ゴフトグーイェ・タマッドンハー

留学生としてイランにやってきてから10年以上。イランの人々とのあれこれや、イランで見たこと考えたことなど。

 テヘランにも何年か前に地下鉄がようやく開通しました。まだ南北線と東西線くらいしかないのですが、交通渋滞緩和のため、中国の協力を仰いで路線を増やしていくつもりだと聞いています。
 私が住む地区も私が通っている大学も、地下鉄の路線からは離れていますし、特に地下鉄を使う用事もなかったのですが、アーシュラーの取材のためにバーザールに通っているうち、どうしても乗ってみたくなってしまいました。バーザールの近くにはいくつか地下鉄の駅があるのです。

 テヘラン地下鉄敷設計画は革命前に遡ります。今を遡ること約30年前、フランスの協力により、メトロの工事が始まりました。
 ところが、革命が起こり、契約は棚上げになり、また革命後すぐに戦争が始まり、地下鉄工事は止まってしまいました。
 しかし戦争が終わり、経済状態が少しずつ改善されるに従い、テヘランの交通渋滞が社会問題となりました。そして渋滞緩和のため、自動車の排ガスなどによる大気汚染緩和のため、地下鉄の敷設が急がれました。
 この時、以前契約をしていたフランスの会社を使うかどうかで色々と議論があったようですが、結局安い見積もりを出してきた中国の会社と契約を結び、工事の完成を急ぎました。そして完成したのが現在のメトロです。そして現在も地下鉄敷設工事は行われています。
 交通渋滞緩和と大気汚染軽減のため、地下鉄のより一層の普及が望まれていますが、テヘランの住宅建築方法の問題と、地下鉄工事のために地上の道路を通行止めにしてまた渋滞を引き起こしてしまうという問題から、なかなか工事は進んでいないようです。

 とここまでが、テヘラン地下鉄の簡単な歴史です。
 ともかくも、地下鉄に乗ってみました。

ちかてつ1−1


 バーザールからほど近いエマーム・ホメイニー駅の入り口。東西線と南北線が交差している駅のため、乗降客がとても多い。バーザールに近く、男性の方が随分と多い。

ちかてつ1−2


 駅に入るとすぐに地下へ下りる階段。画面上部に見えるのは駅名のプレート。まだ新しいからか、思っていたよりもずっときれい。

ちかてつ1−3


 こちらは切符売り場。自動券売機はまだなく、人力販売。それほど混んでいない時間帯だったので、窓口は半分閉まっていた。
 切符を買う私に係員が一言「日本人?」。仕事をしながらも、この質問は忘れない。私が答えるまで何度でも同じ質問を繰り返すところは下町故か?

ちかてつ1−4


 切符。どこまで乗ろうと650リヤール(約7.5円)の都バス方式。自動改札があると聞いていたのに、紙のもぎり式。それに自動改札は動いていなくて、おじさんが二人手で切符をちぎっている。
 切符の裏にはいくつか注意事項が書いてあって、そこには、「切符は下りるまでちゃんと持っているように」と書いてあるのだが、おじさんは切符をちぎった後の半券をそのまま足下の箱へ放り込んでしまった。「半券は渡してくれないのか?」と聞くと、どうしてそんなものをほしがるのかと言わんばかりの顔をされてしまった。

ちかてつ1−5


 これが、まだ使用されていない自動改札。駅の様子を見ている限り、もうしばらくは使われそうにない感じ。
 一緒にいた人たちと、自動券売機や自動改札にすると、失業者を増やすことになるからかもと話し合う。実際、工事が再開されてから、地下鉄が開通すると仕事が奪われると、乗り合いタクシーやバスの運転手が反対運動を行っていたと聞いたことがある。

ちかてt1−6


 ホームへ下りるエスカレーター。私の前にいたこのチャードルのおばあさんは、エスカレーターに乗ったことがないらしく、足を下ろすことができずにおろおろしていた。「早すぎて怖いわ!」手を取ってあげようと思ったのだが、カメラを構えた日本人が怪しげだったらしく、逃げられてしまった。考えてみたら、テヘラン市内にエスカレーターのある施設というのはほとんどないため、まだエスカレーターに慣れていない人も多いことは確か。

 地下鉄構内の雰囲気というのは日本でも海外でも、どこもあまり変わらないものなのだなあというのが正直な感想。次回はホームと車内の様子をご紹介する予定。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 再びアーシュラーの様子から。
 今回は、アーシュラーの舞台裏。
 アーシュラーの期間、ダステに参加する人、見物する人には、飲み物や食べ物がふるまわれます。これは全て、ヘイアトへの寄付金で賄われます。またこうした振る舞いは、ヘイアトと関係なく何かナズル(願掛け)のある人が個人的に行うこともあります。

へいあと〜ばーざーる1


 シャルバト(甘く冷たい飲み物)を作っている人たち。振る舞いの飲み物は、お茶、薔薇水入りホットミルク、シャルバトが一般的。時々、シャルバトの中にはハシュキールという植物の種が入っていることも。
 飲み物をふるまうことは、水の補給を断たれ、渇きの中で死んでいったイマーム・フサイン一統を偲ぶ行為であるとのこと。

へいあと〜ばーざーる2


 振る舞いご飯の下ごしらえを手伝う女性たち。炊き出しは基本的に男性の仕事であるが、材料を洗ったり切ったりという下ごしらえの段階では女性が手伝うこともある。アーシュラーの一日目から八日目までは基本的に夜のみの振る舞いだが、九日目(タースワー)は昼と夜の二回の振る舞いとなるため、朝から夜までずっと下ごしらえや調理が続く。

へいあと〜ばーざーる3


 大鍋(ディーグ)に下ごしらえのできた材料を入れる男性と、それをかき回す男性。ディーグの大きさを見て分かる通り、一つの鍋で50〜100人分。これは男性でないと扱いきれない。ヘイアトの規模によって、こうしたディーグの数が変わる。一つだけのところもあれば、数十のディーグが並ぶ大きななヘイアトもある。

ばーざーる〜あーしゅらー1


 こちらはおまけ。
 ダステが行進する時にリズムを取るために使う太鼓各種。これらは全て新品。激しく太鼓を叩くため、アーシュラーの期間中に壊れてしまい新しいものを購入に来る人も多いとのこと。ちょっと画質が悪いのでよく分からないかもしれないが、全て「YAMAHA」のシールが貼ってある。

ばーざーる〜あーしゅらー2


 こちらはダステで使われるザンジール(束にして持ち手をつけた鎖)を選んでいるおばさん。あれこれ鎖や持ち手の具合を真剣に吟味中。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking





 ケルマーン州のザランドで起こった地震の被害の様子が盛んに報道されています。

 水曜日の朝刊によると、「バムでのことを考えると、ずっと早くに援助が入り、より良い活動が行われた」とのことです。
 これがどのくらい信用のできる言葉かどうか、現地へ行っていない私は判断することができませんが、かなり疑問はありますし、イランのこうした災害時の救援活動が難しいであろうことだけは容易に想像ができます。

 日本の方が詳細に報道されているかと思いますが、マグニチュード6.4、震源の深さが10〜15キロメートルとのことですから、バムの地震とほぼ同じ規模です。昨日も書いた通り、ケルマーン州内の活断層が活発に活動しているというのは事実のようです。火曜日の深夜までの時点で余震が67回とのことですから、救助活動もなかなかはかどらないことと思います。

 新聞記事やニュースで分かることと、これまでのイランでの差街救助の実態をインタビューした時の経験から分かることと想像できることについてお話ししてみたいと思います。

 新聞の写真やテレビのニュース画面を見ている限り、ほとんど人力で瓦礫を掘り返して被害者の捜索を行っているようですから大変です。寒気がイラン上空に居座っている中、救助が遅れることは死者を増やすことに繋がるでしょうから、速やかな救助が行われることを願わずにいられません。
 しかしイランでは州都のレベルでもこうした時に使える機材の数は足りず、人力に頼らざるを得ません。バムの復興を阻むものの一つが、瓦礫を撤去することのできる重機などの不足にあるというほどです。
 また、山間部の農村では村と村の距離が離れ、孤立しているところもあります。そして通信網が未整備なところが多いため、電話は村にある電話局にしかないというところも多くあります。このため村の電話局が被災してしまうと途端に孤立してしまう村が出てきます。そのため被災状況が全く分からなくなってしまうのです。そして山間部で道路が寸断されてしまうと、村へたどり着くことも容易ではなくなってしまいます。地震から何日も経つ今でも正確な被災状況は分かっていません。

