先日、大学寮で大統領選の候補者資格審査で改革派の候補が失格したことに対して、大学生がデモを行い、大学寮が封鎖されたという話をしました。これはそれほど大きな騒ぎにならずに済みましたし、大学に通っていても、学生たちは政治に無関心であるように見えます。
街の様子も学生たちと同じで、本当に大統領選挙を控えているのだろうかと思うくらいに何の変化もありません。
しかし、今週に入ってから、選挙ポスターが目につくようになりました。目につくと言っても、「ああ、あるな」という程度で、これまでの選挙のように至る所にべたべたと貼ってある感じではありません。それでも、「選挙に行きましょう」というポスターと共に、ようやく、選挙が近いのだなあという実感を得ることができました。
選挙予想については、イランの人たちはほとんど、「ラフサンジャーニーで決まりでしょ」と思っているようですが、それを歓迎するかどうかというとまた別な問題のようです。
誰が大統領になっても一緒だけど、ラフサンジャーニーはまし、という理由の一つが、「彼は本来国のものであるべきお金をポケットに入れてしまう人だけど、まだおこぼれに預からせてくれるから」だそうです。彼は、お金に汚く、貪欲だけど、そのために経済が活性化するだろうと言うのです。本当かどうか分かりませんが、「バスルームのノブまで金でできている」と言われる人ですから、経済活動を抑えるということはしないでしょう。
しかしその一方で、彼が当選したらインフレが進み、物価が上がるだろうと考える人も多いようです。
イランでは毎年、正月休み後にガソリンの値段が上がるのですが、今年は値上がりはなしでした。しかし、大統領選が終わったら値上げされるだろうと予想されています。そしてイランでは、「ガソリンの値段が上がったから」という理由でありとあらゆるものの値段が上がりますので、人々の心配は分からないでもありません。
もっと悪い予想としては、ガソリンの消費を押さえるために、ガソリンがクーポン制になり、クーポン以上のガソリンを必要とする場合、現在の価格の何倍もの値段が設定されるに違いないというものがあります。これは何年も前から言われているのですが、今回の大統領選挙の後に、実施されるのではないかと見ている人も多いようです。
こうした心配があるためか、大きな買い物は大統領選前にしてしまった方が良いかも、と言う人もいます。逆に、ラフサンジャーニーが人気取りのために物価を下げるだろうという人もいて、買い物は選挙の後まで待つという人もいます。
テヘランの人たちは、選挙そのものには関心はないけど、それに伴う物価の変動は気になって仕方がないというところのようです。
こんな風に選挙のことを書いていますが、タクシーの中で聞くラジオでは、選挙のことよりも、サッカーのワールドカップ予選を控えて、サッカーの話題が多いような気がするというのが本当のところです。
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このペイカーン、故障が多いことでは名高いということは以前にも書いた通りですが、それでも、外国企業の生産する自動車に比べると格段に安いことから、生産が終わる前に買ってしまおうという駆け込み購入が増えているという未確認情報もあります。あまりペイカーンが増えると、また事故が増えるのではないかと心配になってしまいます。
40年以上生産していながらモデルチェンジはほとんどなし、生産技術は向上せず、技術者曰く「慣れていないのだから仕方がない」で販売を続けてきた素晴らしい自動車です。いい加減何とかした方が良いのではと思いながらも、いざなくなってしまうのかと思うと、寂しい気分にもなってしまいます。やはりイラン=ペイカーンという感じがしますから。
違反者に対して警察車両がよく、「そこの白のペイカーン、止まりなさい」、と言っていたものですが、「どれも白のペイカーンだよね」と言ってしまうくらい、白いペイカーンが多かった時期もありましたが、今は、韓国車やフランス車などに押され、町の中でその姿を見る割合が減ったように思います。
もっとも、イランの人々の平均収入が劇的に伸びない限り、ペイカーンを大切に乗り続け、20年くらいは持たせるでしょうから、すぐにペイカーンの姿が消えることはないでしょうが。
また、一部の人たちは、「生産をやめるって言って、駆け込み購入をさせておいて、生産を続けるんじゃないの?」などと言っていますが、イランならあり得るかもしれません。
ペイカーンの生産停止の理由の一つが、排気ガスによる大気汚染防止のため、なのだそうですが、もし本気で大気汚染を軽減したいのなら、ペイカーンもそうですが、まずバス、ミニバス、トラックなどの大型車を全て廃車にしなくてはいけないのではないかと思います。ペイカーン以上にこれらの出す排気ガスが大気汚染の原因となっているように感じます。「毒ガスを吐き出しながら走っているよね」というのがイラン人全てが感じている、正直な感想ではないでしょうか。真っ黒な排気ガスをもうもうと吐き出しながら走るこれら大型車を見ると、ぞっとしないではいられません。
ということで、ペイカーンです。


