日が落ちると急に寒くなるといういかにも高原乾燥地帯の気候にやられ、いつまでも風邪をひきずっています。週末にあちこち出かけたことも良くなかったと思うのですが、もうトシなのかね、とちょっとがっくりときています。
更に追い打ちをかけたのが、歯磨きの失敗で歯根が炎症を起こしてしまったことでした。ものを噛めなくて、食事をする気にもなれず、ぐったりとしています。
そんなこんなで本当ならゆっくりと休んでいたいのですが大学はそれを許してくれません。
テヘラン大学の外国語学部は先生の欠席に対して非常に厳しく、授業を休講にした場合、必ず補習をすることを義務づけています。そのために教務課の職員が、授業が始まって30分以内に各教室をチェックして、きちんと授業を行っているかどうか確認しているという徹底ぶりです。
私が通っていた文学部ではここまで徹底していませんでしたし、知り合いのいる政治学部ですと、一学期の半分くらいの授業が休講になる先生もいるそうですから不思議です。どうして同じ大学の中でこうも教務課の仕事に落差があるのだろうかと。
どうやら学期途中での「中間試験」も義務づけられているようですし、なんだか高校みたいです。ゼミ授業もないですし、卒業論文もなし。入学から卒業までただ授業を受けて試験を受けているだけ。レポート作成すらほとんどなくて。
まあそれがイランの大学なのですからそれに従うだけですが、学生と先生の健康のため、校舎だけは早く完成させて欲しいと思います。というか、せめて吹き抜け部分の天井と、一階部分の窓は早く入れて欲しいです。でないと、授業をする先生も、授業を受ける学生も、大学へ出てこれなくなること間違いなしですから。
実際、補習を行うのは大変なのです。
その授業に出ている学生全員が空いている時間を調整し、まだ建築途中でぎりぎりの数しかない教室を確保して、というのはなかなか至難の業です。そんなことなら、レポートの提出くらいで勘弁してくれないかなあと、ため息をつきつき大学へ出勤するのでした。
話を聞くと、他の先生も、補習をするのが嫌で、多少具合が悪くとも授業を行っているとのこと。体調が悪い先生が良い授業を行えるとも思いませんし、もうちょっと考えてくれないかなあと思わずにいられないこの二週間なのでした。
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更に追い打ちをかけたのが、歯磨きの失敗で歯根が炎症を起こしてしまったことでした。ものを噛めなくて、食事をする気にもなれず、ぐったりとしています。
そんなこんなで本当ならゆっくりと休んでいたいのですが大学はそれを許してくれません。
テヘラン大学の外国語学部は先生の欠席に対して非常に厳しく、授業を休講にした場合、必ず補習をすることを義務づけています。そのために教務課の職員が、授業が始まって30分以内に各教室をチェックして、きちんと授業を行っているかどうか確認しているという徹底ぶりです。
私が通っていた文学部ではここまで徹底していませんでしたし、知り合いのいる政治学部ですと、一学期の半分くらいの授業が休講になる先生もいるそうですから不思議です。どうして同じ大学の中でこうも教務課の仕事に落差があるのだろうかと。
どうやら学期途中での「中間試験」も義務づけられているようですし、なんだか高校みたいです。ゼミ授業もないですし、卒業論文もなし。入学から卒業までただ授業を受けて試験を受けているだけ。レポート作成すらほとんどなくて。
まあそれがイランの大学なのですからそれに従うだけですが、学生と先生の健康のため、校舎だけは早く完成させて欲しいと思います。というか、せめて吹き抜け部分の天井と、一階部分の窓は早く入れて欲しいです。でないと、授業をする先生も、授業を受ける学生も、大学へ出てこれなくなること間違いなしですから。
実際、補習を行うのは大変なのです。
その授業に出ている学生全員が空いている時間を調整し、まだ建築途中でぎりぎりの数しかない教室を確保して、というのはなかなか至難の業です。そんなことなら、レポートの提出くらいで勘弁してくれないかなあと、ため息をつきつき大学へ出勤するのでした。
話を聞くと、他の先生も、補習をするのが嫌で、多少具合が悪くとも授業を行っているとのこと。体調が悪い先生が良い授業を行えるとも思いませんし、もうちょっと考えてくれないかなあと思わずにいられないこの二週間なのでした。
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大家さんからの差し入れ。
奥の大きな器はハリーム。説明が非常に難しいのですが、一種の重湯のようなものでしょうか。
手前の小さな器の左はフェレニー。これも上手く説明できないのですが、卵の入らないカスタードのようなもの、でしょうか。
手前の右はショウレ・ザルド。サフラン風味のライスプディング、というと一番近いような気がします。
どれも、エフタール(断食明けの最初の食事)によく食べられるものなのですが、私にはこの三つを全部平らげるのはとても難しいのでした。
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昨日はイランが勝手に決めた「世界ゴドス(Qods=エルサレムのアラビア語式の呼び方)の日」でした。
イラン・イスラーム共和国建国の祖であるところのエマーム・ホメイニー師が、ラマダーン月の最後の金曜日をこの日にする、と定めたのだそうです。
イランのごく普通の人たちにしてみたら「だから?」というような記念日なのですが、イスラーム政権にとってはとても大切な日らしいです。エルサレムがムスリムのものであることを思い、パレスチナの抑圧された哀れな民に同情し、エルサレムを取り戻すまで戦うという誓いを新たにするのだそうですが、それがイランとどう関係するのか、イラン人自身が疑問に思っているようにも思います。それ以前に国内でやることは沢山あるだろう?というのはよく聞く意見ですし、全くその通りではないかと思うのですがどうなのでしょう。
大統領がイスラエルについて行ったという発言は、イランの国益よりも何よりも、政権が掲げる「イスラームの大儀」の方が大切だという宣言のようにも聞こえないでもありません。
その「世界ゴドスの日」に私は、テヘラン州の北部の山の中にあるというナーセロッディーン・シャー(在位1846-96年)の宮殿へと出かけていました。
この宮殿は、テヘランからカスピ海へと抜ける街道から枝分かれし、山の中へと分け入った突き当たりという、とんでもないところにありました。
「なんでこんなところに宮殿(正確には離宮か?)なんか作って、何をしていたんだろう?」
と言った私に、同行したイラン人の知り合いは、
「ヒッチ(何にも)」
と切り捨てていました。
確かに、ナーセロッディーン・シャーの時代は、ロシアやイギリスなどに次々と利権を奪われ、領土は狭まりという具合で、「何もしなかった支配者」と言いたくなるのでしょう。

ナーセロッディーン・シャーの宮殿跡。現在文化財保護庁により修復中。
宮殿からの帰り道、イラン国旗が掲げられた軽トラックやバネットが何台も通るので、何だろうと思ったところ、我々が通過してきた山の村々へ行って「世界ゴドスの日デモ行進」のためのサクラを連れてくるのだとのこと。
政府は100万人規模のデモ行進をすると言っていましたが、自発的な参加者は少ないらしく、政府関連組織や省庁、大学などに動員をかけ、それでも足りなくて、テヘラン周辺の村から人を集めてきて100万人規模に見せかけているのだなあと改めて感じたのでした。
これまでにも大学の友人などが、招集をかけられて持ちたくもないプラカードを持たされたと言っていたり、公務員が時間外手当をもらっているとか聞いていましたが、イランで行われている集会やデモ行進の参加者のうち、何割くらいが自発的に参加しているのだろうと興味を持ってしまったのでした。
恐らく、日本を初めとする海外ではこのデモ行進・集会の様子が報道されていたと思いますが、かなりの割合でサクラが混じっており、テヘラン市民は無関心だったことは間違いありません。
「ナーセロッディーン・シャーにしても今の政府にしても、どのくらい国民のことを考えているのか分かったもんじゃないよ」
だそうです。日本でも結局政治家の利権争いでしかないなあという場面にたびたび遭遇しますが、どの国でも政治というのは政治家のためのものなのかなと寂しさを感じないではいられませんでした。

町中に貼られていたポスター。
「アメリカに死を」「イスラエルに死を」だそうです。
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イラン・イスラーム共和国建国の祖であるところのエマーム・ホメイニー師が、ラマダーン月の最後の金曜日をこの日にする、と定めたのだそうです。
イランのごく普通の人たちにしてみたら「だから?」というような記念日なのですが、イスラーム政権にとってはとても大切な日らしいです。エルサレムがムスリムのものであることを思い、パレスチナの抑圧された哀れな民に同情し、エルサレムを取り戻すまで戦うという誓いを新たにするのだそうですが、それがイランとどう関係するのか、イラン人自身が疑問に思っているようにも思います。それ以前に国内でやることは沢山あるだろう?というのはよく聞く意見ですし、全くその通りではないかと思うのですがどうなのでしょう。
大統領がイスラエルについて行ったという発言は、イランの国益よりも何よりも、政権が掲げる「イスラームの大儀」の方が大切だという宣言のようにも聞こえないでもありません。
その「世界ゴドスの日」に私は、テヘラン州の北部の山の中にあるというナーセロッディーン・シャー(在位1846-96年)の宮殿へと出かけていました。
この宮殿は、テヘランからカスピ海へと抜ける街道から枝分かれし、山の中へと分け入った突き当たりという、とんでもないところにありました。
「なんでこんなところに宮殿(正確には離宮か?)なんか作って、何をしていたんだろう?」
と言った私に、同行したイラン人の知り合いは、
「ヒッチ(何にも)」
と切り捨てていました。
確かに、ナーセロッディーン・シャーの時代は、ロシアやイギリスなどに次々と利権を奪われ、領土は狭まりという具合で、「何もしなかった支配者」と言いたくなるのでしょう。

ナーセロッディーン・シャーの宮殿跡。現在文化財保護庁により修復中。
宮殿からの帰り道、イラン国旗が掲げられた軽トラックやバネットが何台も通るので、何だろうと思ったところ、我々が通過してきた山の村々へ行って「世界ゴドスの日デモ行進」のためのサクラを連れてくるのだとのこと。
政府は100万人規模のデモ行進をすると言っていましたが、自発的な参加者は少ないらしく、政府関連組織や省庁、大学などに動員をかけ、それでも足りなくて、テヘラン周辺の村から人を集めてきて100万人規模に見せかけているのだなあと改めて感じたのでした。
これまでにも大学の友人などが、招集をかけられて持ちたくもないプラカードを持たされたと言っていたり、公務員が時間外手当をもらっているとか聞いていましたが、イランで行われている集会やデモ行進の参加者のうち、何割くらいが自発的に参加しているのだろうと興味を持ってしまったのでした。
恐らく、日本を初めとする海外ではこのデモ行進・集会の様子が報道されていたと思いますが、かなりの割合でサクラが混じっており、テヘラン市民は無関心だったことは間違いありません。
「ナーセロッディーン・シャーにしても今の政府にしても、どのくらい国民のことを考えているのか分かったもんじゃないよ」
だそうです。日本でも結局政治家の利権争いでしかないなあという場面にたびたび遭遇しますが、どの国でも政治というのは政治家のためのものなのかなと寂しさを感じないではいられませんでした。

町中に貼られていたポスター。
「アメリカに死を」「イスラエルに死を」だそうです。
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ラマダーン中のテヘランで増えるもの。
昼間営業できないサンドイッチ屋などが営業する、クルーチェやホシュカール屋。
どちらもイランのお菓子の一つなのですが、通年でよく見るクルーチェはともかくホシュカールの方はラマダーン月になると増えるような気がします。
ホシュカールというのはこういうもの。

鉄板の上に、穴を開けた容器に入れた種を流す。
メッシュ状になるように種を流す。

できあがったメッシュの皮を二つ折りにして、次の人の手元へ投げる!

あんを詰め、中身がはみ出ないように周囲を押して止める。
中身は、砂糖、シナモン、カルダモン、その他何種類かのスパイス。

できあがり。
初めて見た時は春巻きかと思い。期待して食べてみたらとんでもなく甘く、びっくりしたことを覚えています。
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昼間営業できないサンドイッチ屋などが営業する、クルーチェやホシュカール屋。
どちらもイランのお菓子の一つなのですが、通年でよく見るクルーチェはともかくホシュカールの方はラマダーン月になると増えるような気がします。
ホシュカールというのはこういうもの。

鉄板の上に、穴を開けた容器に入れた種を流す。
メッシュ状になるように種を流す。

できあがったメッシュの皮を二つ折りにして、次の人の手元へ投げる!