 ケルマーン州知事が、全ての被災した町や村に必要な物資を移送すると発表していますし、ムーサヴィー・ラーリー内務相が会議を開催し、救援活動の調整などを行うとしましたが、これまでの各地での援助活動を見ているとこうしたことがきちんと行われるかかなり疑問があります。バムの地震の後、バムの人々に聞いたところ、イラン国内外から集まったはずの援助物資がちゃんと届いたとは思えない情況でした。そしてテヘランのバーザールなどで援助物資が売られていたという目撃情報もかなりの数に上ります。毛布、ミネラルウォーター、缶詰が少し配られただけで、他の食物など手に入らなかったというバム市民の声を沢山聞いたものでした。
 公的機関としては、赤新月社(日本などの赤十字に当たる組織)や福祉局、エマーム・ホメイニー救援委員会など、様々な組織が災害被害地に対して援助を行いますが、互いに連絡がないので効率の良い援助が行われないという問題も、これまでに何度か指摘されていながらなかなか改善されません。
 そして何よりも、「カーガズ・バーズィー」と呼ばれる書類のたらい回しに時間ばかりがかかり、効率の良い活動などできません。何か器具を一つ動かすにも書類にいくつものサインをもらわなくてはならない国であり、こうした災害救助の時でもそれは変わらなかったということを話してくれた知り合いもいました。バムの地震の際には救援隊と報道関係者はノービザで受け入れると言いながら、テヘランの入管レベルで入国拒否をされた人もいたそうです。「そんな話は聞いていません」だそうです。また、確認のために各国にあるイラン大使館に問い合わせをした人にも同じような答えを返した大使館員も一部にはいたそうです。命令が末端に届くまでとんでもない時間がかかる国のようです。

 今回のザランドの地震でも、救援物資は届かない、瓦礫の下敷きになった人を救出するための手段もないということで、被災者たちのいらいらは相当に募っているようです。それなのに、政府高官が護衛やお取り巻きを沢山引き連れ、スーツやらアバーにアンマーメ(聖職者としての正装)で現れ、聞こえの良い言葉だけをかけて去って行く。人々は、「被災地見舞い」の政府高官たちの載る車に、どうしてスコップの一つでも積んでこないのかと瓦礫を投げつけたそうです。これと同じ光景は、二年前にハマダーン州で起こった地震の時にも、バムの地震の時にも見られました。

 こうした情況を何度も見ていると、経験を生かすための努力が本当に行われているのかどうか疑問を持たずにいられません。
 今回は海外からの救援も断っているようです。「バムの経験があるから大丈夫」「バムに比べれば大きな被害は出ていないから問題ない」だそうです。その言葉が本当なのかどうか、行動で見せていただきたいものだと思います。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 相変わらず忙しいです。
 今日は2時間睡眠ですが、今寝ると起きられなくなりそうなので、約束の時間まで起きていなくてはいけません。
 ということで、今年のアーシュラーのビデオ編集の続きをしているのですが、飽きてきたのでお口直し。アーシュラーの日に見かけたアリー・アスガルちゃんたちです。画像があまり良くないのはお許し下さい。
 アリー・アスガルは、第四代目イマーム・アリー(=ザイヌルアービディーンあるいはサッジャード)の弟です。アスガルというのは「小さい」という意味で、「小アリー」くらいの意味。長兄のアリーと同じ名前なので、弟であることを示すため「アスガル」がついているのです。
 悲劇的な死を遂げたアリー・アスガルを偲び、自分の子どもにアリー・アスガルの扮装をさせるのです。

ありー・あすがる1


 お兄ちゃんに連れられてダステを見物していたアリー・アスガルちゃん。

ありー・あすがる2


 こちらはお父さんに連れられたアリー・アスガルちゃん。子供用の小さなザンジールを持って振り回しながら楽しそう。

ありー・あすがる3

 こちらもお父さんに抱かれたアリー・アスガルちゃん。ちょっと眠そう。

ありー・あすがる4


 こちらはキュウリをかじるアリー・アスガルちゃん。名前を聞いてみたところ、実は女の子。最近は、このように女の子に男の子であるアリー・アスガルの扮装をさせる親もちらほら見られる。

ありー・あすがる5


 こちらはお母さんに抱かれたアリー・アスガルちゃん。お父さんはダステに参加しているらしく、左側に見えるダステと一緒に歩いていた。

ありー・あすがる6


 こちらは、ガメ・ザダン(刃物で頭などを傷つけること)を見物中のアリー・アスガルちゃん。この子のお父さんがガメ・ザダンに参加していた。お父さんの勇姿(?)に見入っているのだが、こんな小さなうちに流血の行事を見せていいのかどうかはちょっと悩むところ。


 最後になってしまいましたが、地震お見舞いを下さった皆さん。どうもありがとうございます。テヘランは何もなかったのですが、ケルマーン州では大きな被害が出ているようです。海外では、死者の数が400人とか500人とか言われているようですが、イランの国内の情報ではもっと少ないだろうとのことです。
 以前の取材で聞いたのですが、現在、ケルマーン州内のいくつかの断層が活発に活動しているとのことです。以前にもお話ししたように、できるだけ早くイラン国内に耐震建築が普及することを願わずにいられません。イランの地震被害の多くは、家屋を耐震建築にするだけで随分と防げるものであることは明らかだからです。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 今日はエスファンド月4日、ムハッラム月12日、2月22日

 今日はシーア派第四代目イマーム・ザイヌルアーバディーン(ペルシア語ではエマーム・ゼイノルアーベディーン)の殉教日です。

 ムハッラム月10日に第三代目イマーム・フサインが付き従った人々と共にカルバラーの野で殺されました。この時、イマームの長子であるアリー(=ザイヌルアーバディーン)は病気のため、マディーナ(メディナ)に残っていました。このため、父やその一統と共に殺されることがありませんでした。
 父であるイマーム・フサインの死後、第四代目イマームとなったアリーは、生来病弱であったこともあり、政治的に目立った活動を行うことなく、学問と礼拝に日々を送っていました。
 彼は時間があれば常に礼拝を行っていたため、人々に「サッジャード(跪拝するもの)」と呼ばれていました。


 イランのシーア派の伝承によると、イマーム・サッジャードはイラン人の血を引いています。
預言者ムハンマドの死後イランを征服したイスラーム・アラブ軍は、イランのサーサーン朝最後の王の娘を捕らえました。アラブ人は初め、彼女をバーザールで売って金にしようと考えましたが、そこを通りかかったイマーム・アリーが「王の血を引くものを売ってはならない」という預言者の言葉を人々に伝え、彼女を売ることをやめさせました。そして彼女をイラン人ムスリムの手に預けました。
 彼女が成人し、結婚相手を探すことになった時彼女は自ら、イマーム・アリーの息子、フサインを選びました。そして生まれたのがアリー(=ザイヌルアーバディーン)でした。

 この伝承には年代的に無理があり、真実としては受け入れがたいものですが、イラン人はこの伝承を信じており、子ども向けの宗教書などには必ずこの物語が載せられています。
 イスラーム・アラブ軍によって占領される以前のイランは、ゾロアスター教という独自の宗教を持っていました。そこへ持ち込まれたイスラームは、イラン人にとって「アラブ人の宗教」でしかありませんでした。このため、アラブによって占領された他の地域が割と速やかにアラブ化、イスラーム化したのに対し、イランがイスラームを受け入れ、イスラーム化するまでに二世紀以上かかりました。
 このような精神的な抵抗に対して、預言者の高貴な血筋にイラン王家の高貴な血が混じったという伝承が有効に働いたと考えられています。この伝承により、イラン人は完全に他民族の宗教であるイスラームを受け入れる苦痛を和らげることができたというのです。

 イマーム・サッジャードは、歴史書などによると病死をしましたが、シーア派の人々は、彼が父の復讐をすることを恐れたウマイヤ朝のハリーファ(=カリフ)によって殺されたと信じています。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 今日(日本時間だと昨日)はムハッラム月10日、アーシュラーの日でした。
 この日の正午に殺されたイマーム・フサインを悼み、シーア派の人々は正午までダステを繰り出し、街を練り歩きます。そして、イマームが殺されたとされる時間に合わせて礼拝を行い、アーシュラーの主な行事は終わります。
 今日は昼間の行事ですが、アーシュラーのダステは9日目まで主に夜に繰り出します。何日か遅れですが、夜に行われるダステの様子をご紹介したいと思います。

