昨日、大量のポスター作戦を展開したガーリーバーフについてご紹介しましたが、善戦したものの、決選投票には残れなかったようです。下馬評では彼かモイーンであろうと言われていたのですが、やはり、国民はお為ごかしの(保守派の抵抗で結果的にそうなってしまう)「改革」よりも、「経済発展」を選択したようです。
それにしても、ラフサンジャーニーの票が伸び悩んだのは意外でした。バーザール商人などは経済に明るいラフサンジャーニー支持だということでしたし、バーザール商人が味方につくということはほぼ決まりかと思ったのですが、どうやらイラン社会も変化してきているようです。
バーザール商人を中心とした経済を握っている層の社会的な地位の低下は以前から指摘されていましたが、どうやらその流れは押しとどめようがないところまで来ているのかもしれません。
それよりも、人口の五割を超える(!)25才以下の世代が無視できない勢力となっているということでしょう。
彼らは総じて教育水準が高く、また「革命を知らない世代」であり、戦後のものが豊かに出回るようになった時期しか知らない世代です。豊かな生活をしたいし、自由も欲しい。しかし現在のイランでは、彼らの就職は全く保証されていません。彼らの不安に答える政策が出せる候補が得票数を伸ばしたに違いありません。
それでも、次点にアフマディーネジャードとはかなり意外でした。彼はテヘランでは、「本当にやる気があるのか?」と思うような選挙活動しかしていませんでしたし、テヘラン市長時代の彼の政策はお世辞にも誉められたものではなかったように思うからです。何かしらの投票捜査が行われたのでは?と疑う人がいるのも何となく分かります。
投票捜査といえば、投票率が60パーセントを超えているように報道されていますが、私の周囲の人々の話を聞く限り、40パーセントくらいでは?と感じられます。また、投票に行っても白紙投票をしたり、投票そのものは行わなかったという人もいるようです。
まあ、それはともかく、アフマディーネジャードの選挙ポスターからです。
「え?立候補資格が認められたの?何も準備していないよ!」といわんばかりのポスターばかりです。そういえば、彼の大型ポスターは見かけなかったような気がします。

この手書きのポスターがいかにも急造。
「人々とのつながりを確立しよう」という意味のことを呼びかけています。この手書きポスターの左上の写真入りポスターでも大体そんな感じ。

こちらは「貧困と汚職の敵・アフマディーネジャード博士」

こちらは「人々を守ることのない汚職との戦いは受け入れられるものではない」
この手書きポスターを貼るために使われている写真入りポスターですが、ちょっと分かりにくいのですが、イラン・イスラーム革命の闘士の一人であり、反革命派に暗殺されたラジャーイー氏の写真が使われています。そしてそこに書かれているのが、「政府の人々への回帰」。
こうして並べてみると、彼が支持を集めたのは何となく分かるような気がします。
他の候補者のように、「経済改革」を前面に打ち出すようなことは言っていませんが、現在の革命の理念を失って腐敗した政府を人々と共に革命当初の理想へと立て直そう、という彼の訴えは、革命に幻滅している世代には「え〜〜〜?」という感じかもしれませんが、それでも「腐敗との戦い」というのは「就業の機会確立」にも繋がると考えられなくもありません。そしてテヘラン市長としての行政経験もある、というのは、「経験」を重んじるイラン人としては安心感があるでしょう。大統領の職を利用して私財をかき集め、増やしたラフサンジャーニーよりは清潔感があるというのもポイントが高かったのかもしれません。
それにしても、ハータミー大統領の第一回目の当選の時も思ったことですが、投票結果というのはふたを開けてみるまでは分からないものなのかもしれません。まあ、イランの世論調査ほど当てにならないものはないのですが、あの時も、「え〜。ナーテグヌーリー圧勝って言っていたじゃん」でしたし、今回も「ラフサンジャーニー有利じゃなかったの?」です。決選投票になれば支持基盤がしっかりしているラフサンジャーニーが有利といわれていますが、どうなることでしょうか。
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テヘランなどで冬になるとよく見られるラブー(ビーツ)の屋台です。
ラブーの皮をむき、平たいお盆に並べてゆでただけという簡単なもの。お盆の真ん中に煮汁がたまり、それが煮詰まって甘さが増し、それを回しかけながらゆでるので、また甘みが強くなるというもの。煮汁をかけてもらってつやつやとしたラブーは、見ているだけでもおいしそう。
暖かいところを好きな量だけ量り売りをしてもらって、適当な大きさに切ってもらって食べるのが一般的。焼き芋を屋台で買って食べるような感じでしょうか。
ほくほくと甘いラブーはテヘランの冬の味なのです。

サラダにも入りますが、こちらでは添え物程度、ほんの数切れを彩りのように乗せるくらいということが多いようです。
ちなみにこちらはマシュハドのラブー屋台。ラブーの種類が少し違うのか、あまり赤くなくて、形も楕円形ではなく砲弾型。