こちらもペイカーンマーク


こちらはペイカーンの後ろ姿(旧型)
給油口が後ろにある


ペイカーンの代わりにイランホドロー社で本格的に生産されることになる、『サマンド(栗毛の馬の意)』。下はそのマーク。

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このところ、様々な事務手続きのため毎日のように大学に通っていますが、大学内では、あるいは人文学部付近では全くそんな気配もなかったので驚きです。
恐らく、これから行われる大統領選挙に絡んだ活動によるものなのでしょうが、本当に学生が起こした運動なのかという疑いすら持ってしまうほど、大学内では政治に関しては無関心あるいは諦めムードが漂っています。
「誰が大統領になったところで一緒だよ」
そんな声が聞かれるばかりですから、まさかこの時期に大学寮で騒ぎが起こるとは思っても見ませんでした。
以前に起こった(1999年)、大学寮への治安維持警察軍の殴り込みの後も学生の間でささやかれていましたが、保守派勢力の一つであるバスィージ(民兵)組織による自作自演なのではないかという意見も否定しがたいほどだったのです。今回もなんだか唐突で不思議な感じです。
イランの大学は、入構者を校門で厳しくチェックします。もっとも、新学期が始まってしばらくすると、あからさまに外国人以外の学生はノーチェックになるのですが。しかし警察による学生寮封鎖という事態が起こったからには、今日からまた校門でのチェックが厳しくなるのだろうなあと、少々うんざりです。
私のアパートのある地区は、大学寮のある地区と高速道路を挟んで隣り合っているため、学生運動が激しくなると影響を受けることがあります。なるべく騒ぎが大きくならず、また、前回の事件の時のように、学生寮に住む、政治とは何の関係もない学生たちが面倒に巻き込まれることがないよう祈らずにいられません。
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国内向けなのか国外向けなのか、最高指導者ハーメネイー師が、大統領候補資格を認められなかったいわゆる改革派の候補二人の失格を取り消すよう指示を出したということですが、大学内では相変わらず大統領選についての話題は聞こえてきませんでした。
ところで、インターネットへの接続状態が非常に悪く、いらいらする毎日が続いています。イランの回線事情が悪いのか、PCに何かトラブルが起こっているのか、原因究明に努力しているところです。
イランは個人情報保護、などという意識が全くないに等しい国なので、私がイランで使っている何種類かのメールアドレスはほとんど知られています。そして、毎日のようにウィルス付きの迷惑メールが送られてくるのです。
そんな情況ですから、どれほど効果があるのかよく分かりませんが、一応、インターネット・セキュリティのソフトを購入して使用しています。これは自動的にアップデートされるはずなのですが、この何日か、面倒なことになっています。
以前は自動的にアップデートされていたはずなのに、PCを買い換え、改めてインストールした後はどうも様子が違います。時々、「何日もアップデートされていないからチェックをしてね」というメッセージが出るようになったため、手動でアップデートを試みているのですが、「あなたが住んでいる国にはこの製品は輸出できません」というメッセージが出るだけで更新ができません。このメッセージを見ると、ああ、「悪の枢軸」と呼ばれている国に住んでいるのだなあとしみじみと感じてしまうのです。
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この日は、マシュハドに葬られている12イマーム・シーア派第8代目イマーム・レザーの妹である人物の亡くなった日とされています。
イマーム・レザーがイランのホラーサーン地方へ来ることになったいきさつについては以前にお話ししていますが、彼女も兄を追って、アラブの地からイランへとやって来ました。
そしてイランのゴムの地で病死しました。
彼女を葬ったとされる場所には現在、壮大な廟が作られ、周囲にはイスラーム神学校などが建ち並び、一大宗教都市を形成しています。
彼女自身はイマームではありませんし、何か奇跡を起こしたりしたわけでもありません。しかし、シーア派の人々の信仰を集め、イランでマシュハドに次ぐ巡礼都市となっています。
もっとも、ゴムがこれほどの繁栄を見せるようになったのは、イラン・イスラーム共和国建国の祖とされるエマーム・ホメイニー師がその師と共に寂れていたゴムに移り住み、神学校の復興のために働き始めてからであり、その後革命を経て、イラクでサッダーム・フセインが台頭し、シーア派に対して圧政を行い、シーア派神学の中心地であったナジャフを破壊したからでした。
イラク国内に留まることが危険となった高位のイスラーム学者たちが次々とゴムに移住し、シーア派政権の保護を受けて学問にいそしんだことが現在のゴムの繁栄に繋がっているのです。
サッダーム・フセインが失墜した現在、ナジャフの復興が行われ始めています。そしてゴムに避難していたイスラーム学者たちも続々とイラクへ帰っています。
こうした動きを一番歓迎していないのは、イラクの暫定政権ではなく、イラン政府ではないかとも言われています。せっかくシーア派世界で高めたゴムの地位が、またナジャフに取られてしまうかもしれないのですから当然かもしれません。
そうした政治とは関係なく、イラン国内だけではなく、周辺諸国からもマシュハド巡礼と一緒にゴムの巡礼を行うために多くの人が毎日この廟を訪れています。
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この日は、12イマーム・シーア派第11代目イマーム・ハサン・アスカリーの誕生日です。
少し前に、このイマームの殉教日でもお話ししましたが、彼は極端に逸話が少ないイマームで、お話しすることがほとんどありません。お手上げです。
ということで、間近に迫っている大統領選挙の話題から。
こちらは大統領立候補者の一人、前IRIB(イラン国営放送)総裁アリー・ラーリージャーニー博士のポスターの一つです。

