなってしまうのですが。

 結婚するなら学問は必要ないでしょ?などと言うつもりはありませんし、どんな動機からであれ大学で学ぶことで、何かしら得るものはあるのではないかと思います。「結局は仕事をしない女性ばかりが進学できる今の入試制度はおかしいから、入試改革をすべきだ」という男性たちの憤慨も分かりますが、でも諸手を挙げて賛成もできません。
 でもちょっと微妙に、気持ちの片隅がむずむずしてしまうのも事実なのです。

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 今日はデイ月18日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ハッジャ月18日、西暦1月8日

 今日はガディール・ホンムの日です。

 これまでにも何回かお話ししているように、シーア派は、預言者ムハンマドの甥で娘婿であるアリーとその子孫こそが預言者の後継者であると信じることが基本となっています。
 シーア派の人々は、ヒジュラ暦10年に預言者が生涯最後のハッジを行い、マディーナへ帰る時に、ガディール・ホンムというところで巡礼のキャラバンの歩みを止め(これは歴史的事実)、娘婿アリーを後継者に指名したと信じており(これはシーア派の主張)、この日を記念して祝います。

 シーア派はアリーこそが預言者ムハンマドの後継者であり、イスラーム世界の指導者であると主張しましたが、実際には、預言者の死後、ムスリム社会(ウンマ)の指導者は、ウンマの中の有力者から選挙によって選ばれました。これは預言者のスンナ(慣習)に従ったもので、ハリーファ(カリフ)=代理人と呼ばれました。こうしたハリーファの選び方が正しいと信じる人たちがスンナ派(スンニー派とも)です。

 アリーはハリーファの有力候補者として常に名前は挙がっていましたが、実際にハリーファに選ばれたのは四代目を迎えてからでした。彼のハリーファとしての在位期間はウマイヤ家という有力者や預言者ムハンマド最愛の妻アーイシャとの対立、争いの始末に負われ、最後には味方であった人々に裏切り者として暗殺されてしまいます。そしてウマイヤ家は、アリーの死後、選挙によらず、実力でハリーファの位を奪ったのです。この後、ハリーファは世襲となり、選挙で選ばれることはなくなりました。

 シーア派は、アリーまでの四人のハリーファには敬意を払いますが、ウマイヤ朝以後のハリーファについては簒奪者であるとして認めません。
 シーア派の人々の間では、ガディール・ホンムで預言者自ら後継者としてアリーが指名されたのに、年齢が若かったために指導者として認められなかったのだと信じられています。

 シーア派の人々にとって、今日は、自分たちの最初の指導者が、預言者という権威によって後継者に指名された大切な日なのです。
 イランでは二日も前から、ラジオでもテレビでも「ガディール・ホンムおめでとう」という番組ばかりです。我が家の裏は何か祝い事があると花火を打ち上げる場所になっているのですが、昨夜も花火が少し上がっていました。考えてみたら、イランでは「とにかくめでたい!」という祝日は少ないのです。今日はその数少ないめでたい祝日であり、シーア派の人たちは、「エイデトゥーン・モバーラク(文字通りには祝日があなたにとってめでたいものでありますように=おめでとう)」と呼び掛け合い、家族や親戚、友人の家を訪れ合い、お菓子などを配り、楽しく過ごすのです。

しーりーにー


 ということで、お祝いのお菓子をどうぞ。
 近所のお菓子屋は、殺到するであろうお客に備えて既に何種類ものお菓子を詰め合わせたガディール・ホンムのお祝い用お菓子セットを大量に用意していて、私のように少量だけを買いたいお客にはちょっと不便になっていたのでした。

 ガディール・ホンムが過ぎると、いよいよシーア派最大の哀悼行事アーシュラーがやって来るのです。

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 イランの災害時の援助についてお話しします。と言いながら2週間も放置していました。済みません。

 私がイランに来てから、毎年のように、何かしらの寄付・援助をする人々の姿を眼にしてきました。その最も大きなものがバムの地震の際のものだったわけですが、それ以外にも大小取り混ぜ、またごく日常的な物も含め、人々がごく当たり前のように何かを寄付したり、ボランティアをしたりというところを眼にしてきました。