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今日は、預言者ムハンマドの末娘であり、預言者の従兄弟でありスンニー派にとっては第四代目正統カリフ、シーア派にとっては初代イマーム・アリーの妻であった、ファーティマの殉教日です。
彼女は預言者と最初の妻ハディージャの間の末娘としてこの世に生を受けました。預言者は6人の子どもがありましたが、男の子はみな早くに亡くなり、娘が四人残りました。預言者は男の子の存在を何よりも重視するアラブの人々の「子どもなし」というあざけりを気にすることなく、女の子たち、特にファーティマをかわいがっていたといいます。
ある時、神からの啓示が下り、預言者の血筋はファーティマを通して後生に伝わるであろうとされました。(クルアーン・カウサル章)
彼女は預言者にかわいがられ、預言者が特に信頼する信者の一人であり、預言者の従兄弟であったアリーのもとに嫁ぎました。
イスラームに対して敵対する勢力との戦いが続く中、彼女はハサン、フサイン、ザイナブという三人の子どもを産み、育てました。
彼女についてはそれほど記録が残っているわけではないのですが、シーア派の人々にとって彼女は妻として母として、そして預言者一家を束ねる女性として理想の女性とされています。そのため、彼女が窮乏生活の中でいかに人々のために生きたかを数多くの伝承として伝えています。
もっとも、18歳で亡くなった彼女がそれらの伝承で語られるようなことを全て行えたかどうか、かなり疑問は残るところです。
ファーティマはイスラーム・ヒジュラ暦11年のこの日に亡くなりました。伝承によれば病死でしたが、シーア派は、夫アリーの手から権力を奪った勢力に抗議をしていた彼女を邪魔に思う人々が彼女を暗殺したのだと信じています。
上でも述べている通り、預言者の血筋は彼女の生んだハサンとフサインを通して、現代に伝えられているとされています。この人々はサイイド(ペルシア語ではセイエド)と呼ばれ、預言者の血を引く人々として敬意を表されています。
イランでは今日は公的な休日ではないのですが、信仰に真面目な人が多いバーザール商人たちは店を閉め、彼女の殉教を悼んでいます。
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テヘランのスイーツでも。

そのものズバリ、「バナナケーキ」です。周囲のかわいらしいイチゴスイーツとは一線を画すこの迫力。
こういうのを真面目に作ってしまうところがイラン人のかわいいところ。
写真に写っていないショーケースの隅にこれをカットしたものもあったのですが、それを見る限り、中身は普通のロールケーキだったようです。
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日本という国もどこへ進もうとしているのか見えない国ですが、イランも進む方向が見えない国であるように思います。外から見ていても分かりませんでしたが、内側から見てもまだ、今 一つよく分かりません。ただ一つ分かるのは、政府がどんなに変わろうと、イラン人はイラン人であり続けるのだろうということだけです。何と言っても、私が論文を書くために分析した13世紀のイラン人と現代のイラン人が全くと言って良いほど変わっていないのですから。
イランで三回の大統領選挙を見たのですが、今回はある意味感慨深いものがありました。
一回目のハータミー大統領が初当選を果たした時は、選挙戦そのものはあまり印象に残っておらず、選挙当日の人々の明るい表情と、ハータミー大統領誕生を知った時の驚きが最も印象に残っています。
二回目は、ハータミー大統領がいつ立候補宣言をするのだろうという期待が長く、選挙戦や投票そのものは結果が分かっていただけにあまりおもしろくなかったように思います。
今回はラフサンジャーニー有利と言われていましたが、改革を支持する学生層に人気のモイーンと、大量のポスター作戦で人々に名前を浸透させたガーリーバーフがどこまで票を伸ばすか、その結果、大統領選挙初の決選投票があるか、というところだったでしょうか。
ガーリーバーフは、日本の報道を見ていると「カリバフ」と書かれていたようですが、これも「カルビ」と一緒で、英字新聞を利用しているから起こる間違いで、現地の発音は「ガーリーバーフ」です。せめて「ガリバフ」と書くべきでしょう。ちなみに意味は「絨毯織り」です。先祖がそういう仕事をしていたのだと思います。
ガーリーバーフが行った大量のポスター戦術の一部です。
友人などと、「ものすごい資金力だよね〜」と感心してしまったほど沢山の種類のポスターを作り、張り出していました。全種類の写真を撮ろうと思ったのですが、あまりに多すぎてできなかったほどです。

こちらは選挙活動のはじめ頃に目立ったポスター。
イランの繁栄のために選挙で投票を、くらいの意味でしょうか。投票用紙にはもちろん本人の名前が書いてあります。
私は最初ポスターの最下部にあるガーリーバーフの名前に気付かず、「選挙へ行こう」という広報ポスターかと思っていました。

こちらはガーリーバーフ本人。実は本人の写真(これは写真というより絵ですが)入りの大型ポスターはほとんど作成されませんでした。私はこれ以外に目にすることがありませんでした。

こちらはイラン建国の祖エマーム・ホメイニー師とその後継者で現最高指導者のハーメネイー師。革命路線を驀進してきた履歴を物語るかのようなポスターです。

こちらはなぜかフラミンゴたちの写真。
写真上部には、「イランの環境と文明の保護」と書かれています。イランの北西部にあるウルミエ湖に生息していたフラミンゴたちは、数年前に突如として姿を消したそうです。原因はウルミエ湖の汚染であるとも、干ばつによる環境の変化だとも色々に言われていましたが、未だによく分かっていません。その後消息を聞かないのですが、帰ってきて欲しいものです。



これら三つの写真は、恐らくサッカーの試合会場で撮影されたものと思われます。
写真に撮られてしまった少年たちはさぞや驚いたのではないかと思います。もし彼らの家族がアンチ・ガーリーバーフだったら大変なことになったのではないかと、余計なお世話ですが気になってしまいます。

