今日はイラン・イスラーム革命勝利記念日です。日本の建国記念日と同じ日なのは偶然です。
1979年から29回目の記念日を迎え、テレビなどでは革命を振り返り、賞賛する番組ばかりです。
ただ、そのなかでちょっとおもしろかったのは、最初に行われた選挙の時の様子を報じた映像の中で、スカーフをかぶらない西欧的な若い夫婦が、「投票するつもりはありますよ。え?イスラーム共和国?まだ、それがどんな体制なのか全く情報がないからまだ投票には行っていないのよ」とインタビューに応じているものでした。熱狂的な人々が「イラン・イスラーム共和国に投票するぞ!この体制は一番だ!」と叫ぶ様子だけではなく、このように冷静な意見を述べる人の映像を流すということにちょっとした驚きを感じたのでした。当然、このように考えていた人もたくさんいたに違いないのですが、これまで、そういう映像をほとんど見たことがなかったように思うからです。
イラン・イスラーム革命勝利記念日については、こちらをご参照ください。
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今年はカレンダーのいたずらで、シャベ・ヤルダー(こちらはイラン暦)と犠牲祭(こちらはイスラーム・ヒジュラ暦)が重なりました。(シャベ・ヤルダーについては「こちら」をごらんください。犠牲祭については「こちら」)
町のあちこちにスイカを荷台に満載した軽トラックが見られ、街角で、多くは町の外れで「生きた羊あるよ」と羊が売られていました。

テヘランでは「犠牲祭おめでとう」と声を掛け合う割には、羊を犠牲に捧げるところまでする人は少ないようだというのはこれまでにもお話ししてきました。他の国ではどうなのでしょう。

冬至を迎えようとしていた一昨日から昨日の未明にかけて、テヘランでは雪が降りました。私が住んでいるあたりでは恐らく今年の初雪です。
うっすらと雪の積もった様子を写真に撮ろうと思ったのですが、外出しようとした私に、大家さんと下の階の奥さんが、「インターフォンの修理をしているんだから、チェックのためにあなたも家にいなきゃ駄目」と阻止されてしまいました。そのため、写真は残念ながらなしです。
私が作業場所にしている窓際は、二重サッシにしてあるにもかかわらずすきま風が入り込み、随分冷えていました。今年もちゃんと雪が降る冬であって欲しいと願いつつも、すきま風は勘弁して欲しいなあと思うわがままものなのでした。
(上の写真はIran紙から)
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今日はイスラーム・シーア派初代イマーム・アリーの殉教日です。詳しくはこちらをご参照下さい。
日本では連休を増やすために、月曜日が休日になるように祝祭日が移動するようになっているようですが、普段イランで生活しているからかなんだかまだ馴染みません。
イランでは休日に関連しての決まり事(?)は二つあります。
金曜日に祝祭日が重なっても土曜日は振り替え休日になりません。あ〜あ、休日を一日損したな〜というところです。
その代わりではないですが、木曜日が休みになることがあります。
今日のように水曜日が公式な祝祭日に当たっている場合、その次の日である木曜日は小学校から高校まで、学校はお休みです。大学はもともと木曜日は授業がないところがほとんどです。
このイマーム・アリーの殉教日がやって来ると、「ああ、ラマダーンもあと少しで終わるんだなあ」という気分になります。
まあ、断食をしているわけではないのですけど。

二三日前、夜道を家に戻ろうと歩いていると、目の前に赤い大きな月が浮かんでいた。
ちょうど鞄に入っていたカメラを取り出したのだけど、三脚がなかったのでちょっとぶれてしまった。
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一年を四つに分けて季節を割り当てるので、秋の一日目でもあります。
イランの学校は昨日、一斉に新しい学年が始まりました。
小学校に入学した子供たちは歓迎の花を手に帰宅です。
テヘラン大学も昨日から新学期でした。
私は授業がなかったので買い物などに出かけていました。
そこで目についたのが大きなざくろの箱。
もうざくろが出回る季節になったんだなあと、暦からもそうですが、目でも秋を感じた一日だったのでした。