 最も日常的なのは「サダゲ(アラビア語ではサダカ)」と呼ばれる行為です。
 これは自発的な喜捨、慈善行為を指します。家族や親戚などに対する親切もそうですし、困っている人を助けることもこれに含まれます。また、非ムスリムや敵対している人たち、更には犯罪者に対してすら親切にすることが勧められているのだそうです。

 困っている人に対する親切をお金という形で表したいという人のため、イランでは街角に「サダゲ箱」と呼ばれる募金箱がこれでもかというくらいに設置されていて、事情を知らない旅行者は郵便ポストと勘違いしてしまうとか。

さだげ1


 これがサダゲ箱。ちなみに下は郵便ポスト。
ぽすと


 このサダゲ箱には、「買い物をしたら小銭をもらったから」「一日一回必ず小銭を入れるようにしている」「何かをする前には必ず入れる」など、様々な動機から人々がお金を入れていきます。

さだげ2


 上は家を出たところにあるサダゲ箱にお金を入れる女性。

さだげ3


 宗教的な記念日や新学期が始まる直前などに募金を呼びかける人。いくつかある箱は目的別。

さだげ4


 イランでは新学期が始まる前に、恵まれない家庭の子どもが学校で不自由をしないように学用品を援助する。そのため、新学期の前にはそのための寄付金や学用品の寄付をするための募金箱などが置かれることも。これは空港内に置かれた募金箱。
 写真左のポスターは、「旅行をサダゲをすることで始めよう」という呼びかけ。交通安全祈願のお守りのよう?


 どうしてこんなにサダゲ箱があちこちにあるかというと、イラン政府の方針ももちろんありますが、「金品によるサダカは匿名で行われることが望ましい」とされているからです。「私って何てすばらしいことをしているのかしら」と自分の慈善行為に酔うことは、イスラームにおいては醜い、避けるべき行為の一つであり、一回の慈善行為ではなく、常にその意識を持っていることが勧められているのです。ですから、心からの信仰をもって慈善活動をしている人に話を聞こうと思っても、なかなか話をしてもらえないということもしばしばです。サダゲ箱にお金を入れている人たちにしても特別なことをしているというのではなく、食事をしたり顔を洗ったりといったこと同じ、ごく当たり前の行為をしているだけのように見えます。
 この青いサダゲ箱を管理しているのが「エマーム・ホメイニー救援委員会(Komite Emdade Emam Khomeini)」です。
 募金箱を設置し、定期的に集金をし、援助を必要としている人たちに現金あるいは物品を届けるという活動をしている組織です。
 政府系の組織なのですが、運営はすべてこうした寄付で賄っているという話です。予算などを精密に調べたわけではないのではっきりとは分からないのですが、少なくとも末端の職員たちはそのように認識していました。
 このエマーム・ホメイニー救援委員会による生活保護を受けている人たちなどの話を聞いている限りでは、イランという国が彼らに何か援助をしているようには見えません。イラン政府予算にある「福祉」というのは「戦傷者・戦没者」を中心とした人々に対するものであって、病気・けがや失業などによる生活困窮者に対する意識は薄いのではないかという感じがしてなりません。
 エマーム・ホメイニー救援委員会にしても主たる財源は「人々の寄付」によるものです。定期的に大統領や最高指導者、宗教指導者たちが高額な寄付を行ったという報道を眼にしますが、これも要するに「個人的」な寄付であって、イラン政府が予算を割いてのものではありません。
そして、イランは予算を開示することをあまりしないので正確にはチェックできないのですが、孤児院、老人ホーム、障害のある人たちの施設などの福祉施設の運営も、人々の善意によるものが大きいと聞いています。お金や品物の寄付、労働ボランティアなどに頼るところが大きいとのこと。