こちらは町中に張られていたA4サイズのいわゆるポスター。
前警察長官という経歴を気にしてか、ソフト路線を狙っているようです。

こちらは熱烈なガーリーバーフ支持者のペイカーン。
もっとも、油断しているとフロントガラスなどに、勝手に立候補者の名前入りシールを貼られてしまうこともよくあるので、必ずしも支持者とは言えないかもしれませんが、これだけ張っているということはきっと支持者でしょう。
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1.事前の予告なく突然、国営企業の職員が「巡礼に行くので」職場を休みにした。
2.「私は神のために仕事をしている。あなたのためではない」という意味のことを役人が言い放った。
3.ビザ切れを心配する外国人に対し、「罰金を払ってオーバーステイをしていればいい」と言う大学職員とビザオフィス。
4.「選挙の翌日だから」というよく分からない理由で、突然に外務省が休みになった。(他の省庁は未確認)
5.「異教徒をいじめることは神の意に叶うことだから、お前に親切にする必要はない」と外務省職員が吐き捨てた。
6.「我々が突然休日にしたことで誰に迷惑がかかろうと、それはその人の勝手であり、自分たちに何の責任もない」と在外イラン大使館員が宣言したこと。
なんか切ないです。
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ちょっと気晴らしでも、と思っても日中の気温が40度に達しようかというこの暑さでは外へ気晴らしに行く気にもなかなかなれませんし、また気晴らしをするような場所もありません。おいしいものでも食べて、と思ってもそれもなし、ぱ〜っと買い物でも、と思っても買うようなものもお金もない、と、気晴らしについて考えれば考えるほど落ち込みがひどくなりそうです。
唯一できそうなのが、友だちの家に遊びに行く、なのですが、今は試験シーズンで、本人あるいは家族が試験中という家が多く、遊びに行くのも気が引ける状態です。
小学校は一足先に試験も終わり、小学生たちは夏休みに入っています。6月の上旬から9月中旬までずっと夏休みなのですから、なんともうらやましい話です。
ということで、小学生の子どもがいる家なら遊びに行けます。
そうして博士号取得の報告を兼ねて、しばらくご無沙汰していた知り合いの家へ行ってきました。その家の小学三年生の女の子も無事試験は終わっていました。
「成績はどうだった?」と尋ねたところ、全教科で満点を取ったとのこと。勉強がそれほど好きではなさそうな子だったので、がんばったのだろうなあと感心して、「じゃあ、シャーゲルデ・モムターズ(優秀生徒)になったんだね。おめでとう。シーリーニーちょうだいな」と言ってあげたところ、彼女は笑い出しました。
「あのね、先生がみんなの前で、『今回はこの子がシャーゲルデ・モムターズになりました』って発表してくれたんだけどね、みんなは『モムターズ』が何か分からなかったから、全然返事をしなかったのよ」
その時の様子を想像して笑ってしまいました。きっとみんな、「先生、何を言っているんだろう?」という顔をしていたんだろうなあと。
まだ小さいのにかなり口達者でおしゃべり、おしゃまな女の子たちでも、小学三年生ではまだ「モムターズ」という言葉を知らないのか、と、いつも彼女たちに負けている私はちょっと嬉しくなってしまったのでした。小学三年生に張り合っても仕方がないのですけど。
それと同時に、私が小学三年生の時に、「優秀」あるいは「優等」という言葉を知っていたかどうか、今としては思い出せない昔の話となってしまっていることに気付きました。日本の小学三年生くらいだとまだこれらの漢字は習っていなかったように思うのですが。
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アフワーズのテロは、イランでは珍しく大きな被害を出したようですが、テヘラン市内で何カ所か起こったというテロについては、どうも本当にテロだったのかどうか怪しいものが混じっているということです。
イラン=危険な国、というイメージがあるようですが、治安は悪くない国だと思います。私がイランに来て約9年間、どこかに砲弾が撃ち込まれたとか、いくつかテロ活動はあったようですが、現在イラクやアフガニスタンで行われているような、民間人を巻き込んだ無差別なテロが起こったことはないと思います。もちろん、報道規制がかかっていて私が知らなかっただけかもしれませんが、この口コミ社会のイランで噂も聞かなかったということは本当になかったのではないかと思います。
日本などではアフワーズのテロを、「アラブ分離主義者によるもの」として報道していたようですが、私の知り合いのフーゼスターン州(アフワーズはこの州の州都)出身者によると、「自分たちはずっと、イラン人もアラブ人も、スンニーもシーアも一緒に住んでいたんだよ。なんで今更テロなんか。おかしいよ。絶対に。外から来た連中が何か仕掛けているか、政府の自作自演だよ」だそうです。
もちろん彼はシーア派のイラン人ですから、彼の意見が絶対に正しいとは言えませんが、彼に限らずこのテロに違和感を持ったイラン人は多かったようです。しかしそれは一応マジョリティーということになっているイラン系住民による、無邪気な無関心によるものかもしれません。
油田を抱え、イランでも最も豊かな水資源を抱えたフーゼスターン州が、イラン人によるシーア派政府によって搾取されていると感じている住民は、アラブ系に限らず多いだろうというのはフーゼスターン州を歩いていて感じることです。そうした政府に対する反感を利用しようとする勢力がいても不思議ではないでしょう。
政府に対するくすぶった反感は、クルド地域、アーザリー・トルコ系地域、バルーチ圏など、非イラン系住民が多数を占める地域ではどこでも感じることです。
今回のアフワーズのテロは、多民族を国内に抱え、それぞれに不満を感じさせているということにより、イランも簡単にアフガニスタンやイラクのようになるかもしれないと改めて思い出させてくれた事件でした。
願わくば、イラン人の誇る知恵によりそうした危機が訪れることがありませんように。
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イランに戻ってからはその連続で、なんだか毎日大変でした。
まず、日本への一時帰国前に、一時帰国中にイランでの居住ビザが切れることが明らかでしたので、大学の国際部や、ビザオフィスに問い合わせ、そうした場合の扱いがどうなるのか確認しました。
その結果、日本滞在中にビザが切れても、「再入国ビザ」があるから問題はない、イランに戻って24時間以内にビザの更新の手続きをすれば大丈夫である、という回答を得ました。
そこで、イランに戻ってすぐに、大学など関係機関を回り、24時間以内のビザ更新手続きを行いました。
やれやれと安心していたら、ある日突然呼び出しがあり、「ビザが切れているのを放置していたから、裁判所へ出頭して罰金を払うように」とのことでした。
あれだけ念を押して、何度も確認を取ったのにこれです。
これはもう仕方がないので罰金を払ってきましたが、たまらない話です。
そしてその後、無事にビザの更新ができたはずだったのですが、ここでもまたトラブルの連続でした。
私はビザの更新の申請を出した段階では既に博士論文の審査を終えていたため、「大学生ではない」という扱いになっていました。それでも、証書を受け取るために時間がかかるからということで、学生なら一年間のビザが出るところを一ヶ月だけ更新してやるとのこと。
まあ、そのくらいあれば何とかなるだろうと思ったのですが、大学側が二週間で発行すると言い切った証書が結局、一ヶ月以上かかってしまったため、ビザの期限が切れてしまいました。
大学側の問題なのだから何とかしてくれと訴えたのですが、大学は「大学生でない人間に学生ビザは出せない」の一点張りで、ビザオフィスは「学生ビザから他のビザへの切り替えは一切許さない」の一点張りです。学生ビザでなくともビザを取る手段はいくつか持っているので、どこか隣国へ一度出て、そこでまた新たにビザを取ろうとしたのですが、「学生ビザを持っている者には、終了証書を提出しない限り出国ビザを発行しない(※)」と言い張ります。何ともいえない情況です。
私を不法滞在者にしたいのか、と訴えたのですが、「そんなもの、罰金をちょっと払えば良いだけなのだから、証書が発行されるまで不法滞在をしていろ」とこうです。
大学国際部やビザオフィスの職員が言う台詞か?とあっけにとられ、そして、オーバーステイに対する意識って、こんなものなんだなあと、思わずため息が出そうになってしまいました。
聞けばこういうことになってしまう留学生はかなりいるとのこと。
結局、また罰金を払わされたのですが、ビザオフィス内の簡易裁判所へ出向き、書類を作り、銀行へ罰金を振り込みに行き、裁判官の面接を受け、パスポートを提出し、と、結局半日仕事です。これだけの作業をしているにもかかわらず、罰金は1万リヤール(約110円)というのが何とも言えません。
留学生活の最後にとうとう犯罪歴がついちゃったよ、とイラン人の友人に話しては笑われ、日本人留学生には「身体を張って様々なケースを試していますねえ」と笑われているところです。