ここに大きく書かれている「ハヴァーイェ・ターゼ(新鮮な空気)」が彼のスローガンらしく、ほとんど全てのポスターにこれが書かれています。
その他に選挙公約が書かれているのですが、それを見てみると
近代的な国家に向けて
宗教的新思想
イランのアイデンティティの強化
学術的・技術的な飛躍
国家の富の増加
イラン人の明るい明日に向けて
だそうです。
保守派の牙城であるIRIBの総裁を務めていたことからも明らかなように、彼は保守派と呼ばれるグループに属しています。まあ、いろいろと言っているようですが、彼が総裁を務めていた頃のIRIBでは、彼の出身地であるギーラーン州出身者ばかりが役付きにはやたらと目立っていたことから、結局は地縁・血縁が出世する政治になるのではないだろうかと思ってしまいます。
関係ありませんが、彼のこのポスターが初めて登場した時に、私は「テヘランの大気汚染軽減のための宣伝ポスターかあ」と、妙な勘違いをしてしまいました。
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この日はイラン最大の民族・英雄叙事詩『シャーナーメ(王の書)』の作者であるフェルドゥースィーの記念日です。
イランは7世紀にイスラーム・アラブ軍によってサーサーン朝が倒されてからしばらく、アラブ人の支配下に置かれていました。
サーサーン朝時代のイランでは、公用語でありまた文語であったパフラヴィー語と、日常会話ではダリー語が使われていました。これらの言葉はセム語族のアラビア語とは違い、インド・イラン語に属するものでした。
アラブ人がイランを支配していた二世紀の間、イランではアラビア語が公用語とされていたため、イラン人が自らの言葉で何かを書き表すことはほとんどなく、この期間を「沈黙の二世紀」と呼ぶ学者すらあります。
この沈黙の二世紀を経て、日常会話に用いられていたダリー語を母体として、アラビア文字を用い、アラビア語の語彙も利用する新しいペルシア語が生まれました。これが、現在ペルシア語と呼ばれる近世ペルシア語(ペルシア語ではファールスィー)です。
こうして生まれた近世ペルシア語を使い、壮大な民族・英雄叙事詩を完成させたのがフェルドゥースィーです。
イランでは伝統的に王や英雄について語る「王の書」の伝統がありました。イスラーム以前に編纂されたこれらの王の書は、現在ではほとんどが散逸してしまいましたが、イスラーム初期にはまだ記録が残っていたと考えられています。
イスラーム以後、近世ペルシア語と古い時代の王の書を使って、何人もの著作かが、散文や韻文で近世ペルシア語による『シャーナーメ』を著しました。これら民族・英雄叙事詩の完成者が10世紀にイラン北東部に生まれたフェルドゥースィーでした。