 災害時の援助もそうです。
 政府も援助などを行いますが、どう見ても中心となっているのは外国からの援助・支援と、ごく普通の人たちによる援助です。

 私が最近、調査などのために訪れているガズヴィーン州のブーイーン・ザフラーというシャフレスターン(日本で言う郡に近い行政区分)は、今から41年前に大きな地震に襲われました。
 この時、この地方の人々のために立ち上がったのが、イランの英雄タフティーでした。
 イランの伝統的レスリング、コシュティーのチャンピオンであり、オリンピックをはじめとするレスリングの国際大会で何度もメダルを獲得していた人物です。彼はまた信仰的にも敬虔で、他人に親切であることでも有名でした。その高潔な生き方とレスリングの強さに憧れる人々は多く、亡くなってから30年以上経つ現在でも彼を慕う人は沢山います。彼の名前を冠したスポーツセンターや、町のロータリーや通りの名前など、彼を偲ぶ人がまだまだ多いことを示しています。

 そのタフティーが、ブーイーン・ザフラーで地震が起こった直後に援助を行うことを発表し、テヘランの北端にあるタジュリーシュのバーザール前の広場で一台のトラックに援助物資を積み込み、自身も助手席に乗り込みました。
 トラックはテヘラン市内を走り、ブーイーン・ザフラーを目指しました。テヘランからブーイーン・ザフラーまでは二時間ほどの道のりです。
 最初一台だけだったトラックがブーイーン・ザフラーに入ったときには、行列をなし、その最後尾はまだテヘラン州内だったというほどだったとのこと。
 タフティーという著名人による呼びかけだったということもあったでしょうが、やはり人々の相互扶助の気持ちが強く、それがタフティーの呼びかけと行動により一つの形になったのだとのこと。これ以前にももちろん、人々の援助金や援助物資などを被災地へ運ぶ活動は行われていましたが、これ以後、盛んになったという人もいます。
 ブーイーン・ザフラーの町の中には、この時のタフティーの行動に感謝し、彼を称賛するための看板が立てられています。

タフティー


 バムの地震が起こったときに私はテヘランにいましたが、被災地の様子が明らかになったその日の午後にはテヘラン市内各地にエマーム・ホメイニー救援委員会のテントが立ち、救援物資の受け付けが大々的に行われていました。その他にも、モスクや慈善団体の本部、ボランティア活動を普段から行っている人の家などあちこちで物資を集め、被災地へ送る活動が始まっていました。
 缶詰一つ、ミネラル・ウォーター一本でもと、家族のための買い物の中から寄付を行う人、寒さをしのげるようにとクリーニングから戻ってきたばかりの毛布を寄付する人、物よりもお金の方が便利だろうとお金を寄付する人、などなど、自分の今できることをするのが当たり前という人々が持ち寄ったもので、寄付を集めていたテントや会場はあっという間に一杯になってしまっていました。
 そして地震から三日後、ケルマーンとバムを結ぶ街道を走ったのですが、各地からの救援物資を運ぶトラックが延々と街道に連なり、大渋滞を引き起こしていました。

 「信仰心が強いからこんなにも援助を行うの?」という私の疑問に、「それもあるけど、政府が何もしてくれないのを知っているからね。みんな。だから自分たちがやらなきゃと思うんだよ」という答え。
 かわいそう、助けてあげたい。
 そう思う気持ちは確かに信仰心とは直接には関係ないのかもしれません。しかし、やはり一個のムスリムとして、人に手を差し伸べることの大切さをそれと意識しないまま両親などから学んでいることもあるのではないかと思います。

 寄付といえばもう一つ。
 イランでは、小学校を建築することに関しても人々の寄付に頼っているというのも驚きです。もちろん教育省でも努力はしているのでしょうが、広大なイラン全土に小学校の校舎を造ることはまだできていないそうで、篤志家からの寄付による学校建築も多く、そうした寄付を受け付けるための部署が教育省内にあるというのです。乾燥地帯、山岳地帯、カスピ海沿岸などの雨の多い地域それぞれに合わせた小学校プランが用意されていて、寄付を行いたい人が選べるようになっているのだとか。