だすて1


 後ろに見えるテントの中で大人たちはロウゼ(悲劇語り)を聞き、イマームとイマームに従う人々の悲劇に涙しているのに、ロウゼに飽きてしまった子どもたちはテントの外で出番待ち。しかし零下に下がっている気温に、暖を取ろうとして、エスファンド(芸香)を燃やすためのマンガル(炭火を入れるブリキの入れ物)を持ち出して、炭に火をつけようと努力中。
 エスファンドは火の中にくべると盛大に煙が発し、この煙が邪を払うとされている。

だすて2


 出番が近づいてきた子どもたちは、ザンジール・ザニー(鎖で自分の体を打つこと)の練習。これは独特のリズムと順番があり、リズム感が悪いと周囲の人と合わなくなってしまうので、ちょっと真剣。
 でも、その脇で、お互いのザンジール(持ち手つきの鎖の束)を見せ合って、「僕のは金色の鎖が入っているんだ」などと道具自慢をする子も。

だすて3


 出番が近づき、行列の先頭に立つ先日ご紹介したヘイアトの旗や、写真に見える色とりどりの旗を持った子供たちが整列。ダステが出発するまでの間、旗を振り回したりして遊んでいる。ヘイアトにもよるが、こうした旗を持つのは子どもの役割というところが多い。

だすて4


 二列に(ダステによっては三列)並んで、列の間に太鼓を叩くグループを挟んで、ザンジール・ザニーを行う男性たち。外国人シーア派留学生が非難するように、真剣に自分を叩くのではなく、リズムを取って軽く鎖を振り回すだけの人が多いが、カメラが自分にむいていることや女の子たちの視線を感じると途端に真剣になるところが現金な感じ。
 ザンジール・ザニーは、太鼓のリズムとロウゼ・ハーニー(悲劇語り)が歌うその日に関連した殉教者の悲劇に合わせて粛々と進む。ロウゼの要所要所では立ち止まり、かけ声をかけながらひときわ激しく体を打つ。この日はアブール・ファズルが殺された日だったので、「ヤー・アブール・ファズル!」「ヤー・エマーム・ホセイン」のかけ声。
 ザンジール・ザニーを真剣に毎日続けると、何日かするとシャツの背中が破れてしまうこともあるが、破れたシャツをそのまま着続けてアーシュラーの日を迎える。シャツがぼろぼろになっているということは、真剣にザンジール・ザニーを行っていた証拠だが、テヘランではなかなか見かけない。

だすて5


 正面に見えるのは、アラム(旗)と呼ばれる一種の山車。鉄製で幅1〜5メートルくらいで、重さも30〜200キログラムまで様々なサイズがある。このヘイアトのものは100キロ強とのこと。ヘイアトの中の力自慢が数十メートルごとに交代でこれを担いで行進をする。 


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking



 アーシュラーシーア派第三代目イマーム・フサインが惨殺されたことを、シーア派の信徒が悼み悲しむ行事であるということはお話ししました。

 今回は、もう少し歴史的背景も加えてご説明してみたいと思います。

 預言者ムハンマドが亡くなった後、イスラームの信徒たちは信徒たちの代表による選挙を通して、預言者が作り上げた社会的共同体(ウンマ)を指導するための後継者(ハリーファ=カリフ)を選びました。これが初代ハリーファ・アブー・バクルです。
 しかし、預言者の従兄弟で娘婿でもあるアリーこそが、預言者の後継者であると信じるグループは、このハリーファを認めませんでした。

 アブー・バクルの後、ウマル、ウスマーンを経て、ようやくアリーが第四代目のハリーファに就任し、イスラーム共同体の指導者となりました。
 しかし、第三代目ハリーファのウスマーンが属していたウマイヤ家のムアーウィヤは、アリーに敵対し、戦争が起こりました。戦闘はアリーに優位な情況でありましたが、アリーはムアーウィヤが出した和議を受け入れ、戦闘を終結させました。
 アリーがこの和議を受け入れたことに反対するアリー軍の中の一派は、アリーの許を去り、アリーは最終的にこの一派の刺客により暗殺されました。

 アリーの死後、ムアーウィヤはハリーファ位を奪取しました。

 アリーこそが預言者の正当な子孫であると信じる人々に推され、アリーの長男であるハサンがハリーファ位を名乗りましたが、ムアーウィヤの圧倒的な武力には対抗しきれず、ムアーウィヤから巨額の金を受け取ることでハリーファ位に対する権利を放棄しました。
 ハサンの死後、シーア派の人々はフサインをシーア派の指導者、イマームとして推戴しました。
 彼は初め、ムアーウィヤに対して威厳ある態度を取りつつも、対立することなく、マディーナ(メディナ)に隠遁生活を送っていました。

 イラクに住むシーア派の人々はたびたびイマーム・フサインに武力蜂起を呼びかけましたが、イマーム・フサインはそれを拒み続けていました。しかし、ムアーウィヤが自分の息子ヤズィードへのハリーファ位継承を決定し、ウマイヤ朝という世襲王朝を確立しようとした時に、イマーム・フサインは自分を支持する人々の要請に従うことを考え始めました。
 イラクにおけるシーア派の人々の情勢を知ったイマーム・フサインはことを起こすことを決意し、ヤズィードに対する中世の誓いを拒否、イラクの支持者たちに合流するため、クーファへ向けて出発しました。
 しかしこれを知ったウマイヤ朝軍はアラビア半島からイラクへ通じる道を閉鎖し、イマームの一行を追い返そうとしました。イマーム・フサイン一行はイラクの支持者たちの援助を期待していましたが、イマームの死者を処刑したヤズィード軍の行為に恐れを抱いた人々は、イマームを助けようとはしませんでした。
 そしてクーファに近いカルバラーで、ヤズィード軍はイマーム・フサインと72人の男性たちを次々と殺害、ヒジュラ暦61年ムハッラム月10日のアーシュラーの日(西暦680年10月10日)に、婦女子を除いた全ての人々が殺害されました。


 10日間に渡って行われるアーシュラーの行事は、ヤズィード軍によって殺されたイマーム・フサインをはじめとする72人の男性たちを悼むものです。
 ロウゼと呼ばれるアーシュラーの悲劇物語が毎晩語られ、人々はその物語を聞きながら涙を流し、胸を叩き、あるいは鎖で我が身を叩きながら殺されていった人々の苦痛を追憶するのです。
 また、タアズィーエと呼ばれる殉教劇もあちこちで上演され、町や村の人々がイマーム軍やヤズィード軍に扮して、カルバラーの悲劇を人々に教えるための劇を上演します。

 イマームに付き従った72人の男性たちは、日を追って一人一人殺されていきます。ロウゼやタアズィーエでは、主な人物たちの死を10日間に割り当てています。このロウゼやタアズィーエの山場は二つあり、一つは、イマーム・フサインの末息子、生後六ヶ月ほどだった「アリー・アスガル」の死です。イマーム・フサインが「この子だけは助けてくれ」とヤズィード軍に頼みますが、ヤズィード軍はこの幼児すら容赦なく殺してしまいます。このシーンは女性たちにとって特に心に響くらしく、アリー・アスガルの死の瞬間には女性たちの鳴き声がひときわ大きくなります。アーシュラーのダステの見物をしている人々の中には、自分の小さな子どもにアラブ風の服装をさせ、アリー・アスガルに擬する人が見られます。

 もう一つの山場は、ムハッラム8日目の夜のアブール・ファズルの死です。
 カルバラーは水のない荒野です。この荒野に何日も閉じこめられたイマーム・フサイン一行は、渇きに苦しめられます。
 イマーム・フサインを初めとする人々の渇きを癒すため、イマームの異母弟であるアブール・ファズルは、ヤズィード軍の包囲網をくぐり抜けて水を汲みに行きます。
 川辺にたどり着き、彼は水を飲もうとしますが他の人々の渇きを思い出し、自分が先に水を飲むことはできないと思いとどまり、持ってきた革袋に水を詰めました。その時、ヤズィード軍に発見され、戦った末、片腕を切り落とされました。しかしそれでも彼は残った片腕で水を運ぼうとしましたが、その手も切り落とされ、殺されてしまいます。
 アブール・ファズルのロウゼを聞きながら、人々はイマーム・フサインたちの渇きを思うのです。
 こうした逸話から、イランの水飲み場の多くには、「ヤー・アブール・ファズル(アブール・ファズルよ!)」と書かれています。アブール・ファズルを思い、水のありがたさを肝に銘ずるのです。