彼の生年は明らかではありませんが、932−41年頃にマシュハドの近くの村で生まれたとされています。彼の生まれた時代は、イランがようやくアラブの支配を脱し、イラン人自身による統治を行い始めた時代に当たり、民族的な文化復興が行われた時代でした。特に、アラブの影響が比較的薄かったイラン東部地方では、地主階級を中心に、彼らが保持していたイランの伝統を復活させる動きが盛んでした。
フェルドゥースィーも地主階級の出身で、彼の生まれた時代の動きとして、彼が時代精神・民族的な意識をもって民族の英雄叙事詩を作詩しようという意識を持ったことは当然と言えるでしょう。
彼がいつ頃この作品の作詩に着手したかは分かっていませんが、青年時代ではなかったことは確かで、彼は後半生を全てこの作品の作詩に捧げたとされています。
『シャーナーメ』は、世界創造神話からイスラーム以前のイランの歴史が主たるテーマですが、これは日本の記紀と同じように神話や伝説に満ちた歴史です。約6万句と言われる膨大なこの作品には、様々な王、英雄、女性たちが登場し、様々なドラマを通してイラン人の理想とする人間像が描かれています。
この作品に登場する英雄や王たちが繰り広げる物語はイラン人の心を打つものであり、恐らくフェルドゥースィーが目指していたイラン民族主義、愛国心の高揚に大きく寄与しています。イランの子ども向けの本にも『シャーナーメ』からとられた物語がいくつもありますし、小学校から高校までの国語の教科書にも『シャーナーメ』が載っています。
この作品に登場する英雄や王の名は、教育を受けた人であれば知っていて当然というくらい親しまれているのです。
しかし、この作品が持つ民族主義的な傾向から、「イスラーム革命」直後のイランでは『シャーナーメ』は全人類の融和を説くイスラームと相容れないとして、教科書などから排除されました。それでも、イラン人がこの作品に対して持つ愛着は消すことができず、また、イラン・イラク戦争が長引く中、民族的意識を高揚する必要が生じ、民族的英雄フェルドゥースィーとその作品は復活しました。
現在、イラン国内の文学部がある大学では、必ずと言って良いほどフェルドゥースィーの像が置かれ、イラン文学の英雄として敬意を払われてるのです。

私が通っていたテヘラン大学の文学部でも、まず正面入り口にフェルドゥースィーの像が座っており、校舎内で最も大きなホールは「フェルドゥースィー・ホール」と名付けられています。校舎内の様々な場所に、シャーナーメから取られた題材の絵が描かれていたりしており、イラン文学史における巨匠としての存在感を示しています。