あんを詰め、中身がはみ出ないように周囲を押して止める。
中身は、砂糖、シナモン、カルダモン、その他何種類かのスパイス。

できあがり。
初めて見た時は春巻きかと思い。期待して食べてみたらとんでもなく甘く、びっくりしたことを覚えています。
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イランに暮らしていてどうして?と思ったことの一つに、すぐにお金のことを訊かれるというものがあります。
「どうやって暮らしているの?」くらいならまだいいのですが、これが時に
「その仕事でいくらくらいもらっているの?」ときて、さらには
「家賃はいくらくらい払っているの?」となり、
「お父さんはいくらくらいもらっているの?」と聞かれることすらあります。
イランに来たばかりの頃は、どうして初対面に近い人、あるいは初対面のタクシーの運転手にそんなことを訊かれなくてはいけないのかと、非常に戸惑い、不愉快に思ったものでした。
答えたくないので黙っていると、こちらが答えるまで何度でも同じ質問を繰り返す人もいました。
「どうしてそんなことを訊くの?」と聞き返すと、
「どうして答えるのに問題があるんだ?」「興味があるから」と言い返されます。
「じゃあ、あなたはいくらくらいもらっているの?」と聞き返そうものなら、自分の生活がいかに苦しいかという革命イランにおける生活苦自慢が始まります。
イランに来たばかりの私にとってはなかなか難行苦行でした。今は、「答えたくないな〜」で終わりですが。
もちろん、私が答えたくない、答える気がないということが分かったところで質問を引っ込めたり、変な質問をして申し訳なかったと言ってくれる人もいましたが、イランに来た当初のイラン人に対する印象は、「お金の話が好きなんだなー」だったくらい、お金のことを訊かれてばかりでした。
考えてみたら、私がイランへ来た頃というのは、日本からの送金で一躍物持ちになった人や、日本から驚くほど多額のお金を持って帰ってきた人が多かった時期で、日本という国では一体いくらくらいお金が稼げるものなのか興味津々だったということもあったのでしょう。
でも、そんなこんなで、私の中では何となく、イランではお互いの収入や支出を尋ねるのはごく当たり前の挨拶の一環なのだ、というふうに位置づけられてしまったのでした。
ところで、先日、アンケート調査を手伝う機会がありました。
アンケートの初めに、基本的な質問として、性別や年齢、家族構成を尋ねる欄があり、その中には家族の年収を書く欄もありました。
その欄を見たかなりの人が、「どうしてこんなことを書かなくちゃいけないの?」と抵抗感を示しました。
結局あなた達だって自分の懐を探られるのは嫌なんじゃん!と、分かった瞬間でした。
ちなみに、自分がされて嫌なことは人にもしないようにしなさいというのは、イスラーム(もちろんイスラームに限らず)の道徳理念の中の一つだったはずだったはずだけどなあと、イスラーム・イランの倫理観を研究テーマにしている私はついついぼやいてしまったのでした。

エフタールのソフレ(食事のために床に敷く布やその上に並べられる食事も含む)。
この日のメニューは、大麦のスープ。ゴルメ・サブズィー(ハーブのシチュー)。ゼレシュク・ポロウ・ヴァ・モルグ(スグリの実を振りかけたご飯とチキンの煮込み)。サラダとヨーグルト。
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「どうやって暮らしているの?」くらいならまだいいのですが、これが時に
「その仕事でいくらくらいもらっているの?」ときて、さらには
「家賃はいくらくらい払っているの?」となり、
「お父さんはいくらくらいもらっているの?」と聞かれることすらあります。
イランに来たばかりの頃は、どうして初対面に近い人、あるいは初対面のタクシーの運転手にそんなことを訊かれなくてはいけないのかと、非常に戸惑い、不愉快に思ったものでした。
答えたくないので黙っていると、こちらが答えるまで何度でも同じ質問を繰り返す人もいました。
「どうしてそんなことを訊くの?」と聞き返すと、
「どうして答えるのに問題があるんだ?」「興味があるから」と言い返されます。
「じゃあ、あなたはいくらくらいもらっているの?」と聞き返そうものなら、自分の生活がいかに苦しいかという革命イランにおける生活苦自慢が始まります。
イランに来たばかりの私にとってはなかなか難行苦行でした。今は、「答えたくないな〜」で終わりですが。
もちろん、私が答えたくない、答える気がないということが分かったところで質問を引っ込めたり、変な質問をして申し訳なかったと言ってくれる人もいましたが、イランに来た当初のイラン人に対する印象は、「お金の話が好きなんだなー」だったくらい、お金のことを訊かれてばかりでした。
考えてみたら、私がイランへ来た頃というのは、日本からの送金で一躍物持ちになった人や、日本から驚くほど多額のお金を持って帰ってきた人が多かった時期で、日本という国では一体いくらくらいお金が稼げるものなのか興味津々だったということもあったのでしょう。
でも、そんなこんなで、私の中では何となく、イランではお互いの収入や支出を尋ねるのはごく当たり前の挨拶の一環なのだ、というふうに位置づけられてしまったのでした。
ところで、先日、アンケート調査を手伝う機会がありました。
アンケートの初めに、基本的な質問として、性別や年齢、家族構成を尋ねる欄があり、その中には家族の年収を書く欄もありました。
その欄を見たかなりの人が、「どうしてこんなことを書かなくちゃいけないの?」と抵抗感を示しました。
結局あなた達だって自分の懐を探られるのは嫌なんじゃん!と、分かった瞬間でした。
ちなみに、自分がされて嫌なことは人にもしないようにしなさいというのは、イスラーム(もちろんイスラームに限らず)の道徳理念の中の一つだったはずだったはずだけどなあと、イスラーム・イランの倫理観を研究テーマにしている私はついついぼやいてしまったのでした。

エフタールのソフレ(食事のために床に敷く布やその上に並べられる食事も含む)。
この日のメニューは、大麦のスープ。ゴルメ・サブズィー(ハーブのシチュー)。ゼレシュク・ポロウ・ヴァ・モルグ(スグリの実を振りかけたご飯とチキンの煮込み)。サラダとヨーグルト。
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昨日の早朝、こぽこぽという水の音で目が覚めました。
何事かと飛び起きたところ、シュファージュ(温水式暖房)に水が通る音でした。
この数日、テヘランの早朝の気温は6〜8度と大変に冷え込んでいたので、朝になって大家さんがボイラーを入れたのでしょう。寒さで目が覚めることがあったくらいなので、正直助かりました。
大学も早く暖房が入ってくれると良いのですが、まだまだ工事中で、いつになるやら見当がつきません。
開けた空間だからなのか、コンクリート造りであるからなのか、校舎の中は非常に寒く、先日も学生たちが、「凍りそう」とがたがた震えながら授業を受けていたくらいでした。大体、まだ窓が入っていないところも見られるので、吹きさらしの中で授業をしているようなものです。
大体、授業中も工事をしているため、がーがー、がんがんと工事音がうるさく、授業にならないこともしばしばです。
これだけ工期が遅れていたら、人員を増やすなりして完成させそうなものですが、イランはのんびりしたもので、こんな人数で大丈夫なのか?と思うような人数で、のんびりと工事を進めています。のんびりと丁寧な仕事をしているかというとそうでもなく、ペンキが大胆にはみ出して塗られていたり、天井のパネルがずれていたり、コンセントの差し込み口が一度使うとぱかりとはずれたり、なかなかイランらしいおおらかな作りの校舎ができあがりつつあります。そういえば、先日は男子トイレが詰まったと大騒ぎになっていました。
何事にもマイペースというのがイランの良いところであり悪いところであり。何とも難しいところです。
でも、学生や先生たちの健康のためにも、本格的な寒さがやってくる前に校舎を完成させて欲しいものだと思います。

エフタール(断食明けの食事)に欠かせないホルマー(デーツ)を軽トラックに乗せて流し売り。
「ホルマー。新鮮なホルマー」というスピーカーからの声に、今晩のホルマーを求める人が集まってくる。
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何事かと飛び起きたところ、シュファージュ(温水式暖房)に水が通る音でした。
この数日、テヘランの早朝の気温は6〜8度と大変に冷え込んでいたので、朝になって大家さんがボイラーを入れたのでしょう。寒さで目が覚めることがあったくらいなので、正直助かりました。
大学も早く暖房が入ってくれると良いのですが、まだまだ工事中で、いつになるやら見当がつきません。
開けた空間だからなのか、コンクリート造りであるからなのか、校舎の中は非常に寒く、先日も学生たちが、「凍りそう」とがたがた震えながら授業を受けていたくらいでした。大体、まだ窓が入っていないところも見られるので、吹きさらしの中で授業をしているようなものです。
大体、授業中も工事をしているため、がーがー、がんがんと工事音がうるさく、授業にならないこともしばしばです。
これだけ工期が遅れていたら、人員を増やすなりして完成させそうなものですが、イランはのんびりしたもので、こんな人数で大丈夫なのか?と思うような人数で、のんびりと工事を進めています。のんびりと丁寧な仕事をしているかというとそうでもなく、ペンキが大胆にはみ出して塗られていたり、天井のパネルがずれていたり、コンセントの差し込み口が一度使うとぱかりとはずれたり、なかなかイランらしいおおらかな作りの校舎ができあがりつつあります。そういえば、先日は男子トイレが詰まったと大騒ぎになっていました。
何事にもマイペースというのがイランの良いところであり悪いところであり。何とも難しいところです。
でも、学生や先生たちの健康のためにも、本格的な寒さがやってくる前に校舎を完成させて欲しいものだと思います。

エフタール(断食明けの食事)に欠かせないホルマー(デーツ)を軽トラックに乗せて流し売り。
「ホルマー。新鮮なホルマー」というスピーカーからの声に、今晩のホルマーを求める人が集まってくる。
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今日はイラン暦アーバーン月3日、イスラーム・ヒジュラ暦21日、西暦10月25日。
今日は、シーア派初代イマーム・アリーの殉教日です。詳しくはこちらをどうぞ。
イマーム・アリーは、結果的にムスリム共同体(ウンマ)がスンニー派とシーア派に分裂するきっかけを作った人物ですが、シーア派世界では預言者ムハンマド以上に尊敬を払われているのではないかと感ずるほど、彼と彼の息子、第三代目イマーム・フサインの英雄化が行われています。スンニー派の留学生の中には、「シーア派の人たちは、イマームをまるで神であるかのように扱っている。そんなことは許されていないはずなのに」と違和感を訴える人もいました。
そういった現代の話はさておき、預言者ムハンマドが布教を始めた当初、ムスリム勢力が拡大することを恐れた人々がムスリムを弾圧し、何度もムスリム勢力と敵対勢力の間で戦闘が起こりました。そしてその戦闘の中で、アリーが勇敢に戦い、何度も預言者軍を助けたことは事実であり、その勇敢さ故に彼は「ハイダル=獅子」という異名で呼ばれることもありました。
彼はあくまで武人であり、拡大し、複雑化するムスリム共同体の運営という政治には向かない人であったのかもしれません。そのため、分裂していく共同体をまとめられず、暗殺されてしまったのでした。
数年前、まだアメリカがイラクに侵攻する前のラマダーン月のことでした。
私が時々足を運ぶテヘラン市内の聖者廟に、一枚のポスターが貼られていました。読んでみると、その聖者廟で殉教者を埋葬する式典が行われるというものでした。
その年は、何体もの遺体がイラクから帰ってきて、その中には認識票もなく、名前も分からない遺体が何体もあったとのこと。そうした無名戦士の遺体を、テヘラン市内にあるいくつかの聖者廟で埋葬することになったのだそうです。私が通っていた聖者廟にも、五体の遺体の埋葬が割り当てられていたのです。
そのようにしてイランに帰ってきた遺体の埋葬式が、イマーム・アリーの殉教日に合わせて執り行われたのでした。