 そして今日、ムハッラム月10日の正午に殺されたイマーム・フサインを追悼するため、人々は正午に合わせてダステを繰り出し、街を練り歩いた後、正午に路上で礼拝を行い、アーシュラーの主な行事は終わります。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking



 この数日、ビデオの録画、編集、翻訳などに追われています。平均睡眠時間4時間。
 これまではデジカメを持っていないことや、通信環境が良くないことから、画像を諦めていたのですが、ちょっと気分転換に、ビデオから写真を取り込んで UPしてみることにしました。こちらでも使えるよう、かなり画質を落としてありますので、ちょっと画質が良くありませんが、雰囲気だけでも見ていただけたらと思います。

あーしゅらー〜ばーざーる1


 バーザールの一角で、お茶や薔薇水入りのミルクをサービスしているおじさんたち。
 私が写真を撮るのに夢中でいたら、わざわざ私のところまでやって来てミルクのカップを渡してくれた。薔薇水の香りと牛乳の香りが混じり合って、何とも言えない味。
 ここでサービスしているものは、全てヘイアト(運営委員会のようなもの)が寄付を集めて行っているもので、労力もヘイアトのメンバーが無償で行っているもの。実は政府はこうした活動にそれほど援助は行っていないとのこと。
 通路の両側の店がみんなシャッターを閉めていることから分かるように、宗教的に熱心な人の多いバーザール商人たちの中はアーシュラーの期間、自分の店を閉めてしまってこうした活動に専念する人も多い。もちろん、こうしたダステがひっきりなしに通るので商売にならないからと休んでいるだけの人も。

あーしゅらー〜ばーざーる2


 こちらは外の宗教グッズ店でおじさんたちがミシン刺しゅうをしていた旗の完成形。ダステ(行列)の先頭には、イマーム・フサインの名前や彼に関わる人々の名前、ダステを主催するヘイアトの名前が刺しゅうされたこの旗が。このヘイアトは、ホセイニーという名前らしい。
 この画像では少し分かりにくいのですが、旗には先が二つに割れた剣が描かれていて、これはシーア派初代イマーム・アリーの佩刀ズ・ル・ファカール。イマーム・アリーの勇気のシンボルとして好んで使われる。

あーしゅらー〜ばーざーる3


 天井から下がっている絵はイマーム・フサインの弟のアブール・ファズル(口語だとアボル・ファズル)。兄への献身的な行為により、シーア派の人々の敬愛を受け、献身の象徴とされている。重量挙げ金メダリスト、レザーザーデが彼に傾倒し、自分の子どもをアブール・ファズルと名付けたのはイランでは有名な話。
 この絵の下に立っているのはロウゼ・ハーニー(ロウゼ語り)と呼ばれ、イマームとイマームに従う人たちがどのように悲劇的な死を遂げたかを、独特の節回しで読み上げる。その読謡のリズムに合わせて、ダステに参加している人々やそれを見物している人たちは胸を叩いたり、鎖で自分の体を叩いたりする。
 一般的に、ザンジール・ザダン(鎖で体を叩くこと)はファールスィー(ペルシア語を母語とするイラン人)が行い、スィーネ・ザダン(手で胸を叩くこと)はトルコ系が行うとされている。もちろん、一つのダステの中で両方が見られることもあるし、トルコ系でもザンジール・ザダンを行う人もいるので、目安という程度ですが。

あーしゅらー〜ばーざーる4


 お父さんに連れられてダステを見物している兄弟。手前の小さい方の弟君は、びっくりしているのかぽかんとダステに見入っていた。カメラに気付いた途端お父さんの陰に隠れてしまったので、正面からの写真はなし。ちょっと残念。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking



 アーシュラーを迎えて活気づく、バーザール内の宗教グッズ各店の様子から。
 ビデオカメラからの画像なので、少し画像が良くないのですけど、雰囲気を見ていただけたらと思います。

しゅうきょうぐっず1


 こちらは垂れ幕や旗などに、イマームたちの名前などのミシン刺しゅうをしているところ。
 男性たちがすごい勢いでミシンを踏んでいる姿は一見の価値有り。
 写真やビデオを撮っていた私たちに、「このミシンも日本製だよ」。

しゅうきょうぐっず2


 こちらはバーザール内ではあまり見ないアフガニスタンのハザラ系の男性。
 挨拶をしたところ、不思議そうな顔でこちらを見て、また自分の仕事にすぐ戻ってしまった。カメラを向けたらちょっと照れくさそう。

しゅきょうぐっず3


 行列を組んで練り歩く際、リズムを取るために太鼓は必需品。新品を買うグループもあれば、古いものを修理しながら使うグループも。
 ここでは古いドラムの皮を張り替えているところ。
 イラン製に違いないのですが、なぜかどのドラムにも「YAMAHA」のシールが貼ってあるのがおもしろいところ。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking



 今日は、先日火事により多数の死傷者を出したマスジェド(モスク)へと行ってきました。

 マスジェドの中は既にきれいに片づけられ、昼は閉めているが夜はこれまで通り礼拝などのために開けているとのことでした。
 マスジェドの外壁には、死傷者のリストが張り出されていました。
 礼拝中に亡くなったからということなのでしょうか、死者の名前を書いたリストには、「ショハダー(シャヒードたち=殉教者たち)リスト」と書かれていたことが、少し驚きでした。
 それと、家族など関係者のためにでしょうか、マスジェド内に残されていたもののリストも張り出されていました。バッグ、靴など様々なものがリスト化されていました。

 今日の午前中に、マスジェド内で亡くなった人たちをベヘシュテ・ザフラー(テヘラン南部にある共同墓地)へ移送するための儀式が行われたそうです。私がマスジェドへ行った時にはもう葬列が出発した後で、見ることはできませんでした。


 このマスジェドは、テヘランの大バーザールの北に隣接しているのですが、今日もマスジェドからも近い金製品バーザールの中で火災があり、消防車が何台もバーザールの入り口に止まっていました。
 中東のバーザール(アラビア語ではスーク)へ行ったことのある人なら分かるでしょうが、バーザールの通路は大変に狭く、消防車が入ることなどできません。バーザール内にも消防署はあるのですが、火災が起こったところで現場に駆けつけることなどできないことは明らかです。
 今日、バーザールへ行って話を聞いて分かったのですが、このところバーザール内で火災やぼやが多く、またマスジェドの大火災もあって、バーザール内を禁煙にしようという動きもあるそうです。火災の原因は決してたばこだけではないと思うのですが、健康のためにも禁煙は悪くないと思うので、禁煙の場所が増えるといいのではないでしょうか。


 バーザールの中では、アーシュラーの行列がいくつも行き交っていました。
バーザールの外の宗教グッズ街では、アーシュラーの行事で使われる道具がここぞとばかりに大量に並べられ、大変なにぎわいでした。
 バーザールの中を歩いていると、お茶や薔薇水入りホットミルクなどがふるまわれ、それを飲みながら行列を見物している人、飛び入り参加している人など様々でした。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 昨日、日本で報道されたこんな記事について、ある方がメールで知らせてくれました。

 妊娠中の女性が汚れた空気の下で暮らしていると、赤ちゃんに染色体異常が現れやすいことが分かった。米国立保健研究所(NIH)が15日、発表した。環境汚染物質が胎児染色体に悪影響を及ぼすことを実証的に示した研究は、極めて珍しい。大気汚染の激しい都市圏で、白血病などのリスクが高まることを示唆しているという。
 米コロンビア大の研究チームが、ニューヨークの3地区の妊婦60人に測定器を着けてもらい、自動車や暖房機器の排ガスなどに含まれる多環式芳香族炭化水素(PAH)という化学物質を浴びている量を測った。
 出産後に臍帯血(さいたいけつ)(へその緒の血)の白血球を調べた結果、日常的に浴びているPAHが全体の平均以下だった女性の赤ちゃんでは、白血球1千個当たり4.7の染色体異常が見つかった。これに対しPAHが平均を超えた女性の赤ちゃんでは、染色体異常が7.2に上っていた。白血病など各種のがんの下地ともなる異常が目立ったという。
 米国立環境衛生科学研究所のオールデン所長は「妊娠中に浴びた特定の環境汚染物質によって染色体異常が起きうることを示す初めての研究だ。各種がんの予防につなげられるのではないか」と述べた。
(朝日新聞02/16 13:14)