写真上 テヘランのフェルドゥースィー・ロータリーの中央に立つフェルドゥースィー像
写真中 テヘラン大学人文学部校舎前に座るフェルドゥースィー像。文学部の学生たちの格好の待ち合わせ場所。
写真下 おまけ。雪の日のフェルドゥースィー像
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これは、チャハール・ターク(四つのアーチ)と呼ばれるゾロアスター教関連の遺跡とされています。
イラン全土に広く存在しているようですが、ファールス州には特に多いものです。
街道からよく見える丘の上などに、一辺が5〜10メートルくらいのドームをかぶせた写真のような建造物が見えた場合、そしてそれが石造りだった場合、チャハール・タークである可能性が非常に高いです。
この建造物が何のために建てられたのかは、未だ研究者の間で議論が分かれるところですが、街道を行く人のための陸の灯台のような役割を果たしていたという説と、聖なる火の保管場所だったという説が最も流布しているようです。
ゾロアスター教徒は、イスラームがイランに入ってくる前にイランで広く信仰されていた宗教で、世界を光と闇の戦いの場であると考え、光の神であるアフラ・マズダに従い、世界を闇へと導く力と戦うということが信徒の役割であるとされています。
ゾロアスター教は日本では「拝火教」と紹介されることもあるように、光と熱を与えてくれる火をアフラ・マズダの象徴であると考え、火を汚さないように大切に扱います。拝火教という字面から誤解されやすいのですが、ゾロアスター教徒は火を崇めているのではなく、シンボルとして大切にしているのです。
7世紀にアラビア半島でイスラームが興り、アラブ人によってゾロアスター教を保護していたイランの王朝が倒れた後も、民衆の間にはずっとゾロアスター教は残り、それを信仰する人も多くいました。逆に、イスラームに対抗するため、イスラーム時代になってからゾロアスター教の教典がまとめられたり、教義が整理された部分があるとすら言うことができるかもしれないくらいです。
写真のようなチャハール・タークも、イスラーム以前ではなく、イスラーム時代になってから作られたものが多いそうです。
私が主に研究に使っていた13世紀くらいの文献にも、ゾロアスター教徒の話が出てきます。また現代イランでもゾロアスター教徒はヤズドやケルマーン、テヘランに住んでいます。イスラームに押され、ゾロアスター教の中心はインドのムンバイに移ってしまいましたが、それでも、ゾロアスター教徒にとってイランは心のふるさとなのだそうです。
現代イランに住むゾロアスター教徒については、またいつかお話ししようと思います。
ゾロアスター教については、日本語でも簡単に読める本が何冊か出版されていますので、ご興味のある方はそちらも参考にしてください。
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正直に言えば、日本もイランもどっちもどっち。住みやすく住みにくい。どちらも好きだけど嫌い。理解できるところもできないところもある。だからどちらも良いところはそのまま持ち続けて欲しいし、悪いところは直して欲しい。
と、そんな気分で書き続けてきたこのブログですが、時々面倒になってしまうことがあります。
自分の考えていることが上手くまとまらない時、自分の意図がきちんと伝わっていない時。等々。
そして、自分の置かれている状況や、自分の住む国を否定するために「イランは素晴らしい」「イラン人は素晴らしい人たちだ」と言われること。イランに好意を示してくれる人とこういう人はちょっと違います。
そしてもう一つ。イランを全く理解する気のない人にぶつかってしまうこと。
ある国際協力関係団体から派遣された人の通訳を務めた時のことです。
その人は、その機関のことを紹介したリーフレットを持参していました。そしてイランの役人に、「私が仕事をしている団体はこういった活動をしています」とそれを差し出しました。
リーフレットを一瞥して、役人はそれを投げ返しました。
「我々にとってこれは全く役に立ちません」
何かと思ってリーフレットを見てみたら、何とアラビア語だったのです。イランの公用語はペルシア語です。国際協力団体関係者が、自分の行く国の公用語も知らずにいたとは驚きでした。それとも、アラビア語とペルシア語は同じ言語だと思っていたのでしょうか。
その役人はかなり怒っていました。それは当然でしょうし、怒る権利があるでしょう。
怒られた当の人物は全くそれに頓着していなかったところがまた恐ろしかったです。
何日か後にその役人とばったり会った時、彼は自分が怒ったことを気にしていたのですが、それに対してその人は、「まあ、怒ったり脅したりというのは彼らの手ですからね」と言い放ちました。信じられない神経です。彼は、イラン人が日本に仕事に来て、中国語のパンフレットを差し出したらどういう反応をするのでしょうか?
そしてこの人物は、イランが金曜日を休日にしていることも、イラン暦を使っていることも、全く知らずにイランにやってきていたのです。イランへ来る飛行機の中でちょっと「地球の歩き方」でも読めばすべてこれらのことは書いてあるのに、全くそういったこともせず、自分の都合だけで話を進めようとするのです。
これまで色々な人と仕事をしてきましたが、これが一番嫌な仕事でした。これが日本の「国際協力」なのかと情けなくなってしまいました。
知らないなら知れば良いのです。しかし、最初から知る気のない人では話になりません。
もちろん、イランに来たからにはできるだけイランを見てやろう、イランを知ろうとして、あるいは一緒に働くイラン人たちとお互いのやり方を理解し合おうと努力している方もいらっしゃいましたから、全てを同じくくりで語ることはできませんが、こういう人も多いことは事実です。
同じことはイラン幻想に捕らわれた人にも言えます。自分がそれを信じたいがため、私(だけではなくイランについて話す人)の話を、自分にとって都合の良いところだけ聞き、都合の悪いところは否定しようとすることがままあります。これも、「自分はイランが好きなのだ」ということを免罪符にしているだけに厄介です。「それって、本当にその国を好きなことになるの?」と言いたくなってしまいます。
親に隠れて売買春をする子もいれば、家出や麻薬が社会問題となる。外国人と見ればぼってくる人もいれば万引きをするおばさんもいる。自分の利益のためなら友人でも平気で裏切ってしまう。嫁姑問題もごく普通に存在するし、親戚の間の助け合いも悪口の言い合いも当たり前です。その結果傷害事件や殺人事件だって起こってしまうこともあれば、幼児虐待も起こる。アジア系の人々に対する差別とヨーロッパ人に対する憧れもある。日本とさして変わることのない問題がそこには存在します。それを指摘すると、「それはあなたが見た例外に過ぎない」という意味のことを言い、否定するのです。
そして自分の立場を全く理解していない人というのも、困ってしまう相手です。
例えば、アフガニスタンを通ってきたというバックパッカーと話をした時のことです。
「タリバンの連中と一緒にアフガンを通ってイランまで来たんですよ。全然問題ないっすよ」
思わずめまいがしてしまいました。それを他のバックパッカーには言わないようにと釘を刺しはしましたが、どうしてそういうことを言われるのか全く理解していない様子でした。彼は、自分がたまたま無事だっただけかもしれないとは考えていないのです。彼の話を聞いて、タリバンと一緒に行動すればアフガニスタンを通れると、他のバックパッカーが考えたらどうするのでしょう。そしてその結果、何かトラブルが起こったらどうするのでしょうか。
アフガン人やイラク人の友人たちの話によると、外国人が地元の人の案内あるいはガードなしに歩き回るのは危険だそうです。「大丈夫かもしれないけど、100パーセントの保証はしない」そうですから、無茶はしないでいただきたいものです。
語学留学生やバックパッカーの中には、夫婦でない男女で一緒の部屋に泊まったり、半同棲のような生活をしている人もいたりします。今は割と自由な雰囲気があるとはいえ、いつ揺り戻しがあるか分かりませんし、密告などにより警察に踏み込まれても文句は言えない行動です。これも注意したところで意味を分かってもらえません。外国人だから許される、というのはイランの場合はちょっと難しいのですが、なかなか理解してもらえないのが現状です。
同じ日本語を話しているのに言葉が通じないというのはとても疲れることです。言葉を伝える努力を放棄することはしたくないのですが、それでも時々、ブログもメールもやめてしまおうかと思うことがあるのも本当のところです。
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日本は最近、新札に切り替わったとのことで、きれいなお札が多くてなんだかそれだけで新鮮な気分です。
イランでも最近、新札や新しい硬貨が発行されていますが、古い紙幣もまだまだ流通していて、きれいな札に慣れた日本人を驚かせることもしばしばです。
ぼろぼろなのは当たり前。それをテープで貼ったり、そのまま使ったり。これまで見た一番笑える札は、バンドエイドで修理したものでした。写真を取り忘れたのが残念です。