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今日は世界麻薬乱用撲滅デーだそうです。
イランも社会に広まる麻薬に対する不安が存在します。
大学などで、「今イランで一番大きな社会問題は何ですか?」と聞くと、交通渋滞、大気汚染と並んで麻薬問題をあげる学生が多くいます。
麻薬の一大産地であるアフガニスタンと国境を接し、安価な麻薬がイランに大量に流れ込んできます。イランからトルコを経由してヨーロッパへと向かうものも多いですが、イラン国内でも消費されています。
品質にもよりますが、一番安いものだとポテトチップスを買う程度の値段で手に入れることができると聞きます。この安価な麻薬が、特に若者の間に広まり、大小様々な問題を引き起こしているといいます。
イランのベビーブーム世代である25才以下の若者たちには、イランの経済状態の悪さから、職を見つけることが難しく、また政治的にも様々に規制され、締め付けを感じないではいられない社会の中で、未来に対する希望をなかなか見いだせずにいる人たちもいます。彼らはそうした中で麻薬に手を出してしまうようです。
また、一方で、ハータミー前大統領時代の経済自由化の中で一部の人々だけがお金を持つようになりました。こうした人々の子弟たちは働く必要もなく、ふらふらと遊び歩いています。彼らもまた安易に麻薬に手を出し、高級自動車を乗り回し、大騒ぎをし、人々の眉をひそめさせています。
町を歩いていると、麻薬常習者独特の話し方をする人に出会うことがあります。また、麻薬を買うためのお金を手に入れるために物乞いとなってしまう人もいます。
個人のため、社会のため麻薬が撲滅されることを願ってやみません。
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今日は、預言者ムハンマドの末娘であり、預言者の従兄弟でありスンニー派にとっては第四代目正統カリフ、シーア派にとっては初代イマーム・アリーの妻であった、ファーティマ(ペルシア語ではファーテメ)の殉教日です。
イランにおける宗教物語によると彼女の生涯は次のようなものです。
彼女は預言者ムハンマドと最初の妻ハディージャの間の末娘としてこの世に生を受けました。預言者は6人の子どもがありましたが、男の子はみな早くに亡くなり、娘が四人残りました。預言者は男の子の存在を何よりも重視するアラブの人々の「子どもなし」というあざけりを気にすることなく、女の子たち、特にファーティマ をかわいがっていたといいます。
ある時、神からの啓示が下り、預言者の血筋はファーティマを通して後生に伝わるであろうとされました。(クルアーン・カウサル章)
彼女は預言者にかわいがられ、預言者が特に信頼する信者の一人であり、預言者の従兄弟であったアリーのもとに嫁ぎました。
イスラームに対して敵対する勢力との戦いが続く中、彼女はハサン、フサイン、ザイナブという三人の子どもを産み、育てました。
彼女についてはそれほど記録が残っているわけではないのですが、シーア派の人々にとって彼女は妻として母として、そして預言者一家を束ねる女性として理想の女性とされています。そのため、彼女が窮乏生活の中でいかに人々のために生きたかを数多くの伝承として伝えています。
もっとも、18歳で亡くなった彼女がそれらの伝承で語られるようなことを全て行えたかどうか、かなり疑問は残るところです。
ファーティマはイスラーム・ヒジュラ暦11年のこの日に亡くなりました。伝承によれば病死でしたが、シーア派は、夫アリーの手から権力を奪った勢力に抗議をしていた彼女を邪魔に思う人々が彼女を暗殺したのだと信じています。