 世界最悪と言われる大気汚染の中に住んでいる身としては、非常に怖い研究結果です。
 ここでは、白血病のリスクについて言及されていますが、染色体異常が現れているということは、それ以外の障害が発生する可能性も高いということでしょう。

 障害のある子どもといえば、以前、養護施設などでボランティアをしている人たちから聞いた話が忘れられません。

 イスラームの思想なのか、イスラームとは関係のない思想なのか、まだはっきりと確認が取れていないのですが、両親あるいは片親が何か信仰上の罪を犯していた場合、子どもが障害を持って生まれるという考え方をする人がいます。
 このため、障害児が生まれると、両親、特に母親は自分のせいで障害児が生まれたと考えて自分を責めたりすることがあるそうです。あるいはまた、周囲の「彼女は罪を犯している」という目を恐れて、子どもを捨ててしまうこともあるそうです。テヘラン市内の養護施設には、そうして親に捨てられた子どもたちが何人も収容されています。
 その一方で、「子どもは清らかで神に近い存在だから」と、養護施設でボランティアを行う人も沢山います。また、他の兄弟たちと同じように愛情を注ぎ、育てている両親も沢山います。

 こうした考え方については私の論ずるところではありません。ただ、もし、自分のせいで子供が障害を負ってしまったと感じなければならないとしたら、非常に辛いだろうと感じることしかできません。

 ただ、恐らくそれほど遠くないであろう未来のことを言うなら、こうしたリスクを分かっていながら公害を減らす努力をしないことは確かに親の世代の罪となるはずです。
 そして多くの場合、親の世代の怠慢の被害を被るのは子どもの世代です。イランの人々の多くは、子どもが好きなのですから、子どものためにもぜひ公害軽減・撲滅のために、目先の利益ではない、未来のための利益を選ぶ理性を示して欲しいと願わずにいられません。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 テヘラン市内のマスジェド(モスク)で大規模な火災が起こり、かなりの死者が出たそうです。

 ここしばらく続いている寒さのため、マスジェド内で焚かれていたストーブが出火原因であるとのことですが、「テロ」であるという見方も一部ではされているようです。これはちょっと考えにくいと思うので、単純に過失だと思うのですが、何かあるとすぐに「アメリカの陰謀だ」「イランは被害者だ」と言う政府関係者が出てくるところが、イランらしくておもしろいなあと思ってしまいました。

 イラン国内にテロ組織はほとんど見られません。革命後非合法化され、イラクの保護を受けて活動していたムジャーヒディーン・ハルク(MKO)のような組織はありますが、イラクにおけるサッダーム政権崩壊後はどうなったのやら、あまり消息を聞きません。

 それはさておき、私がテヘランに住み始めてからこれまで、火災のニュースというのはほとんど見たことがありません。これは火事そのものが少ないということなのか、火事がニュースにならないということなのかちょっと判断がつきませんが、消防車が走っているところを全く見たことがないので、数そのものが少ないのではないかと思います。日本に住んでいた頃は、毎日のように消防車のサイレンの音を聞いていたように思うのですが。

 この8年間のテヘラン生活で、私が以前住んでいたアパートの近くで映画館が全焼したことと、私の今のアパートと大学の中間点くらいの場所で雑居ビルが全焼したことくらいしか火事のニュースは見た記憶がありません。恐らく火事そのものはもっとあるのかもしれませんが、日本ほどニュースにならないのかもしれません。

 建物が煉瓦造りや石造りだから火事になりにくいと聞いたことがありますが、日本で火災が多いように感じるのはやはり木造建築が多いからなのでしょうか。こちらの冬も日本以上の乾燥した気候で、一日中暖房がついているような状態ですからいつ火災が起きても不思議ではないように思うのですが、不思議と火事を目撃したことがありません。

 私の部屋は本やコピーなどの可燃物が多いので、火事になったらさぞや良く燃えることと思います。外出時の火の元のチェックなどをきちんとしなくてはと、改めて思ったニュースでした。

⇒続きを読む

 以前、「パラスト」であることへの疑問について書いたことがありました。
 昨日、日本から来ている友人と話をしていて、同じような話になりました。

 日本に住むイラン人と友人である、あるいはイランを少し旅行したという人に、「イランほど素晴らしい国はない」というようなことを言われることがあり、非常に戸惑ってしまうということです。

 確かに、イランは決して悪い国ではありません。日本では失われつつある部分をまだ持った人が多くいますし、豊かな国だと思います。
 しかし、イランを「パラスト」する人の見たイランというのは、あくまでも「幻想のイラン」ではないのだろうかと思うことがあります。

 イランの人の多くは旅行者に対して非常に親切です。これでもかというくらいの親切に触れて、多くの旅行者は、「イラン人はなんて人懐っこくって親切なんだ」と感動します。それは確かにイランの一面ではありますが全てではありません。
 旅人に親切であるということが全ての人に対して親切であるということと同じ意味でないことは、イランに住んでいるとよく分かります。
 プライドとコンプレックスが微妙に入り交じった、外国人〜特にアジアやアフリカの人々〜に対する差別意識や、利用してやろうという下心が透けて見える親切に嫌な思いをすることもあります。その一方で、こちらが困っている時には本当に心から親切にしてくれます。
 例えば一人の人の中にこうした二つの面が同時に存在することも多いので、イラン人との距離の取り方には未だに悩む部分があります。本当に親切なのか、打算からそうしているのかと。

 また、イランを旅した人の中には、イランが便利になることに対して反対する人もいます。イラン人にも便利な生活をする権利があると思うのですが、それを安っぽいオリエンタリズムから「近代化したイランなんてイランではない」などという言い方をする人すらいます。女性たちのチャードルに対してもそうです。イラン人女性にもチャードルを着ない権利があると思うのですが、チャードルを着てこそイラン女性だろうに、と言うのです。イラン人女性にもおしゃれをする権利はあると思うのですが、自分のオリエンタリズムの満足以外の何ものでもない発言をします。
 ついでに言うと、黒いチャードルは、イラン全土で着られるものではなく、地方によって形も色も違いますし、チャードルを着る習慣のない地方もあります。それなのに、「黒いチャードルがイラン女性のシンボル」と言うのです。これにはそういう女性を女性の模範として広めたイラン政府の責任もあるのですが。

 宗教的に真面目で、人懐っこくて親切な人々が昔ながらの生活をしている国。日本が失ったものを持っている素晴らしい国。こうした「幻想のイラン」からはそろそろ卒業してもいいのではないかと思うのです。いい人もいれば悪い人もいる。また一人の中に両方の面があることもある。日本や欧米とそう違わない社会なのだということを認めて欲しいのです。仏教やキリスト教の代わりにイスラームが支配的であり、イスラーム的慣習に従っているというだけで、私たちとそう変わることのない人たちの作っている社会に過ぎないのです。
 便利な生活がしたいし、おしゃれもしたい、そのためにはお金儲けをしたい。そういうごく普通の欲求を持つ人たちですから、宗教よりも現世での利益を求める人もいます。そうしたごく当たり前の人々の住む社会ですから、近代化と宗教の間で矛盾や破綻を来したりすることもありますし、その反動で宗教回帰が起こったりすることもあります。それを全て含めてイランなのですから、自分のオリエンタリズムに合わないからといって、イランがイランでなくなったなどという言い方をするのはおかしいと思うのです。

 経済的に厳しい中、拝金主義がはびこっているように見えますが、色々な文献を読む限り、昔からそういう面はありますし、賄賂や横領もごく当たり前にあったようです。芸術的に独特のセンスを持ち、プライドが高い。目端が利いて、小ずるくてスキさえあれば隣人のものでもくすねるし、嘘を言うこともある。黒人やユダヤ人、東洋人には差別意識を持ち、他人を容易に信用せず、しかしその一方で信仰深い人もいれば、困っている人に対して財産をなげうっても親切にする。
 文学研究や歴史研究をしていると、700年前のイラン人も、現代のイラン人もほとんどやっていることは一緒です。
 表面的には変わっているようでも、イラン人はずっとイラン人なのだと思います。
 オリエンタリズムに満ちた幻想のイランではないイランを見て欲しいよね、と友人と二人でしみじみ話し合ってしまったのでした。

 同時に、イラン人にもおしんや黒沢映画、産業の発達した工業国といった偏った情報からの「幻想の日本」から卒業して欲しいとも思うのですが。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 知り合いの家が泥棒に入られたそうです。