こちらはテヘランのビザオフィス前。朝一番で書類を出してしまおうという人たちが常に行列を作っている。
(※)イラン国内に居住権を持っている外国人は、イランを出国する時に必ず「出国ビザ」なるものが必要。これがないと、イミグレーションで出国を阻止されてしまう。
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今日はシーア派初代イマーム・アリーの娘であり、第二代目イマーム・ハサン、第三代目イマーム・フサインの妹に当たるザイナブの誕生日です。
彼女はイスラーム・ヒジュラ暦5年のこの日(西暦626年10月2日)に、預言者の末娘ファーティマとその夫であるアリーの間に生まれました。
彼女についてはそれほど多くの逸話が残されているわけではありませんが、兄イマーム・フサインが殺された時に、夫と共に兄に従ってイラクへ向かっていたとされており、兄が殺された後、兄の正当性を堂々と主張し、その遺骸を引き取り葬ったとされています。
こうした逸話からでしょうか、彼女は母性のそしてまた看護師の象徴のように考えられています。そして、彼女の誕生日をイランでは、看護師・保健師の日としているのです。
おまけの選挙情報
こちらは、前国会議長キャルービー師の選挙事務所の一つ。
議長時代はハータミー大統領と保守派の間をバランスを取って動いていた人物という印象でした。そのために穏健派とされているようです。