埋葬式の告知ポスター。
この埋葬式に関わる責任者たちにお願いをして、写真撮影の許可をもらい、埋葬式の端っこに加えてもらいました。

アリーの殉教日の夕方、聖者廟のある地区のホセイニーエ(一種の集会場)に棺が安置され、礼拝が行われる。

ホセイニーエから棺が運び出され、聖者廟へと向かう。

ホセイニーエから聖者廟までの道のりを、その地区の住民が棺について行列をつくって練り歩く。

聖者廟の駐車場に掘られた墓穴。墓穴のサイズはちゃんと決まっている。太った人には入れなさそうなサイズ。
殉教者は天国へ行くことが決まっており(これはコーランに書かれている)、また、72人のとりなしをできると言われているため(これはコーランに書かれていなかったと思う)、自分を取りなしてもらおうと、遺体が到着するまでの間、この墓穴の中で礼拝を行っている人も見られた。さすがはコネ天国。

人で埋め尽くされた聖者廟の駐車場に棺が到着。

ロウゼ(殉教者を悼む哀悼の辞)の後、遺体が棺から取り出されて墓穴へと運ばれる。
小さく、軽い布の包みに、彼らが完全に骨になっていることがうかがわれる。
イスラームでは棺ごと埋葬せず、遺体に経帷子を着せ、布にくるんで埋葬する。棺はあくまで運搬用で、繰り返し使われる。

駐車場の一角には女性たちが。
遺体をくるんだ布包みを見て、泣き出す人も多かった。
また、彼らの持っているであろうバラカ(霊力)を分けてもらおうと、自分のスカーフや数珠を埋葬担当者たちに手渡し、遺体に触れさせてもらう人も。それを身につけていることで、殉教者の霊力によって守られるとのこと。
また、持参した薔薇水を遺体に振りかけようとする人も。

聖者廟の管理者たちが安置した遺体の上に煉瓦を置き(遺体に土が被さらないように)、墓穴に土を入れていく。

埋葬式終了。
墓の位置には旗が立てられ目印に。
その土に手を触れ、哀悼の意を表してから帰る人も多かった。

埋葬式から約一週間後、断食明けの集団礼拝の日の様子。
集団礼拝に訪れる人々が、ろうそくや花を供え、彼らのために祈りを捧げていた。

一年後の様子。
墓石が置かれていた。
名前も分からぬ無名戦士だったはずなのに、なぜか年齢が、18才、19才などと入っていて、微妙な気持ちに。
埋葬式の中では初め、女性たちが涙を流していることに、「どうせ雰囲気に流されているだけでしょ」と、少し冷ややかな気持ちでいました。
でも、考えてみたら、ここに埋葬された五人の家族は、彼らが死んだことも知らず、ここに埋葬されたことも知らないのです。死者とのつながりを大切にするイランにおいて、これは悲しいことに違いありません。それを想像したら悲しい気持ちになるでしょう。まして、情に厚いところがあるイランの人たちにとって、それは想像するだに辛いことに違いありません。
この戦争と戦死者たちについては色々と思うことが沢山あるのですが、沢山ありすぎて簡単に語ることができません。
この聖者廟ではエフタール(断食明けの食事)を配っていないので、近くにあるもう一つの聖者廟へと移動したところ、そこでも埋葬式が行われた後でした。
そこでは、埋葬された兵士の家族が墓の周囲に集まって涙を流していました。
家族の一人がナズル(願掛け)のお菓子を配っていました。きっと、彼が帰ってくるようにと願掛けをしていたのだろうなあと思いながらお菓子を一つもらったのですが、他の時とは違い、なんともやるせない気持ちがぬぐえなかったことを覚えています。
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今日は、シーア派初代イマーム・アリーの殉教日です。詳しくはこちらをどうぞ。
イマーム・アリーは、結果的にムスリム共同体(ウンマ)がスンニー派とシーア派に分裂するきっかけを作った人物ですが、シーア派世界では預言者ムハンマド以上に尊敬を払われているのではないかと感ずるほど、彼と彼の息子、第三代目イマーム・フサインの英雄化が行われています。スンニー派の留学生の中には、「シーア派の人たちは、イマームをまるで神であるかのように扱っている。そんなことは許されていないはずなのに」と違和感を訴える人もいました。
そういった現代の話はさておき、預言者ムハンマドが布教を始めた当初、ムスリム勢力が拡大することを恐れた人々がムスリムを弾圧し、何度もムスリム勢力と敵対勢力の間で戦闘が起こりました。そしてその戦闘の中で、アリーが勇敢に戦い、何度も預言者軍を助けたことは事実であり、その勇敢さ故に彼は「ハイダル=獅子」という異名で呼ばれることもありました。
彼はあくまで武人であり、拡大し、複雑化するムスリム共同体の運営という政治には向かない人であったのかもしれません。そのため、分裂していく共同体をまとめられず、暗殺されてしまったのでした。
数年前、まだアメリカがイラクに侵攻する前のラマダーン月のことでした。
私が時々足を運ぶテヘラン市内の聖者廟に、一枚のポスターが貼られていました。読んでみると、その聖者廟で殉教者を埋葬する式典が行われるというものでした。
その年は、何体もの遺体がイラクから帰ってきて、その中には認識票もなく、名前も分からない遺体が何体もあったとのこと。そうした無名戦士の遺体を、テヘラン市内にあるいくつかの聖者廟で埋葬することになったのだそうです。私が通っていた聖者廟にも、五体の遺体の埋葬が割り当てられていたのです。
そのようにしてイランに帰ってきた遺体の埋葬式が、イマーム・アリーの殉教日に合わせて執り行われたのでした。

埋葬式の告知ポスター。
この埋葬式に関わる責任者たちにお願いをして、写真撮影の許可をもらい、埋葬式の端っこに加えてもらいました。

アリーの殉教日の夕方、聖者廟のある地区のホセイニーエ(一種の集会場)に棺が安置され、礼拝が行われる。

ホセイニーエから棺が運び出され、聖者廟へと向かう。

ホセイニーエから聖者廟までの道のりを、その地区の住民が棺について行列をつくって練り歩く。

聖者廟の駐車場に掘られた墓穴。墓穴のサイズはちゃんと決まっている。太った人には入れなさそうなサイズ。
殉教者は天国へ行くことが決まっており(これはコーランに書かれている)、また、72人のとりなしをできると言われているため(これはコーランに書かれていなかったと思う)、自分を取りなしてもらおうと、遺体が到着するまでの間、この墓穴の中で礼拝を行っている人も見られた。さすがはコネ天国。

人で埋め尽くされた聖者廟の駐車場に棺が到着。

ロウゼ(殉教者を悼む哀悼の辞)の後、遺体が棺から取り出されて墓穴へと運ばれる。
小さく、軽い布の包みに、彼らが完全に骨になっていることがうかがわれる。
イスラームでは棺ごと埋葬せず、遺体に経帷子を着せ、布にくるんで埋葬する。棺はあくまで運搬用で、繰り返し使われる。

駐車場の一角には女性たちが。
遺体をくるんだ布包みを見て、泣き出す人も多かった。
また、彼らの持っているであろうバラカ(霊力)を分けてもらおうと、自分のスカーフや数珠を埋葬担当者たちに手渡し、遺体に触れさせてもらう人も。それを身につけていることで、殉教者の霊力によって守られるとのこと。
また、持参した薔薇水を遺体に振りかけようとする人も。

聖者廟の管理者たちが安置した遺体の上に煉瓦を置き(遺体に土が被さらないように)、墓穴に土を入れていく。

埋葬式終了。
墓の位置には旗が立てられ目印に。
その土に手を触れ、哀悼の意を表してから帰る人も多かった。

埋葬式から約一週間後、断食明けの集団礼拝の日の様子。
集団礼拝に訪れる人々が、ろうそくや花を供え、彼らのために祈りを捧げていた。

一年後の様子。
墓石が置かれていた。
名前も分からぬ無名戦士だったはずなのに、なぜか年齢が、18才、19才などと入っていて、微妙な気持ちに。
埋葬式の中では初め、女性たちが涙を流していることに、「どうせ雰囲気に流されているだけでしょ」と、少し冷ややかな気持ちでいました。
でも、考えてみたら、ここに埋葬された五人の家族は、彼らが死んだことも知らず、ここに埋葬されたことも知らないのです。死者とのつながりを大切にするイランにおいて、これは悲しいことに違いありません。それを想像したら悲しい気持ちになるでしょう。まして、情に厚いところがあるイランの人たちにとって、それは想像するだに辛いことに違いありません。
この戦争と戦死者たちについては色々と思うことが沢山あるのですが、沢山ありすぎて簡単に語ることができません。
この聖者廟ではエフタール(断食明けの食事)を配っていないので、近くにあるもう一つの聖者廟へと移動したところ、そこでも埋葬式が行われた後でした。
そこでは、埋葬された兵士の家族が墓の周囲に集まって涙を流していました。
家族の一人がナズル(願掛け)のお菓子を配っていました。きっと、彼が帰ってくるようにと願掛けをしていたのだろうなあと思いながらお菓子を一つもらったのですが、他の時とは違い、なんともやるせない気持ちがぬぐえなかったことを覚えています。
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ラマダーンもそろそろ終盤にさしかかろうとしています。
ラマダーン月の断食は、10才以下の子ども(国や法学派によって少し違いがあり、14才まではしなくて良いという考え方も多い)、病人、旅行者、妊婦、授乳中の女性、月経や産後で出血のあるもの、高齢者、精神病を患っているものを除いた全ムスリムが行うべきものです。
しかし実際には、色々と理由をつけて、自分が上の条件に当てはまっているから断食をしない、という人もいます。
例えば、町の外へ出かけることを「旅に出ているから」と言い、昼食をしっかり食べたりすることなどはよく行われていますし、お金持ちのムスリムはこの時期になると大挙して海外への旅行者となるそうです。
そんな風に、自分が住む町から移動することは「旅」として認識されている以上、町と町を結ぶ街道沿いに設けられたドライブインやレストランの中には、旅人のために昼食を用意しているところもあります。もちろん全ての食堂やレストランが昼食を用意しているわけではなく、ごく一部に過ぎませんが、このごろでは、町の中でもこっそり営業している食堂があるそうですから驚きです。
外国人が泊まるようなホテルではロビーのラウンジは閉めてもレストランは営業しているというところも多いのですが、ホテルによっては「宿泊客以外の食事はお断り」と張り紙を出して、断食を守らない人が入り込むことを禁ずるところもあったりします。それどころか、外国人客がいるにもかかわらず、ホテル内のレストランを完全に閉めてしまうところもあるのですから、これまた驚きです。
断食をするかしないか、それを人にも強制するかしないか、考え方は色々のようです。

これは、テヘランとカスピ海地方を結ぶ街道沿いにあるレストランの一つ。食事をする人が外から見えないように、新聞で目張りがしてある。週末の昼食時でも普段ほど混まないが、それでもやはり食事をする人の姿がちらほら。