 奥さんが買い物に出かけて、戻ってみたら窓が壊されていて、中を覗くと荒らされているのが見えたそうです。
 奥さんは怖かったので家の中に入らず、そのまますぐに警察を呼びました。

 ところが、彼女曰く、
警察のくせに、臆病なのよ。もう、信じられないわ!!!」
 だそうです。

 警察官がやってきて、じゃあ、家の中をチェックしましょう、という段になって、警察官が彼女に向かって言いました。
「じゃあ、先に入って」
「どうして?もし泥棒がまだ中にいて、こちらに襲いかかったらどうしてくれるんです?そのためにあなた達を呼んだのに」
「でも、ここはあなたの家です」
「あなたは女性を危ない目に遭わせるの?」
「あなたの家ですから」

 押し問答をしてもらちが明かず、仕方なく彼女は先頭を切って家の中に入ったそうです。

警察官のくせに、私の後からおっかなびっくり入ってくるのよ。何のための警察よね?」

 テレビやビデオなどをはじめとする電化製品がかなり盗まれていたそうです。

「家の中に誰もいないって分かった途端、態度が大きくなるのよ。『じゃ、何を盗まれたのか全部言って』って、家の中を調べもしないでリストだけ作って、足跡とか指紋とかも調べようともしないのよ。こっちがそう言うと、『我々はプロだ』って言うのよ!?プロがどうして女を盾にするのかしらね。もう、これだからイラン人は駄目なのよ!」

 そういう本人もイラン人ですし、彼女の夫もイラン人なのですが、この時の警察官のへぼへぼぶりには相当に腹が立ったようです。
 また、捜査をしているのかいないのか、窃盗犯はあまり捕まらないという話です。正確な統計がないので、それが本当かどうか確かめることはできないのですが、私の周囲で泥棒に入られた人で、犯人が捕まったという連絡を受けた人はいないようです。

 聞いたところによると、こういう泥棒のほとんどは近所の人なのだそうです。どこに誰が住んでいて、経済的にどんな情況なのかなどを知っていてやっているのだとのこと。確かに近所の人なら、外出するところを見て、家に誰もいないことなども分かるでしょう。
 幸いなことに、私のアパートの大家さんは警察官で、近所の人はみんなそれを知っています。盗られるようなものもほとんどありませんが、泥棒に入られる確率は低いのかな、とちょっとほっとしたのでした。

 そういえば、やはり私の知り合いで、高級住宅街の中に豪邸を構えていた人が、寝ている間に泥棒に入られたそうです。一軒家は狙われやすいということで、その後その一家は、少し狭いけど、警備員のいる高級マンションに引っ越しました。
 イランの、特にテヘランのアパートなどは、一階は必ず窓に格子が入っていますし、ベランダから侵入されないようにベランダも鉄柵で囲ってあります。外塀には忍び返しのように外に向かって槍のように柵が生えています。日本に比べると泥棒に対する備えは格段に厳重なのですが、それが必要なくらい泥棒が多いということなのでしょうか。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 留学生などが「ポーズだけだ」と批判するイランのアーシュラーですが、確かにそれに対して、「そんなことないよ」と言い切れない部分があるのも本当です。

 例えば、アーシュラーの期間中、毎晩、それぞれのホセイニーエに参加している男性たちはダステと呼ばれる行列を組み、胸を手で打ちながら、あるいは鎖で体を打ちながら、町内を練り歩きます。それを見物している女性たち、特に若い女の子たちはカメラを構え、自分たちのお目当ての男の子の写真を一生懸命に撮っています。また、男の子の方でもそれを意識して、できるだけ写真写りが良いようにと気を遣って行進します。また、沿道にお目当ての女の子を見つけると行列の中から視線を送ったりしてアピールします。

 以前、地方でアーシュラーを見学していた時に、近くにいた女の子たちが私たちに、「あの子を撮ってくれない?」とある男の子を指さし、自分の住所をメモして写真を送ってくれるようにと頼んできたことがありました。あこがれの男の子の写真を欲しいと思うのは、日本でもイランでも変わりません。

 また、ムハッラム月10日のアーシュラーの日の夜、人々がろうそくを手に持ち、殺されてしまったイマーム・フサインとその一統を悼む静かな行事(シャメ・ガリーバーン)があります。ところがこの数年、このシャメ・ガリーバーンが若い男女のデートの口実に使われていて問題になっています。
 市内でも特に人が多く集まる繁華街近くなどでは、わざわざ遠くからカップルがろうそくを手に集まってきて、道路脇に座り込んでいちゃいちゃとしています。親の方でも、シャメ・ガリーバーンに参加すると言われたら反対しにくいこともあり、外に出ることを許してしまうようです。

 聞けば、実際にアーシュラーの行事の中で知り合い、結婚したカップルもいるとのこと。

 こういうところを目にすると、確かに、行列に参加することが女の子の目を引きつけることだったり、ポーズを作る方に熱心で、自分の体を痛めるという本来の目的が忘れられているように見えたり、沿道の女性たちが、行列を作って練り歩く男性たちと共に悲しみを共有しているようには見えなかったりと、「イマーム・フサインの死を悼む」という本来の目的からはずれ、一種のお祭り化している部分が目につくことは否定できません。特にテヘランなどの都市部ではその傾向が顕著です。

 もちろん、脇目もふらず、裸足で(テヘランの人は靴を履いて行列に参加しているというのも批判の対象)、シャツが破れるくらいに熱心に自分の体を打ち続ける人も沢山います。でも、ついつい異性の目を気にしてしまうというのは、万国共通なのではないかと思うのですがどうなのでしょう。それとも、やはりイラン人が軟弱だという留学生たちの主張が正しいのでしょうか。いつか機会があったら各国のアーシュラーを比較してみたいものだと思います。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 いよいよモハッラムが始まりました。
 イラン各地では、ホセイニーエやテキエなどと呼ばれるアーシュラーのための行事を執り行う場所が作られます。

 これは、恒常的な建物として作られているものもありますし、この期間だけ仮設テントを建てるものもあります。
 古い町や村などに行くとマスジェド(モスク)に隣接して作られていたり、バーザールの中の広場がこの期間だけ宗教行事のために使われたりしています。
 私が住んでいるあたりは新しい街ですので、ほとんどがテントを建てています。

 ところが、先週中降り続いた雪のため、テントを支える鉄パイプが雪の重みで曲がったり倒れたりと大変な被害を受けたところもあったようです。「またお金がかかるよ〜」などと嘆く人も多く見られました。

 このホセイニーエは日本で言う町内会のようなものが経営しているところが多いようです。町内の宗教的に熱心な人が何人か集まって委員会のようなものを作り(ヘイアトルオマナーと呼ばれます)、この人たちが町内の人から寄付を募り、ホセイニーエを設置し、そこで使われる用具を準備します。

 こうした街のホセイニーエの他にも、バーザールの中にはバーザール商人による運営組織があって、大規模に宗教的行事が執り行われます。
 バーザール商人たちは全体的に保守的で、宗教的に真面目な人が多いです。イラン人には礼拝をしない人も多いのですが、バーザール商人たちには朝3時に起きてマスジェドへ行き、朝の礼拝を行うという人も多く、アーシュラーの行事にも多額の寄付を行います。

 テレビなどでご覧になったことがある方も多いでしょうが、アーシュラーの期間、人々はシーア派第三代目イマーム・フサインが惨殺されたことを悼み、胸を手で打ったり、鎖を自分の体に打ち付けたりして、惨殺された人々の苦しみを味わったり、その死を嘆きます。これだけでも異教徒には不思議な行動なのですが、熱心なシーア派になると、自分の頭を刀で傷つけたり、鎖に鎌のような三日月型のカミソリを仕込んで体に打ち付けたりしますので、見物人にまで血が飛んでくるような流血の行事になってしまいます。
 イランでは、最高指導者ハーメネイー師が、哀悼の意を表すためにはスィーネ・ザダン(手で胸を叩くこと)が本当のやり方であり、鎖を使ったり、刀で血を流すこと(ガメ・ザダン)は行うべきではないと言い、鎖はともかく、刃物を使うことは禁じられています。
 しかし、バーザールの中の熱心な人々などは、未だにこっそりとこの流血のガメ・ザダンを行っているそうです。タブリーズやアルダビールなどもやはりこっそりとガメ・ザダンを行っています。彼らにとってはこれこそが、イマームを悼む行為なのです。
 このようにこっそりと行われているガメ・ザダンは完全に男の世界なので、私がどんなに頼んでも見せてもらうことはできないのですが、この行事に参加することが大人の男として認められることでもあるのだということです。