日本のニュースなどではこの人の名が「カルビ」と書かれていて、留学生などの間では、「おいしそうな名前になるね」と話していたものでした。英語のニュースから翻訳をしているからそうなってしまうのでしょうが、イラン現地での発音は「キャルービー」です。
ちなみに、キャルービーとはケルビム(智天使)を指します。
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日本食を食べながらの話題はやはり、先日のサッカーのワールドカップ最終予選イラン・バーレーン戦後の大騒ぎでした。
私の家の近所でも花火が上がったり、子どもたちが爆竹やホーンを鳴らしたり、たき火を起こしてその周りで踊ったり、道行く自動車がクラクションを鳴らしたりと大変な騒ぎだったが、地区によってそれにも大分ばらつきがあったようでした。
ある地区では全くそういったことは起こらず静かだったそうですが、ある地区では交差点などがディスコのようになっていて、若い子たちが踊っていたそうです。
みんなの話を総合すると、やはり若い世代を中心に、夜中過ぎまで大騒ぎをしていたようです。
四年前、今回の対戦相手だったバーレーンに負けた時は、用意していた花火をやけのように打ち上げ、やけになったように若い子が家の外で騒いでいました。地区によっては商店の略奪が起こっていたそうで、怖かったと言っていたイラン人の友人も何人もいました。
そして八年前、最後の最後で予選突破を決めた時は、テヘラン中が沸き立ち、市内中心部のメイダーン(ロータリー)は人であふれ、交通は寸断され、交通が麻痺するほどでした。そしてどこからか持ち出されたラジカセから流れる音楽に合わせてイスラーム法学者(俗に言う聖職者)までが踊っていたのが印象的だったことをよく覚えています。確かこの時は、結局、交通が全てストップしていたため、学校へ行くことを諦めなくてはいけませんでした。
こう言っては悪いのですが、たかがサッカーの試合に勝ったくらいでこれほどまでに喜ぶというのはどういうことなんだろうと驚いたものでした。日本でもマスコミなどは大騒ぎをしているようですが、国民の多くが外に飛び出して、踊り狂うような喜び方をするかというと、それはちょっと違っているように思うからです。やはり、イランでは他に娯楽がないということなのでしょうか。サッカーが好きであろうとなかろうと、騒げる機会に騒ぐ、そんな感じもしないでもないのです。

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イランもたった今、バーレーンとの因縁の対決に勝利し、本戦出場を決めました。
近所の子どもたちが外に飛び出し大騒ぎ、道行く自動車はクラクションを鳴らし、我が家の裏では花火まで上がっています。
しかし、試合中も試合後もスタジアムの盛り上がりもすごいようで、このままではまた死者が出るのでは?という感じです。
試合の中継をぼんやり眺めていて思ったのは、やっぱり、人が言うようにイランの人たちは執念深いのかも、ということでした。四年前の予選最終戦でのバーレーンに対する恨みを忘れていなかったんだなあ、と。詳しくはまたお話ししますが、テレビからは四年前のことが繰り返し語られています。
これで、8月の日本・イラン戦は気楽に見られそうで、それはとても助かります。
それにしても、この試合を観戦していたハータミー大統領の姿に、何ともいえない感慨がありました。
私がイランに来た翌年にハータミー大統領が誕生したのです。大統領選の様子と選挙に行った人々の明るい表情、ハータミー当選が決まった時の人々の希望に溢れる様子などをよく覚えています。
それまでの何とも暗い雰囲気が変わり、女の子のファッションに代表される町の雰囲気が明るくなり、その一方で貧富の差がじわりと広がり、明るさの裏の何ともいえない息苦しさも感じるという複雑な8年間を過ごし、私の留学生活の終わりとほぼ同時に、ハータミー大統領の任期も終わるという、ハータミー大統領と共にイラン生活を送ったような気分です。
まあ、それはともかく、二次予選の組み合わせが決まってすぐにイランの人たちに言われた「ドイツに行くのはイランと日本だよ」という言葉が真実になって良かったと思います。
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人間その気になってやればできるものだ、というとても説教臭い感想ではありますがこれが正直な気持ちです。
ところで、修士課程を終えて博士課程に進んでから、イランの人たちが「ハーノメ・ドクトル(Ms. Ph.D.という感じ)!」と呼ぶのには閉口しました。
博士課程に在籍しているだけで、まだ博士号を授与されたわけでもないのにどうしてそんな呼ばれ方をしなければいけないのか納得がいかず、そう呼ぶのはやめてくれと何度も言ったものでした。分かってくれる人はほとんどいませんでしたが。
なんとか博士号を取得した現在も、そういう肩書きだけで呼ばれるのはやはり好きではありません。名前があるのだから名前で呼んでください、と言うのですが、やはりこれも分かってもらえません。
日本でもそういうところがありますが、名前を呼ぶより肩書きで呼ぶことが相手に敬意を示すことになるという考え方からそうなるのでしょうが、それにしてもまだ取得していない学位で呼ばれるのは今でも納得がいきません。「どのみち博士になるのだからいいじゃないか」と言われても、それじゃあ経歴詐称だよ、と思うのですが違うのでしょうか。
イランに来ることが決まった時、先生に注意されたことの一つが、「相手に肩書きがあった場合は、必ずそれを使って呼ぶように。そうでないと失礼に当たるから。特にドクトルは忘れてはいけません」ということでした。そういう文化ならとその言葉に従ってきましたが、自分がそう呼ばれることについては、私は「ドクトル」という一般名詞ではないのだけどな、と、少し反発を覚えてしまうひねくれ者なのでした。
おまけ。町中に張り出されている大統領選挙ポスターから。