これは近所の人からの差し入れのアーシェ・レシュテ(イラン風麺入りスープ)。イランのエフタール(断食明けの食事)の定番の一つ。
刻んだハーブと豆類をスープで煮込み、短く切った麺を入れてあるもの。上にかかっているのは、炒め玉葱、ミントを油で煮立てたものとキャシュク(乳製品の一種でブルーチーズのような独特の味と匂いがあるもの)。
海外にいるイラン人に、「イランに帰ってまず食べたいものは?」と訊くと、かなりの割合でこれを食べたいという返答がかえってくる。イランの家庭の味の代表らしい。
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ラマダーン月の断食は、10才以下の子ども(国や法学派によって少し違いがあり、14才まではしなくて良いという考え方も多い)、病人、旅行者、妊婦、授乳中の女性、月経や産後で出血のあるもの、高齢者、精神病を患っているものを除いた全ムスリムが行うべきものです。
しかし実際には、色々と理由をつけて、自分が上の条件に当てはまっているから断食をしない、という人もいます。
例えば、町の外へ出かけることを「旅に出ているから」と言い、昼食をしっかり食べたりすることなどはよく行われていますし、お金持ちのムスリムはこの時期になると大挙して海外への旅行者となるそうです。
そんな風に、自分が住む町から移動することは「旅」として認識されている以上、町と町を結ぶ街道沿いに設けられたドライブインやレストランの中には、旅人のために昼食を用意しているところもあります。もちろん全ての食堂やレストランが昼食を用意しているわけではなく、ごく一部に過ぎませんが、このごろでは、町の中でもこっそり営業している食堂があるそうですから驚きです。
外国人が泊まるようなホテルではロビーのラウンジは閉めてもレストランは営業しているというところも多いのですが、ホテルによっては「宿泊客以外の食事はお断り」と張り紙を出して、断食を守らない人が入り込むことを禁ずるところもあったりします。それどころか、外国人客がいるにもかかわらず、ホテル内のレストランを完全に閉めてしまうところもあるのですから、これまた驚きです。
断食をするかしないか、それを人にも強制するかしないか、考え方は色々のようです。

これは、テヘランとカスピ海地方を結ぶ街道沿いにあるレストランの一つ。食事をする人が外から見えないように、新聞で目張りがしてある。週末の昼食時でも普段ほど混まないが、それでもやはり食事をする人の姿がちらほら。

これは近所の人からの差し入れのアーシェ・レシュテ(イラン風麺入りスープ)。イランのエフタール(断食明けの食事)の定番の一つ。
刻んだハーブと豆類をスープで煮込み、短く切った麺を入れてあるもの。上にかかっているのは、炒め玉葱、ミントを油で煮立てたものとキャシュク(乳製品の一種でブルーチーズのような独特の味と匂いがあるもの)。
海外にいるイラン人に、「イランに帰ってまず食べたいものは?」と訊くと、かなりの割合でこれを食べたいという返答がかえってくる。イランの家庭の味の代表らしい。
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昨晩は、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月18日、最初のシャベ・ガドゥル(アラビア語ではライラトゥル・カドゥル)でした。
詳しい話は、昨年の説明をお読み下さい。
中東では伝統的には、日没によって日付が変わるので、18日の日没以降は19日になります。そのため、昨夜は18日でしたが「ラマダーン月後半の奇数日」にあたるわけです。
シャベ・ガドゥルの夜に徹夜で詠まれるドアーについては昨年説明していますが、ムスリムの名前には、アッラーの99の異名から取られているものが多くあります。
私の友人の友人の話ですが、「ジョウシャン・キャビールのドアーを詠んでいると、知り合いの名前があったりして、ついつい笑ってしまうのよね〜」だそうです。普段、ろくでもないことばかりしている人の名前が、神の異名として、そしてそれを詠む人を悪から守るものとして現れたら、確かに笑ってしまうのかもしれません。
こういう人もいますが、ドアーを詠む集いに参加している人は、現世で悪に染まらぬよう、来世において幸福であるようにと真剣です。
しかし、シーア派イスラーム政権イランにおいては、何よりもイマームたちへの哀悼行事が大切で、この真剣な行事にまでイマームたちへの哀悼(アザーダーリー)を持ち込み、信者を戸惑わせることがあります。
一昨年のことですが、あるジョウシャン・キャビールのドアーの集いに参加していた時のことです。
ジョウシャン・キャビールのドアーは最初から最後まで全部を詠むと長くかかるので、所々で休憩のように、ドアーを休み、読み手による説教が挟まります。
この時は、ちょうど真ん中あたりで説教が始まりました。
はじめはムスリムとしてあるべき生き方のような説教だったのですが、説教がなんだか妙な熱を帯び、気がつくと、イマーム・フサインの殉教の悲劇語り(ロウゼ)にすり替わっていました。これは、シャベ・ガドゥルの夜ではなく、アーシュラーの時に行うべき悲劇語りです。シャベ・ガドゥルとは全く違う行事です。
ドアーの集いに参加していた女性たちは「?????」と思いながらも、読み手の指示に従って、涙を流したり、胸を叩いたりしてイマーム・フサインへの哀悼の意を表していました。その時点ではみんな、悲劇語りが終わったらドアーが再開されるだろうと思っていました。
しかし、なんと、悲劇語りが終わると同時に、ドアーの集いも終わってしまったのです。
女性たちはまずいぶかしみ、本当にドアーの集いが終わってしまったことを知り、怒り始めました。
「ジョウシャン・キャビールのドアーを最後まで詠まないでどうするの!?」
「どうしてドアーを詠まないで、アザーダーリーをしなくちゃいけないの!?」
「神様は最後まで詠むことができなかった私たちを許してくれるかしら?」
悪から身を守ってくれるジョウシャン・キャビール(大鎧)のドアーを半分しか詠まなかったということは、鎧が半分しか身に纏うことができなかったということで、出席者が不安に思うのももっともです。いくらシーア派政権だからといって、これはちょっとあんまりです。イマームたちの死を悼む時は悼む時、ジョウシャン・キャビールのドアーを詠む時は詠む時で、きちんと区別すべきだと思うのですが。祝祭日のほとんどがイマームとその関係者の殉教日であるイランでは、イマームたちの死を悼む機会には事欠かないのですから、シャベ・ガドゥルくらいはたとえロウゼをはさんだとしても、ジョウシャン・キャビールのドアーを最後まで詠むべきじゃないのかなあと、非常に疑問に思ったのでした。
出席者たちの怒りが主宰者に届いたのか、二回目のシャベ・ガドゥルの集いでは、ちゃんと最後までジョウシャン・キャビールのドアーを詠むことができたのでした。

シャベ・ガドゥルに際しての大家さんからの差し入れのハルヴァー。
イランの菓子の例に漏れず、甘くて油っぽいので一皿完食するのは大変。でも、祈りの気持ちが込められたものなので、できるだけ食べるように努力。
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詳しい話は、昨年の説明をお読み下さい。
中東では伝統的には、日没によって日付が変わるので、18日の日没以降は19日になります。そのため、昨夜は18日でしたが「ラマダーン月後半の奇数日」にあたるわけです。
シャベ・ガドゥルの夜に徹夜で詠まれるドアーについては昨年説明していますが、ムスリムの名前には、アッラーの99の異名から取られているものが多くあります。
私の友人の友人の話ですが、「ジョウシャン・キャビールのドアーを詠んでいると、知り合いの名前があったりして、ついつい笑ってしまうのよね〜」だそうです。普段、ろくでもないことばかりしている人の名前が、神の異名として、そしてそれを詠む人を悪から守るものとして現れたら、確かに笑ってしまうのかもしれません。
こういう人もいますが、ドアーを詠む集いに参加している人は、現世で悪に染まらぬよう、来世において幸福であるようにと真剣です。
しかし、シーア派イスラーム政権イランにおいては、何よりもイマームたちへの哀悼行事が大切で、この真剣な行事にまでイマームたちへの哀悼(アザーダーリー)を持ち込み、信者を戸惑わせることがあります。
一昨年のことですが、あるジョウシャン・キャビールのドアーの集いに参加していた時のことです。
ジョウシャン・キャビールのドアーは最初から最後まで全部を詠むと長くかかるので、所々で休憩のように、ドアーを休み、読み手による説教が挟まります。
この時は、ちょうど真ん中あたりで説教が始まりました。
はじめはムスリムとしてあるべき生き方のような説教だったのですが、説教がなんだか妙な熱を帯び、気がつくと、イマーム・フサインの殉教の悲劇語り(ロウゼ)にすり替わっていました。これは、シャベ・ガドゥルの夜ではなく、アーシュラーの時に行うべき悲劇語りです。シャベ・ガドゥルとは全く違う行事です。
ドアーの集いに参加していた女性たちは「?????」と思いながらも、読み手の指示に従って、涙を流したり、胸を叩いたりしてイマーム・フサインへの哀悼の意を表していました。その時点ではみんな、悲劇語りが終わったらドアーが再開されるだろうと思っていました。
しかし、なんと、悲劇語りが終わると同時に、ドアーの集いも終わってしまったのです。
女性たちはまずいぶかしみ、本当にドアーの集いが終わってしまったことを知り、怒り始めました。
「ジョウシャン・キャビールのドアーを最後まで詠まないでどうするの!?」
「どうしてドアーを詠まないで、アザーダーリーをしなくちゃいけないの!?」
「神様は最後まで詠むことができなかった私たちを許してくれるかしら?」
悪から身を守ってくれるジョウシャン・キャビール(大鎧)のドアーを半分しか詠まなかったということは、鎧が半分しか身に纏うことができなかったということで、出席者が不安に思うのももっともです。いくらシーア派政権だからといって、これはちょっとあんまりです。イマームたちの死を悼む時は悼む時、ジョウシャン・キャビールのドアーを詠む時は詠む時で、きちんと区別すべきだと思うのですが。祝祭日のほとんどがイマームとその関係者の殉教日であるイランでは、イマームたちの死を悼む機会には事欠かないのですから、シャベ・ガドゥルくらいはたとえロウゼをはさんだとしても、ジョウシャン・キャビールのドアーを最後まで詠むべきじゃないのかなあと、非常に疑問に思ったのでした。
出席者たちの怒りが主宰者に届いたのか、二回目のシャベ・ガドゥルの集いでは、ちゃんと最後までジョウシャン・キャビールのドアーを詠むことができたのでした。

シャベ・ガドゥルに際しての大家さんからの差し入れのハルヴァー。
イランの菓子の例に漏れず、甘くて油っぽいので一皿完食するのは大変。でも、祈りの気持ちが込められたものなので、できるだけ食べるように努力。
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またまた子どもの写真から。
昨日の女の子の従兄弟です。

彼を見ていると、押し入れに潜り込んでは叱られていた自分を思い出します。
どうして子どもって、狭い場所に潜り込むのが好きなんでしょうね。
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昨日の女の子の従兄弟です。

彼を見ていると、押し入れに潜り込んでは叱られていた自分を思い出します。
どうして子どもって、狭い場所に潜り込むのが好きなんでしょうね。
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今日は頭痛に悩まされております。
毎年この季節は体調が良くなくて困ります。
PCに向かう気力もないので、友人の娘さんの写真でちょっとごまかし。

まだ3つそこそこで、既にポーズやカメラ目線を心得ていらっしゃいます。末恐ろしや。
いや、かわいいんですけどね。
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毎年この季節は体調が良くなくて困ります。
PCに向かう気力もないので、友人の娘さんの写真でちょっとごまかし。

まだ3つそこそこで、既にポーズやカメラ目線を心得ていらっしゃいます。末恐ろしや。
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今日はイラン暦メフル月28日、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月15日、西暦10月20日です。
今日はシーア派第二代目イマーム・ハサンの誕生日です。
彼については去年も書いているので、そちらをご参照下さい。
今日でラマダーンも折り返し。イマーム・ハサンの誕生日は、ラマダーンが半分まで来たよと教えてくれているような気がします。
今日は風邪でダウン気味なので、これでお休みさせていただきます。
今が真っ盛りのざくろをどうぞ。

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今日はシーア派第二代目イマーム・ハサンの誕生日です。
彼については去年も書いているので、そちらをご参照下さい。
今日でラマダーンも折り返し。イマーム・ハサンの誕生日は、ラマダーンが半分まで来たよと教えてくれているような気がします。
今日は風邪でダウン気味なので、これでお休みさせていただきます。
今が真っ盛りのざくろをどうぞ。