これは2000リヤール札。写真のものなどまだきれいな方で、もっとぼろぼろなものもあります。ただ、今私の財布の中にあるのはこのくらい。
私がイランに来た頃はまだ高額紙幣が不足していて、1万リヤール札がなかなか手に入りませんでした。ドルをリヤールに両替して、全て1000リヤール札や2000リヤール札で渡され、リュック一杯になってしまったこともありました。私の前に留学したり旅行した人によると、100万リヤールを全て500リヤール札で渡されたこともあったとのこと。
あまりにぼろぼろな紙幣は、商店やタクシーなどで受け取りを拒否されることがあります。特に、紙幣の角がかけているものなどは受け取ってもらえません。仕方がないので、そうした紙幣は銀行へ行く時に持参して取り替えてもらうのですが、そうして渡した使えない紙幣を窓口の行員が次のお客に渡してしまうことがあるのには驚きです。
日本人の目から見てびっくりすることのもう一つは、紙幣をメモ代わりに使ってしまうということです。それもまた、銀行自らそれをやっているというのもおもしろいところです。例えば、窓口で受け取った紙幣の数を数えて、それを紙幣に直接書いてしまうのです。それもボールペンでです。
また、紙幣に自分のアドレスや電話番号を書いて、知り合いになりたい人に渡す人もいます。電話番号が書いてある紙幣を見つけ、不思議に思ったので友人などに聞いてみると、ナンパの一手段として、あるいはまたもっと真面目に名刺代わりにと、そういったことは普通に行われるのだそうです。どのくらい一般的なのかは分かりませんが。