 パキスタンの中でも熱心なシーア派が多いクエッタなどでは、男性たちが皆、鎖鎌を使って行進を行うので、沿道で見学している人にも血が飛んでくるということです。大学で同級生だったパキスタン人留学生などは毎年、「イラン人なんか、本気でアーシュラーをやっていない。あんなのは、お上品に、人に見せるためのものよ。イラン人は本気でイマーム・フサインを悼んでなんかいないわ!」と本気で憤慨していました。シリアやヨルダンからの留学生もやはり、イラン人のアーシュラーの行事が人に見せるためのショーになっていると批判していました。
 国民の多くが仏教徒であるタイにもイラン人商人の子孫が住む町があり、そこではアーシュラーの行事が行われています。タイのシーア派はイラン人の子孫だからか、タイの人々の影響を受けてかおとなしい人が多いそうです。彼らは行進を始める前に、カミソリで額を切るのだそうですが、自分が血を流していることにショックを受けて呆然としている人も多いと、調査に行った日本人研究者が言っていました。

 世界各国のシーア派アーシュラーに対する取り組みが違うように、イラン国内でも各地で色合いが違いますし、その地方独特の行事を持っていたりします。テヘランの中でさえ、バーザールの中と街の中では全く雰囲気が違います。
 今年はどこでアーシュラー見学をしようか、わくわくと思案中です。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 今日はイラン暦バフマン月23日、イスラーム・ヒジュラ暦ムハッラム月1日、西暦2月11日

 今日からムハッラム(ペルシア語ではモハッラム)月のはじまりです。
 イスラーム・ヒジュラ暦ではこのムハッラム月が一年の一番最初の月ということになっています。今日からヒジュラ暦では1426年が始まります。
 でも、ムハッラム月の1日が私たちの感覚でいう「正月」に当たるかというと、そうではないようです。

 シーア派にとってムハッラム月は「カルバラーの悲劇」が起こった月であり、この悲劇の中で殺された第三代目イマーム(精神的指導者)を悼む服喪の月です。
 しかしスンニー派にとっては全く別な意味を持っています。
 預言者ムハンマドがムハッラム月の10日目を断食潔斎の日と定めたとされていて(この日をアーシュラーと呼びます)、この断食潔斎は現在では強制力を持たない戒律でありますが、敬虔なスンニー派信徒はこの日に断食を行います。この断食は、ユダヤ教のヨム・キプールを模倣したものであったと言われています。

 このように、スンニー派とシーア派の間で全く異なる意味を持つムハッラム月が始まりました。
 シーア派政権のイランでは、「カルバラーの悲劇」を悼む行事が全国的に繰り広げられ、一種独特な雰囲気が漂います。
 服喪の月であるため、このムハッラム月とイスラームで服喪の期間である40日目までが含まれる、ムハッラム月の次のサファル月の二ヶ月間は、シーア派信徒はイマーム・フサインの喪に服し、祝い事を行いません。
 そのため、例えば、結婚式はこの二ヶ月間は通常行われません。こうした事情から、ムハッラムの直前に駆け込み結婚式を行う若いカップルがよく見られます。今年も、ムハッラム直前に、雪が降る中、花嫁を迎えに行くために花で飾り付けられた自動車が随分と沢山見られました。


 イランでは、イラン暦で正月を祝いますので、ヒジュラ暦の1月1日であるこの日は、カルバラーの悲劇を悼むための行事の一日目という意味しか持ちません。
 スンニー派の留学生に、スンニー派にとって正月に当たる日があるのかと聞いてみたところ、犠牲祭の日がそれに当たるのかなあ、という曖昧な答えでした。一年の区切りの意味での正月が、スンニー派の信徒にとってどこにあるのか、もう少し調べてみたいと思います。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 昨日、メールをいただいた「灼熱のテヘラン」がどういう風に使われていたのか気になって、調べてしまいました。
 「中東は暑い」というイメージで書いているかもしれないけど、「お寒い試合だった埼玉から」「暑い(熱い)試合が行われるであろうテヘランへ」という意味でもあるのかな、という印象も受けました。

 だからどうしたと言われればそれまでなのですが、このコラムを探している中でもっと気になる記事を見つけてしまいました。

「宗教戦争」です。

 バーレーン対イラン戦を指しているらしいのですが、見出しからはどういう意味なのか理解することができませんでした。
 記事を読んでみたところ、シーア派の政府であるイランとスンニー派政府のバーレーンの対決を意味していたようです。

 現地に住んでいる者としては「だから何?」と言いたいフレーズです。誰もそんなこと考えていないんじゃないの?と思わず突っ込んでしまいました。それともバーレーンではそういう報道がされていたのでしょうか?少なくともイランではそんなことに触れた報道は見られませんでしたし、市民レベルで「スンニー派のバーレーンをやっつけろ」などという言い方をする人はいないように思います。

 イランではそれよりも、前回の日韓ワールドカップ予選で、予選敗退が決まっていたバーレーンに負けたために本戦に出場できなかった因縁の相手として認識されているのではないかと思います。同じアラビア半島の国として、サウジアラビアを本戦に出場させるため、サウジアラビア政府が審判を買収し、バーレーンの選手に外車や高級住宅など金を振りまきイランに勝たせたと、イラン人は今でも信じています。

 それからこれが一番大切かと思うのですが、バーレーンの総人口の過半数をシーア派が占めているということです。日本ではあまり報道されていないようですが、アラビア半島、それもペルシア湾岸諸国には、かなりの数のシーア派信徒がいます。1979年に起こったイラン・イスラーム革命にたいしてアラブ諸国が激しく反応したのはそのためです。
 各国とも、王族を始め政府関係者はスンニー派信徒が占めていますが、国民の多く、国によっては70パーセントがシーア派を占めています。そのため、イランの革命が飛び火をして、自国でもシーア派信徒が政権転覆を狙ったらどうしようと恐れ、アメリカの支援を受け、イラクをイランに攻め込ませたのです。

 イラン政府は革命記念日などになると「全世界のムスリムの団結」を叫び、「アメリカに死を」「イスラエルに死を」とシュプレヒコールをあげます。しかし実際には、シーア派政権であるためスンニー派政権であるアラブ諸国、信徒の多くがスンニー派である東南アジアから無視されています。
 また、イラン政府も決してアラブ諸国と足並みをそろえる気はありません。「自分たちはアラブとは違う」という意識を強烈に持っているからです。そのため、同じシーア派でもアラブ人である限り「自分たちとは違う人」であり、決して「同胞」という意識にはなりきれません。また東南アジアや東アジアは多くのイラン人にとって〜意識しているにせよしていないにせよ〜差別の対象であり、自分たちと同等の人ではないように感じることがままあります。イラン人にとって、相手の宗教よりも、相手がどの国の人であるか、あるいはどういう民族であるかということの方がまず最初に意識されているように見えるのです。

 こうした意識を持つイラン人ですので、「アラブ人をやっつけろ」とは思っていても、「スンニー派をやっつけろ」とはなりにくいのです。
 日本のマスコミは、何かこうおどろおどろしい対立構造を作らないと読者の興味を引きつけられないと思っているのでしょうか。でも「宗教戦争」はひどすぎだろうと思わずにいられないのでした。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 今日はイラン暦バフマン月22日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ハッジャ月30日、西暦2月10日

 今日はイラン・イスラーム革命記念日です。

 1979年のこの日、パフラヴィー朝のシャー(国王)により任命されたバフティヤーリー内閣が、組閣から半年で崩壊、革命勢力が勝利宣言を行いました。

 イラン・イスラーム革命については日本でもいくつかの本で詳しく解説されているので、そちらを参照していただきたいと思います。

 イランでは毎年この日に、集会や行進が行われ、革命の成功を祝います。

 革命直後は、世界中が驚愕すると同時に、イスラーム体制が長く続くわけがないと思っていたようです。しかし、そうした各国の思惑に反して革命体制は四半世紀を超え、そう簡単に崩壊する様子を見せません。