 イランの国家予算はかなりいびつだと思います。「革命時の公約だから」ということで様々なものに補助金を付けて国民に安価に売り、「殉教すること」を称揚するために莫大な広告費をかけて宣伝を行い、たった一日の宗教的な祝日のために全土で電飾をはじめとする装飾を行い(それが年間何日もある)、大統領は閣僚を連れて全国を漫遊し、予算のばらまきを行う。私のような経済の素人でも「大丈夫なのかしら?何かが違うのでは?」と思わずにいられない感じです。

 「政府がやらないから自分たちでやる」というイランの人たちの言葉は、彼らのたくましさを表しているようです。さすがは歴史の荒波の中で鍛えられてきた人たちは違うなあと、感心してしまう部分でもあるのです。

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 今日はイラン暦デイ月15日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ハッジャ月15日、西暦1月5日

 今日は12イマーム・シーア派第10代目イマーム・アリー・ナキーの誕生日です。
 彼はイランでは、イマーム・ハーディーとも呼ばれています。

 イマームに関しては書くことがだんだんとなくなってきたのですが、預言者とその娘ファーティマ、そして12人のイマーム(これをイランでは14人の清らかな人(Chahardah ma’sume)と言います)についての子供向けの読み物を見つけたので、その中からイマーム・ハーディーについて書かれたものをご紹介しましょう。彼がイマームの位につくまでの部分です。


神の御名において

 ヒジュラ暦212年、ズィー・ハッジャ月15日(西暦828年3月6日)

 その夜、天はいつもと違う姿を見せていました。月光が暗い雲の間から明るい朝をじっと見つめていました。その朝、太陽は虹をかけようとしていました。きれいな虹は天に光をまき散らし、幸運な赤ん坊の誕生を祝いました。
 その赤ん坊とは誰でしょう?
 それはイマーム・ジャヴァードの息子です。お母さんはサマーナという名前の敬虔で優れた女の人でした。二人は美しく輝かしいその子供に、「アリー」という名前を付けました。
 ハーディーという名前で有名な、イマーム・アリー・ナキーは、マディーナ(メディナ)の近くのスルヤーというところで生まれました。そしてお父さんとお母さんの心は、この子が生まれたことでとても喜びに満ちていました。
 アリー・ナキーは賢い子供でした。そして絶対に嘘をつきませんでした。そしてお行儀が良く、きれいな言葉遣いをしていました。他の人たちには礼儀正しく、その人たちを手助けすることが好きでした。まだ子供だったのにとても勇敢でした。でも自分と同じくらいの年の子供たちには親切でした。
 イマーム・ハーディーは、子供の時にはもうとても賢くて、人々を驚かせていました。
 イマーム・ハーディーの偉大なお父さんが殉教した時、アッバース朝のカリフ・ムウタスィムがマディーナの支配者だったウマル・ビン・ファルジュに、その時8歳だったイマーム・ハーディーのために特別な先生を見つけるように命令しました。ムウタスィムは、特別な教育をすることでイマーム・ハーディーの考え方に影響を与えようと考えたのです。
 ウマル・ビン・ファルジュは苦労して一人の先生を捜し出しました。その先生はイマームたちの家族に深い恨みを持っていました。
 このジュナイディーがイマーム・ハーディーの先生として選ばれたのです。ジュナイディーはイマームと周りにいる人たちとの関係を少なくして、シーア派の人たちがイマームに会うことを邪魔しようとしていました。
 ジュナイディーはその仕事を始め、ジュナイディーに言わせると、イマーム・ハーディーの教育を行いました。しかし、時間が経つにつれてジュナイディーは自分の生徒の行動に驚くようになっていました。
 ある日、ジュナイディーの友人の一人が聞きました。
「本当のところ、お前が教えている子供はどんなだい?」
 ジュナイディーは深いため息をつき、頭を振りながら心配そうに言いました。
「どうして子供なんて言うんだ?あの年寄りはどんなだい?と言え!お前はマディーナで私よりも賢い人を知っているか?」
 ジュナイディーの友人は答えました。
「いいや、私はお前よりも頭の良いやつを知らないな」
 ジュナイディーは言いました。
「神に誓って。私が文学についてこの子に教えると、私が言ったことにあの子は新しいことを付け加えるんだ。そして私はそれを使っているんだ。みんなは私がイマーム・ハーディーに勉強を教えていると考えているだろうが、神に誓って、彼から学んでいるのは私なんだ。あの子は地上で最も優れた人であり、神の最上の創造物なのだ。彼が部屋へ入ろうとした時に私は、私のためにクルアーンの一章を読むようにと言った。どの章を読みましょうかと言うので、私はクルアーンの一番長い章を読むよう言った。彼はその章を最初から最後まで、流麗に、そして正確に朗読した。彼は良い声をしたカーリー(クルアーン朗読者)であるだけでなく、ハーフィズ(クルアーンの暗記者)でもあるのだ。彼はクルアーン全ての章の意味や解釈を完全に知っているんだ。」
 ジュナイディーの友人はその言葉を聞き、一瞬その言葉の意味を考え、驚きに目を丸くして言いました。
「神に讃えあれ!その子はマディーナの高く黒い壁に囲まれて過ごしているというのに、そんなにも深い知識を得たのだ!」
 何年か後、イマームの家系の敵の一人であったジュナイディーは、イマーム・ハーディーに対する愛情と関心から、シーア派信者の一人となったと言われています。
 イマーム・ハーディーは、まだ小さな子供であったにもかかわらず、イマームにふさわしい資質を持っていて、その奇跡的な才能は子供時代から明らかでした。
 お父さんであるイマーム・ジャヴァードがバグダードで殉教した時、彼はマディーナにいました。イマームの側近の一人であるアブー・ザカリヤーが、ふとイマーム・ハーディーに目をやると、彼は泣いていました。アブー・ザカリヤーは言いました。
「どうして泣いているのですか?」
 イマーム・ハーディーは小さく美しい目をアブー・ザカリヤーに向け、仰いました。
「たった今、お父さんが亡くなりました。」
 そこにいたアブー・ザカリヤーとその他の人々は、驚き、尋ねました。
「誰がそれをあなたに知らせたのですか?」
 イマーム・ハーディーは泣き続けながらこう仰いました。
「神からです。私がこれまで知らなかったことを神は私に注ぎ込み、私はそのためお父さんが亡くなったことを知ったのです。」(※)
 イマームの周囲にいた人々はこう言い伝えています。「この日、この時間を正確に記録しました。何日か後、イマーム・ジャヴァードが亡くなったという知らせがマディーナに着き、私たちはイマーム・ジャヴァードが、イマーム・ハーディーが知らせたまさにその瞬間に亡くなっていたことを知ったのです。」