上でも述べている通り、預言者の血筋は彼女の生んだハサンとフサインを通して、現代に伝えられているとされています。この人々はサイイド(ペルシア語ではセイエド)と呼ばれ、預言者の血を引く人々として敬意を表されています。
彼女が亡くなった日には別な説もあり、ジャマーディー・アル=アッワル月13日(今年は西暦5月30日)だったとも言われていますが、イラン政府はジャマーディー・アル=サーニー月3日を彼女の殉教日とし、休日としています。
何年か前まではこの日はイランの公式の休日ではなかったと思うのですが、いつの間にか公式の休日となっていました。
イランは最高指導者ハーメネイー師によると涙の宗教なのだそうで、12人のイマームたちやその周辺の人たちの殉教を嘆き悲しむことと、12代目イマーム・マフディーが救世主として降臨することを願うことが柱となっており、それさえ信じていればスンニー派が重視する礼拝などの宗教的行為は行う必要がないと極論する人もいます。
ちなみに、イマーム・マフディーが降臨することを願うのがどうして涙の宗教なのかというと、「ああ、今日もマフディーは現れなかった」と嘆かなくてはならないからなのだそうです。
イラン国内に住むゾロアスター教徒などは、「自分たちもイラン人だがいつも人の喪に服している人たちとはメンタリティーが違う」と言います。そのくらい、シーア派は常に誰かしらの喪に服しているように見えるのです。
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今日はシーア派初代イマーム・アリーの娘であり、第二代目イマーム・ハサン、第三代目イマーム・フサインの妹に当たるザイナブの誕生日です。
彼女はイスラーム・ヒジュラ暦5年のこの日(西暦626年10月2日)に、預言者の末娘ファーティマとその夫であるアリーの間に生まれました。
彼女についてはそれほど多くの逸話が残されているわけではありませんが、兄イマーム・フサインが殺された時に、夫と共に兄に従ってイラクへ向かっていたとされており、兄が殺された後、兄の正当性を堂々と主張し、その遺骸を引き取り葬ったとされています。
こうした逸話からでしょうか、彼女は母性のそしてまた看護師の象徴のように考えられています。そして、彼女の誕生日をイランでは、看護師・保健師の日としているのです。
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今日はオマル・ハイヤームの記念日です。
オマル・ハイヤームは、日本では「四行詩人」として知られていますが、本来は詩人ではなく数学者、天文学者として有名でした。
オマル・ハイヤームは、本名をギヤース・ウッディーン・アブール・ファトフ・ウマル・ビン・イブラーヒームといいます。ハイヤームというのは「天幕作り」という意味で、彼の父親が天幕作りを職業としていたために、オマル・ハイヤーム(天幕作りのハイヤーム)と号したと言われています。
彼は1048年5月18日に、当時の文化と宗教の中心地であったニーシャープールに生まれました。彼の子ども時代や若い頃のことはほとんど知られていませんが、1074年に、当時イランを支配していたセルジューク朝のスルターンであったマリク・シャーとその宰相ニザームル・ムルクにより登用され、ペルシア暦の改正と天文台の建設を行ったとされています。
1079年に制定されたマリキー暦あるいはジャラーリー暦は現在のクレゴリー暦に匹敵する正確な暦でした。
その後も偉大な科学者としての名声を誇ったオマル・ハイヤームでしたが、晩年はセルジューク朝からの庇護を失い、故郷のニーシャープールで隠遁生活を送っていたといわれています。
彼は1131年12月4日に亡くなり、ニーシャープールに葬られました。
現在、彼の墓所とされる場所には廟が作られ、彼を偲ぶ人々が訪れる場所となっています。