大統領選挙候補者の一人であり、当選確実と言われているのがこの人物。元大統領ハーシェミー・ラフサンジャーニー。
特大選挙ポスターに書かれている標語は「アフレ・ベイト(原義は『家の人々』、預言者ムハンマドの一族を指す)の理念に基づいて形作られる文明とは、イスラームという真の文明である」
本当にそう思っているなら、彼こそ、平等と兄弟愛という預言者の理念に従って、その莫大な私財を全ムスリムのために使っているんじゃないかなあ、と思うのですがどうなのでしょう。
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このために大学内を一ヶ月以上右往左往させられましたが、それもこれで終わりです。
最後の最後までイランらしいことをしてくれた大学とも、学生としてはこれでお別れです。そう思うと、なんだか感慨深いものがあります。事務のいい加減さというか、面倒くささというか、整理のされてなさにはいい加減にして欲しいと思わずにはいられませんが、それでも楽しく学生生活を送ることができたことを感謝しています。
それにしても、手続きの最後に、証書に学長のサインをしてもらうべく、学長室へ書類一式が送られサインをされて返ってくるまでに5日かかるというのもどうかと思いますが、添付の書類には学長のサインがされているのに、肝心の証書にサインを忘れる学長というのもどうかと思います。
結局、もう一度証書を送ってサインをしてもらったのですが、暑い中、半日待たされるのはちょっと辛いものがあります。

ということで、これは博士論文と、証書。

こちらは、6年半通ったテヘラン大学の正門。

こちらは人文学部の校舎。
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この日は、「ホルダード月15日の血の蜂起」と呼ばれる、イラン・イスラーム革命のきっかけとなった事件の一つが起こった日です。
ホメイニー師は、イランの聖地の一つであるゴムの神学校で教鞭を執る教師の一人でした。ホメイニー師はシャー(国王)の専制的な政治に対して批判的でありましたが、まだ政治に大きく関わってはいませんでした。ところが、様々な政治的状況が変化し、イラン暦1342年ホルダード月13日(西暦1963年6月3日)に、ゴムの神学校で演説を行い、シャーの独裁政治、アメリカに対する従属的な政治、イスラエル寄りの姿勢を非難しました。
この演説に対してシャーは警察を動かし、ホルダード月15日(6月5日)にホメイニー師をゴムの自宅で逮捕しました。その知らせはすぐに全国に広まりました。そして各地でこの逮捕に対する大規模な抗議デモが発生しました。シャーはデモに対して軍隊で応戦しました。この軍隊による攻撃で多数の死傷者が出て、ホメイニー師の支持者や弟子たちも多数逮捕されました。
イランの現政権は、この抗議デモを革命の第一段階として評価し、記念日として毎年記念行事を行い、革命精神の高揚を行うのです。
しかし今では、そうした革命史などに人々はほとんど関心を持たず、前日のホメイニー師の命日と会わせて必ず連休となるこの日を、気持ちのよい季候の中、地方へ、あるいは近所の公園へと遊びに出かける絶好の日として楽しんでいるようです。
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今日は、イラン暦ホルダード月14日、イスラーム・ヒジュラ暦ラビー・アル=サーニー月26日、西暦6月4日は、イラン・イスラーム共和国建国の祖エマーム・ホメイニー師の命日です。
ホメイニー師とイスラーム革命の関わりについては、詳しく述べると大変なことになりますので、ここでは省略させていただきます。インターネットでも簡単に調べられますし、もし、少し詳しく知りたいという方は、桜井啓子著『現代イラン〜神の国の変貌』岩波新書がおすすめです。
イスラーム革命が何だったのか、革命後25年を経てもまだイラン国内できちんとした分析・評価は成されていません。外国人がそれぞれの立場から勝手なことをいうことはできますが、イラン人自身による感情的ではない(旅行者などが聞かされる革命評は、イランの立場や経済状態を無視したほとんど感情論である)、冷静な分析が見られる日が来ることを願っています。
それはさておき、ホメイニー師がイラン暦1368年のこの日(1989年)に亡くなった時、イランの人々は、長く続いたイラクとの戦争に疲弊し、世界的に孤立していました。そうした現状の中、革命への夢も色あせ、政府に対する不信感も生まれていました。しかし、そうした中でも、「坊さんたちはろくでもないけど、ホメイニー師はちゃんとした人だった」と感じ、敬意を払っている人はまだ多くいました。
ホメイニー師はどんな豪奢な邸宅にも住めるであろう権力を持っていたにもかかわらず、テヘラン北部の本当に質素な家に住み、持ち物なども普通の人たちと変わることのない生活を送っていました。
ホメイニー師が晩年に住んでいた家は、現在博物館となっており、見学をすることができますが(テヘラン北部ジャマラーン地区)、ごく普通の家です。
しかし、ホメイニー師の死後、後継者たちによって壮大な墓廟が作られ、偶像化が行われるようになり、そしてまた、政治に対する不信感と相まって、人々のホメイニー師観は変化してきました。
「彼は所詮インド人だから」
これがこの二三年、特にホメイニー師を知らない若者世代の間で言われるようになったホメイニー師観です。
確かに、ホメイニー師の祖父に当たる人物は一時期インドに住んでいましたが、血統的には間違いなくイラン人であるはずのホメイニー師について、「外国人がイランにやってきて、イランをめちゃめちゃにした」という考え方が見られるようになってきているのです。若者たちが、表面的な自由かを享受しつつも、現在のイランのあり方に不満を抱き、閉塞感を感じていることが伺える話です。
もちろん、ホメイニー師は立派な人物だったが、あくまでそれはルーハーニー(イスラーム学者)としてであり、政治家としてではなかったのだ、と好意的な見方をする人もまだ多くいます。また、ホメイニー師の革命理論は素晴らしかったが、後継者たちがそれを堕落させたと嘆く人もいます。
現在、テヘラン南部にあるテヘラン市の共同墓地に隣接する場所に作られているホメイニー廟は、ホメイニー師の死後16年建ってまだ完成していないほどの規模です。この廟について、テヘランの人々には、「彼はあんな廟を作って欲しいとは絶対に思っていなかったはずだ。他の人たちと同じように、ベヘシュテ・ザフラー(共同墓地の名)に葬って欲しかったはずだ」という人も多くいます。彼の質素な生活を考えたら、恐らくその通りではないかと思います。
ホメイニー師が目指した「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」が今後どうなるのか、イランと関わりを持つ一外国人として、気にならずにはいられません。
ちなみに余談ではありますが、私が専門としているイスラーム倫理論においては、統治者が法学者であるべきとは言われていません。統治者が、真摯な信仰の持ち主であるべきだとは定義されていますが、信仰よりも「正義」と「公正」が優先されなくてはならないと言われているのです。礼拝をするよりも、民のために富の分配を行う統治者が優れた統治者だ、というイスラーム倫理論から見ると、今のイランのあり方をどう評価すべきなのか悩んでしまうところです。