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一日の断食で空っぽの胃には、まず、具だくさんのスープかアーシュ(イラン風麺入りスープ)から。
写真の大麦や野菜の入ったスープは大家さんからの差し入れだったのですが、断食をしていない私には、このスープだけでも十分お腹一杯になってしまうのでした。このあとすぐにまた普通の夕食も食べるのですから、断食期間中はかえって太るというのが分かるような気がします。
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> ラマダーンもそろそろ中盤。真面目に断食している人の中には疲れが見える人も出てきました。
それでも、きちんと断食をして、仕事もしている人を目にすると、そういう厳しい信仰心のない私としては自然と頭が下がります。
ラマダーン中に増えるもの。
ラマダーン中は、断食をしているはずなのに、普段の時よりも食料の消費量が増えます。日没後に、親戚や友人の家でおよばれ、ということや、貧しい人などに食事をふるまう人が増えるためだそうですが、食料品の値段などが上がるため、ちょっと困ってしまいます。
ラマダーン中に特に消費量が増える食べ物の一つがホルマー(棗椰子)です。
これは、預言者ムハンマドが断食を解く時に棗椰子で解いていたという習慣から来ているそうです。
ホルマーとお茶、お菓子(先日ご紹介したズールビヤーやバーミーエなど)、スープあるいはアーシュ(イラン風麺入りスープ)などで、一日空っぽだった胃を慣らし、それから食事をとるというのがイランでのエフタール(断食明けの食事)のスタンダードのようです。

これは箱に入ったホルマー。黒いホルマーはバム産が最高級品。一箱、200円くらいから。

こちらは量り売りのホルマー。黄色みがかったホルマーは、イラン南部ファールス州のジャフロム産。
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それでも、きちんと断食をして、仕事もしている人を目にすると、そういう厳しい信仰心のない私としては自然と頭が下がります。
ラマダーン中に増えるもの。
けんか
交通事故
様々な寄付金
食料消費量
物価
ラマダーン中は、断食をしているはずなのに、普段の時よりも食料の消費量が増えます。日没後に、親戚や友人の家でおよばれ、ということや、貧しい人などに食事をふるまう人が増えるためだそうですが、食料品の値段などが上がるため、ちょっと困ってしまいます。
ラマダーン中に特に消費量が増える食べ物の一つがホルマー(棗椰子)です。
これは、預言者ムハンマドが断食を解く時に棗椰子で解いていたという習慣から来ているそうです。
ホルマーとお茶、お菓子(先日ご紹介したズールビヤーやバーミーエなど)、スープあるいはアーシュ(イラン風麺入りスープ)などで、一日空っぽだった胃を慣らし、それから食事をとるというのがイランでのエフタール(断食明けの食事)のスタンダードのようです。

これは箱に入ったホルマー。黒いホルマーはバム産が最高級品。一箱、200円くらいから。

こちらは量り売りのホルマー。黄色みがかったホルマーは、イラン南部ファールス州のジャフロム産。
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マシュハド旅行の目的は、マシュハドにあるレザー廟の参詣ではなく、マシュハドから北に150キロほどのところにあるキャラーテ・ナーデリーという小さな町にある、ちょっとイランでは他に類を見ない建物を見ることでした。
これについてはまた改めてお話しすると思いますが、ここではこの旅行の中でどうしても気になったことを一つお話ししてみたいと思います。
キャラーテ・ナーデリーは小さいですが歴史の古い町で、いくつかの歴史的建築物が残っています。しかし小さな町ですから、それらを見終わってもまだ十分に時間がありました。私たちにつきあってくれた運転手が、町の近くにとてもきれいな渓谷があり、それは是非見た方がいいと勧めてくれました。

細い渓谷には大小いくつもの滝があり、そこにかけられたはしごを使って上流まで上ることができるというもので、なかなか楽しかったと言えるのですが、心の底から楽しむ気分になれなかった大きな理由がところ構わず投げ捨てられているゴミの山でした。

このブログの中で色々とイランの人たちの行動について文句をつけていますが、「まあ、イランなんだし」とそれで済ませていることも実は沢山あります。しかし、どうしても寛容になれないしなりたくないことの一つが、「どこにでもゴミを投げ捨てること」です。
イランの人は家の中をきれいにすることに関しては怠け者の私が常々尊敬しているくらいで、いつでもきれいに整理整頓され、ほこりが積もっている家などほとんど見たことがありません。しかし、家の外に関しては全く無関心です。どんなゴミでもぽいぽいと平気で道ばたに捨ててしまうのです。どうしてそういうことができるのかと不思議に思うほどです。
こうした投げ捨てゴミ対策として、テヘラン市役所をはじめとする各市市役所は、アフガン人労働者などを安く雇い、毎日町中を掃除させることで町の美観を保っています。しかしこれはどこかおかしな話で、それ以前に、人々に「家の外にゴミを投げ捨てることはいけないことだ」ということを徹底する必要があるのではないかと思うのですが、時々「私たちの町は私たちの家」というスローガンが書かれたポスターを目にするくらいで、どれほど積極的に国民教育を行っているのか疑問が残ります。
運転手に連れられて渓谷を訪れて、友人と「これって美しい渓谷ですか?」と激しく疑問を持ってしまいました。流れの中に、川岸に、至る所にお菓子の袋やジュースのペットボトルが投げ捨てられています。イランの人は、本当にこういう光景が美しい光景だと思っているのでしょうか?不思議でなりません。
「まあ、きれい!」と歓声を上げながら渓谷を上り下りしている人たちを見ながら、「本当に?でも、彼らはそう思っているんだろうなあ」と、何とも悲しい気分になってしまったのでした。

二人でいればゴミなんて目に入らないわ。というところなんでしょうか?

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これについてはまた改めてお話しすると思いますが、ここではこの旅行の中でどうしても気になったことを一つお話ししてみたいと思います。
キャラーテ・ナーデリーは小さいですが歴史の古い町で、いくつかの歴史的建築物が残っています。しかし小さな町ですから、それらを見終わってもまだ十分に時間がありました。私たちにつきあってくれた運転手が、町の近くにとてもきれいな渓谷があり、それは是非見た方がいいと勧めてくれました。

細い渓谷には大小いくつもの滝があり、そこにかけられたはしごを使って上流まで上ることができるというもので、なかなか楽しかったと言えるのですが、心の底から楽しむ気分になれなかった大きな理由がところ構わず投げ捨てられているゴミの山でした。

このブログの中で色々とイランの人たちの行動について文句をつけていますが、「まあ、イランなんだし」とそれで済ませていることも実は沢山あります。しかし、どうしても寛容になれないしなりたくないことの一つが、「どこにでもゴミを投げ捨てること」です。
イランの人は家の中をきれいにすることに関しては怠け者の私が常々尊敬しているくらいで、いつでもきれいに整理整頓され、ほこりが積もっている家などほとんど見たことがありません。しかし、家の外に関しては全く無関心です。どんなゴミでもぽいぽいと平気で道ばたに捨ててしまうのです。どうしてそういうことができるのかと不思議に思うほどです。
こうした投げ捨てゴミ対策として、テヘラン市役所をはじめとする各市市役所は、アフガン人労働者などを安く雇い、毎日町中を掃除させることで町の美観を保っています。しかしこれはどこかおかしな話で、それ以前に、人々に「家の外にゴミを投げ捨てることはいけないことだ」ということを徹底する必要があるのではないかと思うのですが、時々「私たちの町は私たちの家」というスローガンが書かれたポスターを目にするくらいで、どれほど積極的に国民教育を行っているのか疑問が残ります。
運転手に連れられて渓谷を訪れて、友人と「これって美しい渓谷ですか?」と激しく疑問を持ってしまいました。流れの中に、川岸に、至る所にお菓子の袋やジュースのペットボトルが投げ捨てられています。イランの人は、本当にこういう光景が美しい光景だと思っているのでしょうか?不思議でなりません。
「まあ、きれい!」と歓声を上げながら渓谷を上り下りしている人たちを見ながら、「本当に?でも、彼らはそう思っているんだろうなあ」と、何とも悲しい気分になってしまったのでした。

二人でいればゴミなんて目に入らないわ。というところなんでしょうか?

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先日、マシュハドへ行ってきたと言いましたが、交通費と宿泊費を節約するために夜行列車での旅でした。
チケットの値段は長距離バスよりも高いのですが、足を伸ばして座ったり寝たりできるというのは助かります。ただ、まだ路線の数が少ないために行ける場所が限られてしまうことと、列車の数も少ないのでチケットがなかなかとりにくいというのが難点です。今回も、三週間も前から申し込んでいながら、チケットの確定ができたのが出発前日という慌ただしさでした。

テヘラン駅。
テヘラン市のかなり南にあり、テヘランの南バスターミナルにも近いため周囲は常に渋滞している状態で、私の家からだとまずここへ辿り着くのが大変。

駅の中。
旅行なのか帰省なのか、大きな荷物を持った人が行き交う。
飛行機でもバスでも列車でも、イランの人の旅行には大きな荷物がつきもの。引っ越しなのか?と思うほど。旅行先で使おうというのか、毛布まで持参している人も多い。その一方で、アタッシュケースのような鞄一つという男性も多い。これもなんだか不思議。書類を入れるようなケースの中にブラシやら洗面用具やらが入っている。

いよいよ出発。以前は、飛行機に乗る時と同じセキュリティチェックが行われていたが、いつの間にかなくなっていた。
列車は中国製。我々は値段が高い特別車とかで、テレビ付きの四人コンパートメントで、ミネラル・ウォーターやお茶やお菓子、ジュースなどがサービスとして付いていた。
イランの長距離バスやこうした列車で一番困るのが、見たくもない映画をサービスされてしまうこと。飛行機や日本の長距離バスのように、イヤホンを配ってくれて、映画を見たくない人は見ないでいられるようにしてくれたら良いのだが、スピーカーを使ってコンパートメントやバスの中に大音量でサービスをしてくれる。今回も、同室になったイラン人がテレビなしではいられない人で、サービスが行われている間ずっと我々の会話をかき消すほどの大音量で映画を見続けてくれた。

グリーン車だったので、食事も各コンパートメントに配ってくれる。
メニューはいつでも一緒でジュージェ・キャバーブ(鳥の串焼き)。他に炭酸飲料とヨーグルト。味はまあまあ。

朝まだ暗いうちにマシュハド到着。
イランの列車は単線区間が多いため、衝突事故が起こらないようにと比較的時間に正確。それでも何年か前は衝突事故を起こし、多くの死傷者を出している。

到着が早く、マシュハド市内の交通機関が動いていないため、駅構内で時間待ち。持参した毛布を早速利用して一眠り。
あまり関係ない話ですが、日本の某局で放送している「世界の車○から」でもこのマシュハド便を取り上げたことがあると友人から聞きました。しかし、マシュハド便はほとんどが夜行便なので、途中駅の風景と言っても、夜の闇の中ばかり。お祈りタイム停車と車内の様子くらいしか紹介できるところがなかったのでは?と思ってしまったことを覚えています。実際にはどうだったのでしょう?ご覧になった方はいらっしゃいますか?
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チケットの値段は長距離バスよりも高いのですが、足を伸ばして座ったり寝たりできるというのは助かります。ただ、まだ路線の数が少ないために行ける場所が限られてしまうことと、列車の数も少ないのでチケットがなかなかとりにくいというのが難点です。今回も、三週間も前から申し込んでいながら、チケットの確定ができたのが出発前日という慌ただしさでした。

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テヘラン市のかなり南にあり、テヘランの南バスターミナルにも近いため周囲は常に渋滞している状態で、私の家からだとまずここへ辿り着くのが大変。

駅の中。
旅行なのか帰省なのか、大きな荷物を持った人が行き交う。
飛行機でもバスでも列車でも、イランの人の旅行には大きな荷物がつきもの。引っ越しなのか?と思うほど。旅行先で使おうというのか、毛布まで持参している人も多い。その一方で、アタッシュケースのような鞄一つという男性も多い。これもなんだか不思議。書類を入れるようなケースの中にブラシやら洗面用具やらが入っている。

いよいよ出発。以前は、飛行機に乗る時と同じセキュリティチェックが行われていたが、いつの間にかなくなっていた。
列車は中国製。我々は値段が高い特別車とかで、テレビ付きの四人コンパートメントで、ミネラル・ウォーターやお茶やお菓子、ジュースなどがサービスとして付いていた。
イランの長距離バスやこうした列車で一番困るのが、見たくもない映画をサービスされてしまうこと。飛行機や日本の長距離バスのように、イヤホンを配ってくれて、映画を見たくない人は見ないでいられるようにしてくれたら良いのだが、スピーカーを使ってコンパートメントやバスの中に大音量でサービスをしてくれる。今回も、同室になったイラン人がテレビなしではいられない人で、サービスが行われている間ずっと我々の会話をかき消すほどの大音量で映画を見続けてくれた。