現在、海外では彼は「四行詩人」として名高く、その詩は各国語に翻訳されていますが、オマル・ハイヤームは余技として、個人的な趣味としての詩作を行ったものであり、職業的な詩人ではありませんでした。そのため、オマル・ハイヤームの詩とされているものの真偽の鑑定は難しく、彼が本当に詩作を行ったかどうか疑問視する学者もいるほどです。
彼の詩はこの代や人生のはかなさや過酷な運命の中で、いかに楽しく生きるべきかを歌ったものが多く、反イスラーム的とも言えるものを多く含むため、真面目なムスリムの中には彼の詩は絶対に読まないという人もいます。しかし、その思想はイランやイスラームという枠を超えて、人の心に訴えるものがあるため、これほどまでに世界中で好まれるのだともいわれています。

写真は在りし日のニーシャープール。今は廃墟が残るのみ。
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今日はイスラーム哲学者であり、思想家であったモルテザー・モタハリー師の殉教日です。
モタハリー師は1920年にホラーサーン地方で生まれ、12歳でマシュハドの神学校に入学し、イスラーム神学を学びました。その後ゴムの神学校へと移り、ホメイニー師からも教えを受け、革命活動に関係を持つようになりました。
ゴムでの活動の傍ら、モタハリー師は1955年から23年間にわたり、テヘラン大学神学部で教鞭を執りました。そこでイスラームの近代社会への適応を含む自身の思想を教え、その教えは多くの学生に影響を与えたと言われています。
モタハリー師はイラン・イスラーム革命の勝利の直後、1979年のこの日に反体制派により暗殺されました。
モタハリー師の師の一人でもあるホメイニー師は、教師として多くの学生を導いたモタハリー師の功績を称え、同師の殉教日であるこの日を「先生の日」と定めました。その後、毎年、すべての先生に感謝を捧げることになったのです。
大学でも学生たちが日頃お世話になっている先生に贈り物をしたりする光景が見られます。別段誰に強制されたわけでもなく、自然に先生に感謝をすることができるというのは先生と学生の間に良い関係が築けているからなのだろうなあと思ったのでした。

これはモタハリー師の肖像壁絵。
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今日は、ペルシア湾の日です。
ペルシア湾というと、炎を吹き上げる油井の沢山ある石油の産地であり、それ故にまた紛争の地でもありました。
ペルシア湾沿岸を歩いていると、「ポルトガル城塞」「オランダ城塞」といった城塞跡が沢山あることに気がつきます。いわゆる大航海時代以後、ヨーロッパがイランに進出すべく軍を派遣し、城塞を築き、そこに立て籠もっていたという場所です。オスマン・トルコやウズベク、更にはロシアの南下政策という北からの圧力に、南からのポルトガルと、イランは昔から大変だったんだなあとしみじみしてしまう場所の一つです。
そんなペルシア湾にちなんだ日が何故わざわざ設けられているのかというと、このところ、「ペルシア湾」という呼び名に関する危機感が高まっているからだと思われます。イランにも日本海と同じく「呼称問題」が存在しているからです。
テヘランからイランのシーア派の本拠地ゴムへ向かうオートバーンに向かう道路が「ペルシア湾通り」いう名前に変わってしまったほど、イランは「ペルシア湾( Persian Gulf)」という呼称にこだわります。
ヨーロッパがいわゆる中東に進出してきた時代から、この細長い湾は「ペルシア湾」という名前でヨーロッパに知られてきました。まあ、その当時、湾を取り囲む地域でイランが最も突出していたからだと思うのですが、それ以後「ペルシア湾」と呼ばれ続けてきたのです。
ところが、1960年代に入って、石油という武器を振りかざしたアラブ人たちが、イランの対岸から「ここはペルシア湾ではなくてアラビア湾だ」と主張し始めたのです。
で、ナショナルジオクラフィク社の世界地図で「ペルシア湾」と「アラビア湾」が併記されたことで危機感を抱いたイラン政府が、「ここは昔から今も未来まで『ペルシア湾』だ」と主張するために、この「ペルシア湾の日」が設けられたのです。
最近は、英語ではペルシア湾を「The Gulf」と表記することも多いようですが、イランはこれも認めません。
以前、通訳の仕事である機関を訪れたときのことです。
資料として渡した英語の文書に、「The Gulf」とあったことが気に入らないと言って、大騒ぎになったことがありました。英語でそう言うじゃないですかというこちらの言葉には全く耳を貸さず、「これは大きな間違いである。ペルシア湾と書いていない文書など受け取ることはできない」というようなことまで言われ、どうなることかと途方に暮れたものでした。
日本でも、韓国が「日本海というのはけしからん」と日本海という呼称について突っかかってきているそうですが、こうした問題を見る度に、どんな呼称でも、国際的にそちらが広く使われているのならそちらを使って、自国では自国が使いたい呼称を使えば良いのでは?と思わないでもありません。
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