 自分で購入、一部翻訳までしておいてこんなことを言うのはどうかと思いますが、こういう宗教的で説教臭い児童書を本当に子供が読んでいるのかどうかちょっと不思議です。少なくとも私の周囲の人たちや学生たちは読んでいなかったそうです。


(※)シーア派の思想では、イマームは神の知識を与えられた人物であり、その知識はイマームの血筋を通してのみ伝えられる。そしてどんな時代でもイマームは必ず一人であり、一人が亡くなるとその知識は次のイマームへと伝えられるとされている。

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ぐりふぃん


 あけましておめでとうございます。

 今年一年が皆様にとって良い年でありますように




 独自の暦であるイラン暦を使うイランでは、正月は春分の日なのでまだ先です。スンニー派世界では昨日の犠牲祭から何日間か(国によって異なるとのこと)犠牲祭休みがあって、これが正月休みのようなものだと聞いていますが、イランではそうではありません。今日は全くごく普通の一日です。私も朝から授業に出かけなくてはなりません。

 とはいえ、お正月気分くらい味わいたいもの。
 昨日は近所に住む留学生などと、年越しそばと雑煮をいただき、正月気分を少しだけ味わうことができました。
 今年一年を楽しく充実したものにできるようにしたいと思いますが、さて、どうなることでしょうか。

 今年もまたよろしくお願い致します。

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Author:さらさや通称サラ
留学生としてイランへやって来て12年目。
テヘラン大学で日本語講師として働き始めて3年目。
テヘランの片隅でひっそりと(?)暮らしております。

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