グリーン車だったので、食事も各コンパートメントに配ってくれる。
メニューはいつでも一緒でジュージェ・キャバーブ(鳥の串焼き)。他に炭酸飲料とヨーグルト。味はまあまあ。

朝まだ暗いうちにマシュハド到着。
イランの列車は単線区間が多いため、衝突事故が起こらないようにと比較的時間に正確。それでも何年か前は衝突事故を起こし、多くの死傷者を出している。

到着が早く、マシュハド市内の交通機関が動いていないため、駅構内で時間待ち。持参した毛布を早速利用して一眠り。
あまり関係ない話ですが、日本の某局で放送している「世界の車○から」でもこのマシュハド便を取り上げたことがあると友人から聞きました。しかし、マシュハド便はほとんどが夜行便なので、途中駅の風景と言っても、夜の闇の中ばかり。お祈りタイム停車と車内の様子くらいしか紹介できるところがなかったのでは?と思ってしまったことを覚えています。実際にはどうだったのでしょう?ご覧になった方はいらっしゃいますか?
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ふと気がつくと今日はもう誕生日。
一年が経つのは何とも早いものです。
この一年、特に大きな問題もなく、無事に博士論文を提出することができ、収入的には問題はあるものの仕事を見つけることもでき、色々な人と出会うことができて。まあまあの一年間だったなあと振り返ることができるのは嬉しいことです。
ということで、皆さんにシーリーニーを。

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一年が経つのは何とも早いものです。
この一年、特に大きな問題もなく、無事に博士論文を提出することができ、収入的には問題はあるものの仕事を見つけることもでき、色々な人と出会うことができて。まあまあの一年間だったなあと振り返ることができるのは嬉しいことです。
ということで、皆さんにシーリーニーを。

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今日はイラン暦メフル月20日、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月7日、西暦10月12日。
今日はイラン最大の神秘主義詩人の一人、ハーフェズ(海外ではハーフィズとして有名)の記念日です。
ハーフェズは、イランの三大詩人、十大詩人をあげよ、というアンケートがあれば必ずトップを占めるであろう詩人です。
一節によれば、イランにはコーランのない家庭はあってもハーフェズ詩集のない家庭はないと言われるほど人気の高い詩人だそうです。これは大げさに過ぎるにしても、「イラン文学が好きです」「イラン文学を研究しています」と言うと必ず、「ハーフェズの詩は暗記しているか?」と尋ねられるほどで、イランの人々にとって、イラン詩人=ハーフェズという位高い評価が与えられていることが分かります。
ハーフェズは、14世紀初頭にシーラーズで生まれました。彼が詩作を始めるまでの生活はよく分かっていませんが、教師について宗教諸学や文学を修めたことはその作品から明らかで、更に、彼の詩人としての雅号ハーフェズとは、クルアーン(コーラン)を全て暗記した人物の与えられる称号であることからも、彼の学問に対する造詣の深さが表されています。
その詩才を認められたハーフェズは、その当時シーラーズを支配していたムザッファル朝の王に、宮廷詩人、側近として仕え、詩作に励みました。
ハーフェズの詩は甘美な調べを持ち、シンボル、比喩、イマージュ、修辞学上の曖昧さを多用した難解さが特徴で、それを読む人の自由な解釈が可能となっています。そのため、ハーフェズを、現実的な世界を歌った詩人とするのか、全ての事柄が神秘主義的にシンボライズされた神秘主義詩人とするか、あるいは支配者を讃えるための詩を詠んだ宮廷詩人と位置づけるのか意見が分かれています。はっきり言って、公式にはイラン文学を研究していることになっているはずの私ですが、未だに彼の詩がよく理解できません。表面的な意味をなぞることはできても、真に何を言いたいのかは曖昧模糊として、つかめるようでつかめない、何とももどかしいような気がしています。
ハーフェズの詩が様々な意味に取れることから、イランではハーフェズの詩を占いに使うことも行われています。「ハーフェズ占い」として知られるそれは、自分が占いたいことを心の中で念じながら、「シーラーズのハーフェズよ、あなたはあらゆる秘密を解く人。占いに正しい答えを与えよ」と三度唱え、ハーフェズの詩集をぱっと開き、あるいはページに針を刺し、そこに書かれた詩の内容によって自分の運勢を占います。
以前にもお話ししたことのある「シャベ・ヤルダー(冬至の夜)」など、家族や親戚が集まってハーフェズ占いを行います。
ハーフェズが葬られたシーラーズ郊外には、今は瀟洒な廟が作られ、イラン文学愛好者などが多く訪れる場所となっています。

ハーフェズ廟。

ハーフェズの墓石。
イランでは、墓石にこうして触れることでそこに葬られている人を偲ぶという習慣がある。墓に触れることについてはもっと複雑な意味もあるのですが、こちらは説明するととても長くなるので今回は一般的な理由だけにしておきます。
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今日はイラン最大の神秘主義詩人の一人、ハーフェズ(海外ではハーフィズとして有名)の記念日です。
ハーフェズは、イランの三大詩人、十大詩人をあげよ、というアンケートがあれば必ずトップを占めるであろう詩人です。
一節によれば、イランにはコーランのない家庭はあってもハーフェズ詩集のない家庭はないと言われるほど人気の高い詩人だそうです。これは大げさに過ぎるにしても、「イラン文学が好きです」「イラン文学を研究しています」と言うと必ず、「ハーフェズの詩は暗記しているか?」と尋ねられるほどで、イランの人々にとって、イラン詩人=ハーフェズという位高い評価が与えられていることが分かります。
ハーフェズは、14世紀初頭にシーラーズで生まれました。彼が詩作を始めるまでの生活はよく分かっていませんが、教師について宗教諸学や文学を修めたことはその作品から明らかで、更に、彼の詩人としての雅号ハーフェズとは、クルアーン(コーラン)を全て暗記した人物の与えられる称号であることからも、彼の学問に対する造詣の深さが表されています。
その詩才を認められたハーフェズは、その当時シーラーズを支配していたムザッファル朝の王に、宮廷詩人、側近として仕え、詩作に励みました。
ハーフェズの詩は甘美な調べを持ち、シンボル、比喩、イマージュ、修辞学上の曖昧さを多用した難解さが特徴で、それを読む人の自由な解釈が可能となっています。そのため、ハーフェズを、現実的な世界を歌った詩人とするのか、全ての事柄が神秘主義的にシンボライズされた神秘主義詩人とするか、あるいは支配者を讃えるための詩を詠んだ宮廷詩人と位置づけるのか意見が分かれています。はっきり言って、公式にはイラン文学を研究していることになっているはずの私ですが、未だに彼の詩がよく理解できません。表面的な意味をなぞることはできても、真に何を言いたいのかは曖昧模糊として、つかめるようでつかめない、何とももどかしいような気がしています。
ハーフェズの詩が様々な意味に取れることから、イランではハーフェズの詩を占いに使うことも行われています。「ハーフェズ占い」として知られるそれは、自分が占いたいことを心の中で念じながら、「シーラーズのハーフェズよ、あなたはあらゆる秘密を解く人。占いに正しい答えを与えよ」と三度唱え、ハーフェズの詩集をぱっと開き、あるいはページに針を刺し、そこに書かれた詩の内容によって自分の運勢を占います。
以前にもお話ししたことのある「シャベ・ヤルダー(冬至の夜)」など、家族や親戚が集まってハーフェズ占いを行います。
ハーフェズが葬られたシーラーズ郊外には、今は瀟洒な廟が作られ、イラン文学愛好者などが多く訪れる場所となっています。

ハーフェズ廟。

ハーフェズの墓石。
イランでは、墓石にこうして触れることでそこに葬られている人を偲ぶという習慣がある。墓に触れることについてはもっと複雑な意味もあるのですが、こちらは説明するととても長くなるので今回は一般的な理由だけにしておきます。
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もう一度友人の話です。
ラマダーン中にもかかわらず、二人で弁当を食べている時、彼がふと言いました。
「本当は、ぶどうも持ってこようと思ったんですけどね。洗うのが面倒なので持ってきませんでした」
「?でも、リンゴなら持ってきているし。それ、食べてよ」
「あ、そういうんじゃなくて、今、キュウリやトマトをパニール(チーズ)と一緒に食べていますけど、ぶどうをチーズと一緒にパンで巻いて食べるとおいしいんですよ」
一瞬耳を疑いました。
「は?パンにパニールとぶどう?」
「そう。ほかにも、メロンとかもおいしいんですよ」
イランのパニールとは、牛乳あるいは山羊や羊の乳から作られたフェタ・チーズで、かなり塩気があります。それとぶどうやメロンと一緒にパンにはさんで食べるというのは、ちょっとどんな味になるのやら想像ができません。というか、あまり試してみたくないような気がします。
「今度、持ってきますよ」
私が知らないだけで、実はとてもおいしいものなのかもしれません。私の友人の中には、パニールとジャムをパンに塗って食べる人もいますし(私はこれもダメ)、意外とおいしいのかもしれません。しかし、今度彼が、本当にぶどうを持ってきた時にどうしようかと、今から心配なのです。

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ラマダーン中にもかかわらず、二人で弁当を食べている時、彼がふと言いました。
「本当は、ぶどうも持ってこようと思ったんですけどね。洗うのが面倒なので持ってきませんでした」
「?でも、リンゴなら持ってきているし。それ、食べてよ」
「あ、そういうんじゃなくて、今、キュウリやトマトをパニール(チーズ)と一緒に食べていますけど、ぶどうをチーズと一緒にパンで巻いて食べるとおいしいんですよ」
一瞬耳を疑いました。
「は?パンにパニールとぶどう?」
「そう。ほかにも、メロンとかもおいしいんですよ」
イランのパニールとは、牛乳あるいは山羊や羊の乳から作られたフェタ・チーズで、かなり塩気があります。それとぶどうやメロンと一緒にパンにはさんで食べるというのは、ちょっとどんな味になるのやら想像ができません。というか、あまり試してみたくないような気がします。
「今度、持ってきますよ」
私が知らないだけで、実はとてもおいしいものなのかもしれません。私の友人の中には、パニールとジャムをパンに塗って食べる人もいますし(私はこれもダメ)、意外とおいしいのかもしれません。しかし、今度彼が、本当にぶどうを持ってきた時にどうしようかと、今から心配なのです。