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日本では、運転免許書を取得する際に、ほとんどの人が教習所に通い、交通法規と運転技術について勉強すると思います。免許書を取得して、実際に運転を始めれば、必ずしも教習所で習った通りに運転していないことも多いかと思いますが、一応、標識の意味や交通法規を覚え、ルールを守ることを教えられて道路に出るということになっています。
イランではどうかというと、一応、教習所はあります。しかし、そのあり方は日本とは随分違います。
イランの教習所は、どう見ても「実際の道路でどうふるまうべきか」を教えているように思えます。
日本のように、学科のための教室も、初心者が運転に慣れるまで練習する教習コースもなく、道路脇などで自動車の操作について簡単に説明を受け、そのまま一般道での教習が始まります。
さすがに、最初は交通量の少ない小路などで練習するようですが、そういった場所だからといって、また教習者相手だからといって他の自動車が遠慮して走るわけではありません。まして、大通りに出れば、無茶苦茶な運転をする他の自動車の間を縫って走らなければなりません。「それって、初年兵をいきなり最前線に送り込むようなものじゃないですか」とびっくりされた日本の方がいらっしゃいましたが、まさにその通りだと思います。日本の教習車と違って教官ブレーキはありませんから、まさに、教習生の真剣勝負です。
こうやって運転を覚えるのですから、運転技術は優れていても、マナーがなっていない運転手ができあがってしまうわけです。
教習所では交通法規をあまり教えていないのではないかと疑いを持つ理由の一つが、自動車を運転する人の中には、交通に関する簡単な用語を知らない人がかなりいるということです。
例えば、少し前に、「車線を守りましょう」という標語の書かれた看板があちこちにだされていました。ところが、少ししたら、「二本の線の間を走りましょう」に変わっていました。どういうことかと思ったら、最初の書き方だと、車線の上を走る人が続出してしまい、かえって混乱を招いてしまったからだとのことです。つまり、「車線」という言葉を知らない人が沢山いたのです。
イランの人たちに交通法規を守らせるには、長期計画で行かなくてはならないようです。