メモやら計算やらサインやら色々と書き込まれた1万リヤール札。
ぼろぼろになった紙幣は受け取りを拒否されますが、メモは全然構わないようです。
イランでは昨年、インフレに対応してか2万リヤール札が発行されました。次は10万リヤール札ではないかと言われていますが、高額紙幣を発行する前にデノミをした方が良いのではないかという気もする今日この頃です。
イランでは、「リヤール」という単位は既に使われていないに等しいからです。普通、リヤールから0を一つ取ったトマーンという単位を使っています。つまり、1万リヤールは1000トマーンです。最近では、それでも桁が多いというので、1万リヤールを1トマーンと言っていたりします。1万5千リヤールなら1.5トマーンです。そろそろ、デノミを考えても良いんじゃないのかなあと、こういう数え方を聞く度に思うのです。
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写真を整理して見つけたものです。
昨年、バムの取材中に撮った写真からです。

コンテナの仮設住宅に住む親子。コンテナとテントに3〜4家族が一緒に住んでいた。家族の何人かは地震で亡くなっているとのこと。それでも、取材に来た我々に夕食をふるまってくれた。こうしたホスピタリティーは、地震によっても失われていなかった。家族を全て失い、このコンテナ仮設の持ち主であるおじさんの世話になっているという中学生の女の子も、お茶を出したり、食事を運んだりと、口数は少なかったがまめまめしく働いていた。

耐震建築のデモンストレーション会場に来ていた男の子。母親と兄弟を亡くしたと話していた。デモンストレーションを熱心に見入っていた。

最後に、崩壊してしまったバムの城塞。ユネスコなどが再建しようとしているようだが、資金など様々な障害があり、作業はほとんど進んでいない。
地震から一年以上経ち、それでもまだ瓦礫の撤去も住宅の再建もなかなか進まないバム。親戚などを頼って他の都市へ行ってしまった人については分からないが、バムに残った人々には、仕事もなく、家の再建はおろか、生活の立て直しすらおぼつかない人も多い。
私にできることは、バムが忘れられないよう、こうして現地の情況を報告するくらいしかない。
バムの人々の心の傷はそう簡単に癒えるものではないだろうが、彼らがしっかりと顔を上げて進んでいけるよう、私たちにできることを考えたい。
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私はこの二日ほど、頭の中を「上を向いて歩こう」が回り続けています。何がきっかけだったのか分からないのですが、気がつくと、「うっえをむ〜いて、あ〜るこう〜〜」と口ずさんでいる自分がいたりして困惑しています。
日本の、なんとなく霞がかったような空を見上げていると、時々、無性にイランの空が懐かしくなることがあります。黒くすら見えるような青空が一面に広がっていたり、そういう空に真っ白な雲が浮かんでいたり。結構イランに毒されているかもしれません。

アゼルバイジャン州ハサンルーで。
右側の黒くふくれている人影が私。
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