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昨日、週末にイラン人の友人と出かけていたと書きました。
彼はムスリムではありますが、礼拝はしないと言っていますし、ラマダーン中ではありますが断食も特には行っていません。でも、信仰についてはかなり真面目に考えている人であり、特に、信仰と近代化についての問題には非常に関心があったそうです。今は、人に見せるための信仰や、信仰に目が眩んで人に対する心を失ってしまった人の行動を見ていて、礼拝をしたり断食をしたりする気が何となく失せてしまったと言っていました。でも、彼がムスリムであることは言葉の端々から感じます。
定められた行をさぼっているというイスラーム的観点から言えば人間失格とされそうな人ではありますが、一緒に仕事をする上では非常に真面目で、誠実であるのでとても信頼できます。やむを得ない事情が起こった時の他には約束を破ったことはありませんし、頼んだ仕事はきちんとやってくれます。
真面目で几帳面な性格で、私がふとした時にした質問をちゃんと覚えていて、その時には分からなかったとしても調べてくれたりということもありました。質問をした私自身がすっかり忘れていたとしてもです。
彼と対照的なのが、放送局でバイトをしていた時の上司でした。
彼は礼拝も断食もしていました。しかし、一緒に仕事をする相手としては最悪でした。
「礼拝をしてきます」と言って出たきりなかなか帰ってこなかったり、誰にも無断で仕事に来なかったり、また頼んでおいた仕事も催促しない限りやってくれませんでした。そして私たちが仕事のことで何か意見をすると、「非ムスリムにイスラームが分かるわけがない」「バイトに過ぎないのにえらそうに口を出すな」ということを直接ではありませんが、かなりあからさまに言われたものでした。
彼と話していると、自分の嫌なこと、プライドが傷つくようなことはできるだけ避けようとしているだけなのでは?と思わずにいられませんでした。なぜなら、ムスリムである部下にも随分とひどい態度で接していましたから。彼らに対しては「上司だから」、我々に対しては「ムスリムだから」と使い分けていたに過ぎません。
それに、よく考えてみたら(よく考えなくともそうなのですが)、ムスリムが運営している放送局に対しても不誠実であり、仕事をしないことでイスラーム共和国の予算を無駄にしていたとさえ言えるわけです。
しかしそんな人ではあっても、イスラーム的観点から言えばきっと、イスラームの行をきちんと行っているこの人の方が人として正しいと言われるのだろうなあと、かなり複雑な気分になったものでした。
この国に住んでいると、信仰って何なんだろうなあ、と感じることがしばしばです。未だによく分からないです。
信仰の名の下に「他」との関係を拒む、あるいは築こうとしないということが、人としてはどうなのだろうか?そんな風に思う場面に出会うことがよくあります。
彼らが金科玉条としている預言者の言葉にも、敵対していない異教徒をも拒めということなど存在していないはずだというのに、異教徒という理由で対等な関係を作る相手として認めず。そして預言者によればムスリム同士は兄弟のような関係なのだというのに、実際には同胞たる兄弟にも誠実でなく。
礼拝をし、断食をし、ドアー(祈りの言葉)を読むことだけがムスリムとして正しいあり方なのでしょうか。イスラームについて勉強していますが、このあたりはなんだかよく分かりません。
友人と一緒にお弁当を食べながら、彼がちゃんと天国へ行けるかどうか、余計なお世話と思いつつ、心配してしまったのでした。

私のお弁当バスケット。
パンとチーズとハム。それからキュウリとトマト。お茶に砂糖にグラス。これが詰まっている。お弁当を広げている様子はうっかり写真を取り忘れ。
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彼はムスリムではありますが、礼拝はしないと言っていますし、ラマダーン中ではありますが断食も特には行っていません。でも、信仰についてはかなり真面目に考えている人であり、特に、信仰と近代化についての問題には非常に関心があったそうです。今は、人に見せるための信仰や、信仰に目が眩んで人に対する心を失ってしまった人の行動を見ていて、礼拝をしたり断食をしたりする気が何となく失せてしまったと言っていました。でも、彼がムスリムであることは言葉の端々から感じます。
定められた行をさぼっているというイスラーム的観点から言えば人間失格とされそうな人ではありますが、一緒に仕事をする上では非常に真面目で、誠実であるのでとても信頼できます。やむを得ない事情が起こった時の他には約束を破ったことはありませんし、頼んだ仕事はきちんとやってくれます。
真面目で几帳面な性格で、私がふとした時にした質問をちゃんと覚えていて、その時には分からなかったとしても調べてくれたりということもありました。質問をした私自身がすっかり忘れていたとしてもです。
彼と対照的なのが、放送局でバイトをしていた時の上司でした。
彼は礼拝も断食もしていました。しかし、一緒に仕事をする相手としては最悪でした。
「礼拝をしてきます」と言って出たきりなかなか帰ってこなかったり、誰にも無断で仕事に来なかったり、また頼んでおいた仕事も催促しない限りやってくれませんでした。そして私たちが仕事のことで何か意見をすると、「非ムスリムにイスラームが分かるわけがない」「バイトに過ぎないのにえらそうに口を出すな」ということを直接ではありませんが、かなりあからさまに言われたものでした。
彼と話していると、自分の嫌なこと、プライドが傷つくようなことはできるだけ避けようとしているだけなのでは?と思わずにいられませんでした。なぜなら、ムスリムである部下にも随分とひどい態度で接していましたから。彼らに対しては「上司だから」、我々に対しては「ムスリムだから」と使い分けていたに過ぎません。
それに、よく考えてみたら(よく考えなくともそうなのですが)、ムスリムが運営している放送局に対しても不誠実であり、仕事をしないことでイスラーム共和国の予算を無駄にしていたとさえ言えるわけです。
しかしそんな人ではあっても、イスラーム的観点から言えばきっと、イスラームの行をきちんと行っているこの人の方が人として正しいと言われるのだろうなあと、かなり複雑な気分になったものでした。
この国に住んでいると、信仰って何なんだろうなあ、と感じることがしばしばです。未だによく分からないです。
信仰の名の下に「他」との関係を拒む、あるいは築こうとしないということが、人としてはどうなのだろうか?そんな風に思う場面に出会うことがよくあります。
彼らが金科玉条としている預言者の言葉にも、敵対していない異教徒をも拒めということなど存在していないはずだというのに、異教徒という理由で対等な関係を作る相手として認めず。そして預言者によればムスリム同士は兄弟のような関係なのだというのに、実際には同胞たる兄弟にも誠実でなく。
礼拝をし、断食をし、ドアー(祈りの言葉)を読むことだけがムスリムとして正しいあり方なのでしょうか。イスラームについて勉強していますが、このあたりはなんだかよく分かりません。
友人と一緒にお弁当を食べながら、彼がちゃんと天国へ行けるかどうか、余計なお世話と思いつつ、心配してしまったのでした。

私のお弁当バスケット。
パンとチーズとハム。それからキュウリとトマト。お茶に砂糖にグラス。これが詰まっている。お弁当を広げている様子はうっかり写真を取り忘れ。
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朝方がめっきり冷え込むようになり、暖房機器の点検が始まったテヘランです。
季節の変わり目に弱い私もしっかり風邪をひいてしまいました。
しかし、色々な用事があり、この週末は、友人に車を出してもらってテヘラン北東部の山の中をうろうろしていました。テヘランよりも高度が高いこのあたりはすっかり秋でした。
友人も風邪をひいていて、二人で鼻をぐすぐすとやりながら最後に辿り着いたある村の聖者廟で、トイレ休憩を兼ねて一休みをしていたら、村の若者が一人やって来て言いました。
「まだかかるの?自動車をどけて欲しいんだけど」
邪魔にならない場所に止めたつもりだったのにと訳を聞いてみたところ、なんと、夏の間山に放牧をしていた牛たちが今日帰ってくるので、それを捕まえるのに大混乱が起こるのだとのこと。
道理で村の人たちがロープを手に集まっていると思いました。
私たちが乗ってきた自動車は牛たちの帰路のすぐ脇に止めてあったので、興奮した牛がぶつかってくるかもしれないというのです。なんだかすごそうな話です。
さっそく、集まっている村の人たちの隅っこに混ぜてもらって見学です。


手に手にロープを持ち、山から村へと続く道をふさぐ村人たち。
女性たちも見物ではなく実働部隊!

夏の間、村人の手を煩わすことなく自分たちだけで山の中を闊歩し、草を食べ、のんびりと過ごしていた牛たちが、冬に備えて村人たちによって集められ、村へと下ろされてきた!その数約50頭ほど。



村はずれの空き地に牛たちを追い込み、ロープを手に追いかける!
実は、狭い空き地の中を牛たちが暴れ回り、大変な混乱で、私もカメラを手に逃げ回り、この間の迫力ある光景は撮影できませんでした。牛に倒され、踏まれる老人もいて、大変なことに。
ようやく安全な場所を確保し、牛の数が大分減ってから写真が撮れるように。



次々と捕まえられ、ロープをかけられる牛たち。
自分の家の牛を連れて帰るのだが、どうやって自分の家の牛を見分けているのかはちょっと謎。

女性が二人がかりで牛を捕まえるところ。お見事。


ああ、どうして私たちがこんな目に…
広場の牛がほとんど捕まった頃、そこから上手く逃げた牛たちが、再び山へ、村の中へと散らばり、それを追いかける人たちの声が迫り来る夕闇の中に響き渡る。
一緒にいたイラン人の友人(ちなみにこの村に近い地方出身)でさえ「初めて見た」と言っていたこの行事(?)。テヘラン州とは山脈をはさんだ向こう側に広がるギーラーン州やマーザンダラーン州といったカスピ海岸地方では牛が多く飼われているので、もしかしたら秋になるとごく普通に行われている行事なのかもしれませんが、テヘラン州では恐らくかなり珍しいのではないでしょうか。
うろうろとさまよっているとこういう珍しいものが目にできるなあと、二人でほくほくとテヘランに戻ってきたのでした。
狼や豹(!)がいるという山の中、牛だけでうろうろしていて大丈夫なのかなあというのが最後に浮かんだ疑問なのでした。
季節の変わり目に弱い私もしっかり風邪をひいてしまいました。
しかし、色々な用事があり、この週末は、友人に車を出してもらってテヘラン北東部の山の中をうろうろしていました。テヘランよりも高度が高いこのあたりはすっかり秋でした。
友人も風邪をひいていて、二人で鼻をぐすぐすとやりながら最後に辿り着いたある村の聖者廟で、トイレ休憩を兼ねて一休みをしていたら、村の若者が一人やって来て言いました。
「まだかかるの?自動車をどけて欲しいんだけど」
邪魔にならない場所に止めたつもりだったのにと訳を聞いてみたところ、なんと、夏の間山に放牧をしていた牛たちが今日帰ってくるので、それを捕まえるのに大混乱が起こるのだとのこと。
道理で村の人たちがロープを手に集まっていると思いました。
私たちが乗ってきた自動車は牛たちの帰路のすぐ脇に止めてあったので、興奮した牛がぶつかってくるかもしれないというのです。なんだかすごそうな話です。
さっそく、集まっている村の人たちの隅っこに混ぜてもらって見学です。


手に手にロープを持ち、山から村へと続く道をふさぐ村人たち。
女性たちも見物ではなく実働部隊!

夏の間、村人の手を煩わすことなく自分たちだけで山の中を闊歩し、草を食べ、のんびりと過ごしていた牛たちが、冬に備えて村人たちによって集められ、村へと下ろされてきた!その数約50頭ほど。



村はずれの空き地に牛たちを追い込み、ロープを手に追いかける!
実は、狭い空き地の中を牛たちが暴れ回り、大変な混乱で、私もカメラを手に逃げ回り、この間の迫力ある光景は撮影できませんでした。牛に倒され、踏まれる老人もいて、大変なことに。
ようやく安全な場所を確保し、牛の数が大分減ってから写真が撮れるように。



次々と捕まえられ、ロープをかけられる牛たち。
自分の家の牛を連れて帰るのだが、どうやって自分の家の牛を見分けているのかはちょっと謎。

女性が二人がかりで牛を捕まえるところ。お見事。


ああ、どうして私たちがこんな目に…
広場の牛がほとんど捕まった頃、そこから上手く逃げた牛たちが、再び山へ、村の中へと散らばり、それを追いかける人たちの声が迫り来る夕闇の中に響き渡る。
一緒にいたイラン人の友人(ちなみにこの村に近い地方出身)でさえ「初めて見た」と言っていたこの行事(?)。テヘラン州とは山脈をはさんだ向こう側に広がるギーラーン州やマーザンダラーン州といったカスピ海岸地方では牛が多く飼われているので、もしかしたら秋になるとごく普通に行われている行事なのかもしれませんが、テヘラン州では恐らくかなり珍しいのではないでしょうか。
うろうろとさまよっているとこういう珍しいものが目にできるなあと、二人でほくほくとテヘランに戻ってきたのでした。
狼や豹(!)がいるという山の中、牛だけでうろうろしていて大丈夫なのかなあというのが最後に浮かんだ疑問なのでした。
イランでは今日からラマダーン月に入りました。イラクのシーア派も今日からだそうです。
他のアラブ諸国やスンニー派が多数を占める地域では昨日(4日)からラマダーン入りだったはずなのに、イランでは月の見え方が違うのか、毎年のように一日遅く始まり一日早く終わります(こちらはまだ確定ではないですが)。
真面目な信者になると、ラマダーン入り予定日の一日前から身体を慣らすために断食を始めるのですが、全く断食を行わない人も多いテヘランでは、レストランやファストフード店が閉まっていることを除けば、あまりラマダーン月であるという雰囲気はありません。
ラマダーン月の断食はムスリムが必ず行うべき五つの行の第四番目に数えられ、他の時に行う断食よりも価値が高いとされています。
イスラームの断食について日本などではよく、日の出から日没まで食べ物(喫煙も含む)を口にしたり性交をしてはならない、などと説明されていますがこれは少し正確ではありません。
日の出のずっと前、大体4時半頃に起き出して、サハリーと呼ばれる朝食を取り、そこから断食です。これは日の出よりも随分と前になります。クルアーンの言葉によると、「黒糸と白糸の明確な区別がつく時」です。
断食明けのアザーンが大体午後6時半くらいですから、12時間くらい断食をしているわけで、これはなかなか大変なことだと思います。
私の周囲では真面目に断食する人も全然興味がないと言い切る人もどちらもいます。
私が今日乗ったタクシーの運転手は、以前は真面目に断食をしていたけど、今は年をとったのでやらない(老人には断食の義務はない)と言っていましたが、私のイランでのお父さんとも言うべき人は、この運転手よりも大分年上で最近では足も弱っていて歩くのも大変そうなのですが、それでも断食をラマダーン入りの前日から行っています。
これから約一ヶ月、断食をする人にとってもしない人にとっても大変な日が続きます。