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色々と事務的な手続きが難航しているため、毎日大変なことになっています。
毎日がストレスとの戦いです。
まず一つめは、テヘラン市内の交通事情の悪さです。
事務手続きを行うため、大学へ行ったり、その他いくつかの役所へ行ったり、ともかく、テヘラン市内をあちこち動き回る必要があります。ところが、以前にもご紹介していますように、イランには公共交通機関がないに等しい国です。そのため、バスを使うか、乗り合いタクシーを使うか、あるいは料金はかさみますがタクシー会社のタクシーを使うかという三つの手段しか、移動手段がありません。
交通手段がほとんど全て道路を使うものであるため、イラン〜特にテヘラン〜の道路は「深夜以外はいつも渋滞している」と言われるほどの交通渋滞です。
バスはテヘラン市が運営しているものなので、料金は非常に安いのですが、本数が少なく、常に込んでいます。また、冷暖房がないので、冬場はともかく、夏はちょっと耐え難い暑さになります。
タクシー全般は楽で便利ではありますが、これが今年に入ってから異常な値上げをしていて、それほどお金があるわけでない私の財布を直撃しています。ひどいところですと、二倍近い金額を請求してくる運転手もいて、言い合いになってしまうので大変に疲れます。ガソリンの値上げがあったというならまだ納得しないでもないですが、今年はまだガソリンの値上げはありません。単純に、「毎年正月に値上げをするから」ということで値上げをしているのでしたら迷惑な話です。
こうした金銭的な部分もストレスになりますが、何よりもストレスを感じるのは、イラン人の交通マナーの悪さです。
車線を守らない、方向指示器を出さずに突然車線を変更したり曲がったりする、必要以上のスピードで追い越しをする、無理な突っ込みをする、等々、あげればきりがないくらいです。交通マナーそのものではありませんが、カーステレオで音楽を信じられないボリュームでかける運転手が多いのも辛いところです。
私は通訳やアテンドなどの仕事をすることが多いのですが、はっきり言って、イランの交通マナーの悪さは、日本からいらっしゃる方に対して恥ずかしいです。「お客が乗っているのだから安全運転をして」「急いでいないからゆっくり運転して」と事前に注意をしていても、自分本位の運転しかしない運転手がどれほどいることか。悲しくなるほどです。
初めてイランにいらしたほとんどの方が悲鳴をあげます。また、日本人が悲鳴を上げるのがおもしろいのか、笑いながら危険な運転をしてみせる運転手もいます。
こんなことをされて、「イラン人はメフマーン・ナヴァーズ(お客に親切にすること)だ」と言われても、ちょっとそれはどうかと思わずにいられません。
常に冷や冷や、いらいらしながら移動するというのは、かなり疲れます。道中嫌というほど吸わされる空気の悪さと相まって、仕事を終えて帰宅するとしばらくは、ぐったりと動けません。
そうして命からがら目的地へ着くと、ここがまた大変なストレスのもとです。
イランにもIT化の波は押し寄せています。しかし、それを使う側のイラン人がイラン人ですから、なんともいえない情況がそこに生じます。
たとえば、テヘラン大学も数年前からコンピューター・システムを導入し、学生に関する事務を全てオンライン化したということになっています。
ところが、これがなっているだけで、実は全くできていないのです。
恐らく、普通の国であれば、ITを導入するに当たっては、必要なデータを全て入力してからシステムを立ち上げると思います。しかしイランでは、まず、システムを立ち上げ、それから必要になったデータを入力していく、という信じられないようなことをしています。そのため、学生によっては、何か必要があって教務課などへ出向いた時になって初めて、自分のデータが入力されていないということに気付くということになります。私もそれでした。
今回、博士号取得証明書を発行してもらうために、まず文学部の教務課へ出向いたところ、「君の学生番号は古いもので、コンピューター処理をするための新しいものではないから、証明書の発行はできない。中央へ行って発行してもらえ」というのです。
普通なら、学生番号が変更になります、というお知らせがあってしかるべきだったと思うのですがそんな連絡はこれまで一度もありませんでした。それに、文学部の教務に私の名前がないということは、この数年、私は文学部の学生として扱われていなかったということなのか?とかなり疑問です。
学生証番号を発行してもらい、文学部教務へ戻って、私のデータを入力するよう要請しましたが、入力担当者が一人しかおらず、しかし学生は沢山押しかけてきますから処理が全く追いついていません。
ようやく仕事をしてもらったと思ったら今度は、「新しいシステムでは君のデータは処理しきれない」と言うのです。よく分かりません。
また中央教務課に出向いたところ、旧システムを新システムで処理できるようにプログラムの変更をしている最中で、何日か後には処理ができるようになるから待つようにとのことでした。しかし、私は諸般の事情から、そんなに悠長に待っていることはできません。そのため、システム担当者に泣きつき、何とか例外として処理してもらえるように頼み込む羽目に。
システムの変更って、それ以前のシステムを一切仕えないようにすることか?と激しく疑問に思わずにいられませんでした。
そんなこんなで、申請をしてから一ヶ月、まだ証書は発行されていません。
システムといえば、イランではシステムがよくダウンします。
例えば、イラン・エアのシステムダウンはもう日常的な出来事の一つと言えます。
先日も、仕事で地方へ行った時にひどい目に遭いました。
仕事次第で帰りがいつになるか分からないので、帰りの便はオープンにしてありました。
仕事のめどがつき、じゃあ、この日のこの便で、と、現地のイラン・エアのオフィスで申し込んだところ、キャンセル待ちになるということでした。まだ時間もあるし、ウエイティングリストに乗せておけばほぼ確実に席は取れるということでしたので、ウエイティングにしてもらいました。
そして、出発の前日、その確認にオフィスへ連絡をしたところ、システムがダウンしているから、昼くらいにもう一度連絡しろ、とのことでした。
そして、午前中の仕事が終わり、イラン・エアのオフィスへ行ったところ、「システムがダウンしていて、もう閉めるから」と言うのです。そんなことを言われても、私は明日テヘランへ行かなくてはならないし、明日は金曜日だから、今日中に何とかしてもらわなくては困ると言ったのですが、まったく相手にしてくれません。それどころか、オフィスの向かい側にある民間の旅行社を指さして、あちらで何とかしてもらえ、と言うのです。信じられないような対応です。
仕方なく、そちらの窓口へ行き、事情を説明したところ、「それは大変だったわね」と大変に同情してくれ、イラン・エアのテヘランオフィスに直接電話を入れてくれました。少しやりとりをした後、チケットの確定ができました。つまり、電話一本でどうにかなることを、イラン・エアのオフィスではやってくれなかったのです。
イラン・エアではいつもこんな感じです。
イラン人は、一人一人は親切な人だと思うのですが、組織の中では、親切よりも「面倒なことをしても仕方がない」「責任を取りたくない」になるのだなあ、と、イラン・エアや省庁、大学事務局と仕事をしていると、なんともやるせない気分になってしまうのです。
ついでですが、大学の事務システムそのものも、かなり疑問に思うところではあります。
事務の職員はほとんどが事務専門職員なのですが、役付きはほとんどが教授です。そのため、教授が授業をしていたり、授業がなくて大学へ来ない日などは、事務的な書類にサインをもらうことができません。これも、随分と変なシステムではないかと思うのですが、日本以外ではそんなものなのでしょうか?
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