 革命前の繁栄を奪われたイランの都市住民は革命政権に対する文句しか言いません。しかし、なぜこの体制が長続きをしているかを考えた時、彼らの表面的な不満を鵜呑みにすることができないということに気付きます。
 革命政権が掲げた「被抑圧者の解放」「富の公平な分配」が完全な成功を収めているとは言えませんが、革命前よりは生活レベルが上がった人が多いことは様々な統計から明らかです。
 例えば、テヘランの人たちは、「革命前は肉が安かった」と言いますが、国民一人あたりの肉の消費量は革命後の方がずっと多いのです。
 また、農村部の死因などを調べると、革命前には老衰など自然死が多かったのが、今では生活習慣病による死因が上位を占めています。生活環境や食生活が農村部でも向上し、その結果それ以前には見られなかった病気が見られるようになっているのです。
 そして、ほとんどの村に小学校があり、いくつかの村に一つは保健所が置かれ、医師や看護婦、助産婦のグループが定期的に回診を行っています。そして、難しい病気になっても、都市部での高度な医療が受けられるような体制ができあがっているそうです。

 テヘランで生活していて「革命前は自由だった」と言う人の年齢を聞くと、革命前に生まれていないか、ごく幼かった人が多かったことに気付きます。彼らは、両親などから聞いた「自由だったイラン」に対する幻想、そして海外からの情報による「海外に対する憧れ」に基づいて主観的に話をしているに過ぎないのです。きちんとした分析によるものではなく、感情的な論じ方であるため、聞いていて不快に感じることも多いです。
 私は、現政権に問題が多いことも承知していますし、改革すべきところが多いことも認めています。ただ、それをふまえてなお、現政権にも評価すべきところもあると考えています。

 現在のイランに必要なのは、「革命万歳」でも「反イスラーム」でもなく、冷静に革命政権の再評価を行うことではないでしょうか。そしてその評価をふまえて、修正すべきところは修正し、評価すべきところは評価することが必要なはずです。
 残念ながら、多くのイラン人は感情的な好き嫌いによってのみ、現体制を評価しているように思うのです。

 国内に、様々な宗教、民族などを抱え、それを一つの国としてまとめ上げることは大変なことだと思います。イランだけではなく、中東各国が同じ悩みを抱えています。こうした状況を鑑みると、アメリカが言う「専制国家」的な国家体制を採らないと、国を国としてまとめきれないという状況があるようにも思うのです。アメリカが言う「自由」が完全な体制であるのかどうか、どうやって証明するのでしょうか。
 私がこう言うと、「お前は反体制派を弾圧する体制を支持するのか」という非難を受けます。「サッダームをお前は許すのか」とも。
 私は、中東における統治体制の一つとして、イランのイスラーム体制というのは一つのモデルケースとしてきちんと研究、評価すべきではないかと言いたいだけなのです。アメリカ的な「自由」な体制ではなく、中東には中東に合った統治体制があるのではないかと思うのです。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 今日もテヘランは雪。私がイランへ来て以来こんなに雪が降り続くのは初めてです。今日の革命記念日関連の行事はさぞや大変だと思います。

 テレビは朝から1979年の革命を振り返る映像ばかり。昨日バーレーンで行われたワールドカップ予選のニュースもすっかりかすんでいます。これでバーレーンに勝っていたら、「革命の勝利」と合わせてニュースになったのでしょうが。

 私も夕食を作ったり食べたりしながら試合中継を見ていたのですが、まあ、イランらしい試合だったのではないでしょうか。
 日本でも北朝鮮戦の視聴率がかなり高かったそうですが、普段からスポーツを見るわけでもない私も試合中継を見ていたくらいですから、イランでももし視聴率調査をやっていたなら、このバーレーン戦もかなりの率を出していたに違いありません。もっともこれは、革命関連番組ばかりで他に選択肢がなかったということもあると思いますが。

 昨日、知り合いに、あるものを家まで取りに来てもらいました。大学での仕事がどのくらいかかるか分からないので、夜に来てほしいと言ったところ、「夜は駄目だよ。試合があるから」と断られました。
 仕事よりも何よりも試合中継を見ることが大切か、と笑ってしまったものの、実際、試合中継を見ながらアパートの裏手の高速道路を見ると、普段ならまだ帰宅したり、親戚や友人の家に行く人たちの車の列が途切れることのない時間帯だというのに、深夜かと思うくらいにがらがらでした。

 3月のテヘランでの試合はスタジアムで見ることになりそうです。正月休み中で、テヘランに残っている人たちがスタジアムとその周辺に押しかけて大変なことになるでしょう。
 日本が勝ってもイランが勝っても、スタジアムの日本人にとっては大変なことになりそうなので、気分はかなり複雑です。
 8年前のいわゆるジョホールバルの歓喜の時もそうですが、ワールドカップ予選でイランと日本は縁があるなあとちょっと感慨に浸ってしまうのでした。


 これをUPしてから問い合わせのメールがありました。
「日本のコラムで、『灼熱のテヘランへ』というフレーズがあったのですが、試合の頃のテヘランの気候はどうですか?」

 3月下旬のテヘランは、日本の春と同じ、肌寒い日と暖かい日を繰り返しています。今年(イランは春分の日が正月)は、正月過ぎに雪が降ったりして大変でした。三寒四温がそのまま当てはまりますので、観戦にいらっしゃる方は、防寒対策も念のためにしておいた方が良いと思います。そして、暖かい日になる可能性もありますが、『灼熱』は異常気象でもない限りあり得ないと思います。
 なお、女性の方は、「絶対に」スカーフをかぶり、半袖を着たりして肌を露出するようなことはしないでください。代表ユニフォームを着たい方は、下に長袖のシャツなどを着て、その上にユニフォームを着てください。イスラームの規定から大きく逸脱するような格好でスタジアムに行った場合、何をされるか保証できません。恐らく入場させてもらえないと思います。


人気blogランキングへ

FC2 Blog Ranking




 先日イランの家族関係について書きましたが、それを読んで自分の息子に対する態度を反省、日曜日に一緒に遊んだところ息子は喜んでいました、というメールをいただきました。

 親子関係について書いた時に思い出したエピソードがあったのですが、それについてお話ししてみたいと思います。

 シーア派の信仰は、預言者の血を引くイマーム(ペルシア語ではエマーム)こそが宗教的指導者であると信じることにあるというのはこれまでに何度かお話ししてきました。
 宗教的指導者であるからには信徒を導く必要がありますが、12イマーム派では、随分と昔にイマームが「お隠れ」になってしまったため、イマームが信徒を直接指導することができません。そこで、「お隠れ」になっているイマーム・マフディーが降臨するまでは、ムジュタヒド(ペルシア語ではモジュタヘド)と呼ばれる宗教法学者が「代理イマーム」として信徒を指導します。
 12イマーム派信徒はマルジャエ・タグリード(模倣の源泉の意)と呼ばれるムジュタヒドの中の最高権威の法判断に従います。革命前のイランには一人のマルジャエ・タグリードしかいませんでしたが、現在は何人かのマルジャエ・タグリードがいて、信徒は自分が従うマルジャエ・タグリードを選びます。つまり、家族の中でもマルジャエ・タグリードが違う場合があるのです。

 何か判断に困ることが起こった時に、信徒が直接マルジャエ・タグリードに、イスラーム法について質問できれば良いのですが、実際にはなかなか困難です。そこで、マルジャエ・タグリードは、「レサーレ」と呼ばれるイスラーム法解釈についての解説本を著しています。ここには、生活の中で起こりうる様々な場面での法的解釈が示されています。この解釈はマルジャエ・タグリードによって少しずつ違っているため、自分がどのマルジャエ・タグリードに従うかをきちんと決めていないと混乱が起こるのです。

 このレサーレですが、読んでみるとかなり興味深いものがあります。例えば、クルアーンの中には、「性交の後にはゴスル(全身の清め)を行うように」と書かれていますが、では「性交」とは何をもってして「性交が成立した」と見なすか、ということが真剣に書かれていたりします。
 なんだこの例は、と思われるかもしれませんが、不思議とレサーレには性に関する項目が多いのです。それだけ信徒からの質問が多いということなのでしょうが。

 イラン・イスラーム革命の立役者であったホメイニー師もマルジャエ・タグリードでした。ホメイニー師のレサーレは特にこうした傾向が強いように思えます。
 私の友人の一人が憤慨していたのですが、ホメイニー師は、たとえ自分の子どもでも女の子が9歳になったなら(成人と見なされる年齢)、父親の膝の上に抱き上げたりキスをすべきではない、と言っています。
「自分の子どもに対してキスをしちゃいけな