断食明けの食事(エフタール)に欠かせないお菓子。
ラマダーン期間中、どこのお菓子屋でもこれが売られ、断食をしている人もしていない人も大量に買い込んでいる。

手前が、バーミーエ(オクラの意味)。奥がズールビヤー。どちらも揚げ菓子で、シロップにたっぷりとつけ込みコーティングしてあるので、とんでもなくカロリーが高い。ラマダーン中これを食べ続けたら肥満間違いなしのお菓子。
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他のアラブ諸国やスンニー派が多数を占める地域では昨日(4日)からラマダーン入りだったはずなのに、イランでは月の見え方が違うのか、毎年のように一日遅く始まり一日早く終わります(こちらはまだ確定ではないですが)。
真面目な信者になると、ラマダーン入り予定日の一日前から身体を慣らすために断食を始めるのですが、全く断食を行わない人も多いテヘランでは、レストランやファストフード店が閉まっていることを除けば、あまりラマダーン月であるという雰囲気はありません。
ラマダーン月の断食はムスリムが必ず行うべき五つの行の第四番目に数えられ、他の時に行う断食よりも価値が高いとされています。
イスラームの断食について日本などではよく、日の出から日没まで食べ物(喫煙も含む)を口にしたり性交をしてはならない、などと説明されていますがこれは少し正確ではありません。
日の出のずっと前、大体4時半頃に起き出して、サハリーと呼ばれる朝食を取り、そこから断食です。これは日の出よりも随分と前になります。クルアーンの言葉によると、「黒糸と白糸の明確な区別がつく時」です。
断食明けのアザーンが大体午後6時半くらいですから、12時間くらい断食をしているわけで、これはなかなか大変なことだと思います。
私の周囲では真面目に断食する人も全然興味がないと言い切る人もどちらもいます。
私が今日乗ったタクシーの運転手は、以前は真面目に断食をしていたけど、今は年をとったのでやらない(老人には断食の義務はない)と言っていましたが、私のイランでのお父さんとも言うべき人は、この運転手よりも大分年上で最近では足も弱っていて歩くのも大変そうなのですが、それでも断食をラマダーン入りの前日から行っています。
これから約一ヶ月、断食をする人にとってもしない人にとっても大変な日が続きます。

断食明けの食事(エフタール)に欠かせないお菓子。
ラマダーン期間中、どこのお菓子屋でもこれが売られ、断食をしている人もしていない人も大量に買い込んでいる。

手前が、バーミーエ(オクラの意味)。奥がズールビヤー。どちらも揚げ菓子で、シロップにたっぷりとつけ込みコーティングしてあるので、とんでもなくカロリーが高い。ラマダーン中これを食べ続けたら肥満間違いなしのお菓子。
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これまで何度かテヘランの新国際空港について不満を書いてきましたが、イランに戻ってから何度か空港へピックアップなどに出かけ、その度に少しずつではありますが設備が整ってきているのを目にし、「とりあえず始めてしまえ。後は何とかなるさ」というイランのやり方を改めて感じてしまいました。大学の校舎もこういうことなのだなあと。
それにしても、おみやげ物屋や喫茶スペースができるだけで随分と空港が明るい雰囲気になるものです。
三つしかないと思っていたターンテーブルも、空港のまだ使われていないもう一方の端に三つがあることを発見して少しだけ安心しました。どうせ新しく作るなら、ドバイやシンガポールのようにとは言わないまでも、もっと大きな空港を作れば良かったのにという気持ちは未だにありますが。

お金を入れたものの自販機から何も出てこないので、お父さんを囲んで家族全員が心配そうにのぞき込んでいる。
イランのぼろぼろのお札が自販機にきちんと入るのかどうかも心配なところ。

テヘランで一番大きなピザ・チェーンが出店。
でも、まだ使われていないスペースなのでお客はほとんどいないのが寂しい。

こちらはカフェの紅茶とクロワッサン。
巨大な上に中にたっぷりとチョコレートが入っているので、これ一つで十分お腹一杯。

この二人は親子?夫婦?

出迎えに花束は必須アイテム。

まだ着かないの?

到着の様子を撮るビデオも必須アイテム。ちゃんと撮れているかどうかチェック中。
新空港で良くなったと思う点の一つが、到着ロビーが広くなったことです。
イランでは家族親戚が勢揃いして出迎えるのが普通なので、とんでもなく出迎えロビーが混雑するのです。始めてイランに来た人がその光景に驚くこともしばしばで、時にはその混雑のあまりのすさまじさに、空港の外に出ることができないこともあるほどでした。しかし、この空港ではそうしたことはなくて済みそうです。
これで、もう少しテヘランから近いところにあって、公共交通機関がしっかりとしていたら文句も少なくなるのですが。
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それにしても、おみやげ物屋や喫茶スペースができるだけで随分と空港が明るい雰囲気になるものです。
三つしかないと思っていたターンテーブルも、空港のまだ使われていないもう一方の端に三つがあることを発見して少しだけ安心しました。どうせ新しく作るなら、ドバイやシンガポールのようにとは言わないまでも、もっと大きな空港を作れば良かったのにという気持ちは未だにありますが。

お金を入れたものの自販機から何も出てこないので、お父さんを囲んで家族全員が心配そうにのぞき込んでいる。
イランのぼろぼろのお札が自販機にきちんと入るのかどうかも心配なところ。

テヘランで一番大きなピザ・チェーンが出店。
でも、まだ使われていないスペースなのでお客はほとんどいないのが寂しい。

こちらはカフェの紅茶とクロワッサン。
巨大な上に中にたっぷりとチョコレートが入っているので、これ一つで十分お腹一杯。

この二人は親子?夫婦?

出迎えに花束は必須アイテム。

まだ着かないの?

到着の様子を撮るビデオも必須アイテム。ちゃんと撮れているかどうかチェック中。
新空港で良くなったと思う点の一つが、到着ロビーが広くなったことです。
イランでは家族親戚が勢揃いして出迎えるのが普通なので、とんでもなく出迎えロビーが混雑するのです。始めてイランに来た人がその光景に驚くこともしばしばで、時にはその混雑のあまりのすさまじさに、空港の外に出ることができないこともあるほどでした。しかし、この空港ではそうしたことはなくて済みそうです。
これで、もう少しテヘランから近いところにあって、公共交通機関がしっかりとしていたら文句も少なくなるのですが。
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今日は金環食があったとか。
イランでは部分日食が見られたそうですが、私は家でごろごろしていたため見られませんでした。
日食といえば、思い出すのが20世紀最後の皆既日食の時のことです。
イランは皆既日食帯に入っており、私も日本から来た友人と一緒に、日食が一番よく見える場所まで出かけたのでした。
イラン国内での日食観測最適地とされていたマリーヴァーンはきっと世界中からの観光客で混雑しているだろうからと、少し場所をはずして、ケルマーンシャー州にある有名な古代遺跡、ビーソトゥーンの近くに天幕を張っていたクルド人の遊牧民のところへおじゃまして、彼らの天幕の前で日食体験をすることに。

今更ですが、懐かしいのでその時の写真も。
皆既日食の瞬間。
あたりが一瞬暗くなったことも印象的でしたけど、もう一つ印象に残っているのが、馬たちがそわそわと落ち着かないのに、羊たちは寄り固まってぐーぐーと寝ていたということ。
天幕の持ち主たちによると、日食だということで、普通なら羊たちを放しておく時間なのだけど集めておいたとのこと。でも、こんなに鈍感なら、「ちょっと暗くなったかなー」と思いながらもぎゅもぎゅと草を食べているかもと思ってしまった。

太陽が一部欠けている状態の時の太陽の影。
天幕のすのこを通して映る影が、欠けている太陽と同じ形の三日月状態だった。減少としてはごく当たり前らしいのだけど、それでもやっぱりこうして目にするとなんだか不思議な感じがするもの。
天幕の主人によく冷えた作りたてのドゥーグ(一種のヨーグルト飲料)をごちそうになって、太陽がすっかり現れてからおいとました。
後日談ですが、日食の翌年にマリーヴァーンを訪れる機会がありました。
その時、保険衛生省の役人と話をする機会があったのですが、それによると、日食見物に来た人が目を痛めるといけないというので、テヘランなどから眼科医を沢山集めて待機していたのだけど、一人も患者が来なくて肩すかしだったとのことでした。
そういえば、日食の前にも随分と、太陽を直接見ないようになどという広告が沢山流されていましたが、それにしても眼科医を集めて待機させていたというのは、どことなくピントがずれている感じで、イランらしいというか何というか、ちょっといいなあなどと思ってしまった
イランでは部分日食が見られたそうですが、私は家でごろごろしていたため見られませんでした。
日食といえば、思い出すのが20世紀最後の皆既日食の時のことです。
イランは皆既日食帯に入っており、私も日本から来た友人と一緒に、日食が一番よく見える場所まで出かけたのでした。
イラン国内での日食観測最適地とされていたマリーヴァーンはきっと世界中からの観光客で混雑しているだろうからと、少し場所をはずして、ケルマーンシャー州にある有名な古代遺跡、ビーソトゥーンの近くに天幕を張っていたクルド人の遊牧民のところへおじゃまして、彼らの天幕の前で日食体験をすることに。

今更ですが、懐かしいのでその時の写真も。
皆既日食の瞬間。
あたりが一瞬暗くなったことも印象的でしたけど、もう一つ印象に残っているのが、馬たちがそわそわと落ち着かないのに、羊たちは寄り固まってぐーぐーと寝ていたということ。
天幕の持ち主たちによると、日食だということで、普通なら羊たちを放しておく時間なのだけど集めておいたとのこと。でも、こんなに鈍感なら、「ちょっと暗くなったかなー」と思いながらもぎゅもぎゅと草を食べているかもと思ってしまった。

太陽が一部欠けている状態の時の太陽の影。
天幕のすのこを通して映る影が、欠けている太陽と同じ形の三日月状態だった。減少としてはごく当たり前らしいのだけど、それでもやっぱりこうして目にするとなんだか不思議な感じがするもの。
天幕の主人によく冷えた作りたてのドゥーグ(一種のヨーグルト飲料)をごちそうになって、太陽がすっかり現れてからおいとました。
後日談ですが、日食の翌年にマリーヴァーンを訪れる機会がありました。
その時、保険衛生省の役人と話をする機会があったのですが、それによると、日食見物に来た人が目を痛めるといけないというので、テヘランなどから眼科医を沢山集めて待機していたのだけど、一人も患者が来なくて肩すかしだったとのことでした。
そういえば、日食の前にも随分と、太陽を直接見ないようになどという広告が沢山流されていましたが、それにしても眼科医を集めて待機させていたというのは、どことなくピントがずれている感じで、イランらしいというか何というか、ちょっといいなあなどと思ってしまった
