
気分がすっきりしないときは空を見上げてみよう
夏は雲一つない青空が多いけれど
春は雲が空に様々な表情を与えてくれる
流れていく雲をぼんやり眺めていると
ずいぶんと気分が良くなっているから不思議
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私は日本語学科の部屋にいることがほとんどで、お茶を飲みたいと思うたびにそこへ出るのも面倒で、学科室に用意された小さなポットに給湯室でもらったお湯と、これは学科室に用意されているお茶の葉で飲むのですが。

(給湯室の写真がないのでチャイハーネのサモワールを代理に)
先日、サモワールからお湯をポットに移しながらしみじみサモワールを眺めていて気がつきました。
三つあるサモワールには、それぞれメーカーの名前かサモワールの名前かよく分かりませんが、名前のプレートがついています。
その一つ、「Forutan=謙譲」にちょっと微妙な気分になってしまいました。日本で、たとえばポットに「謙譲」という名前がついていたらどんなかなあと思ってしまったのです。
サモワールがへりくだってどうするんだろうと思いつつ、もう一つの「謙譲」を思い出してしまいました。
イランの人はナッツや乾燥果物、各種の種をよく食べますが、それらを売るハールヴァール・フォルーシーにまさしく「Tavazo’=謙譲」という店があるのです。
ナッツの質が良いとか、味付けが良いとかそういうことから、この店は非常に有名で、いつもお客でいっぱいです。そのため、「支店」を名乗る店も多く、本来の店には「当店には支店はありません」という張り紙がしてあるほどです。
日本へ一時帰国をするときなどは、私もここでおみやげを買うのですが、「今日、タヴァーゾへ行こうと思っているんだ」と言うのを、たとえば、ペルシア語を勉強し始めたばかりの外国人で、それがハールヴァール・フォルーシーの名前だと知らなければ、「私は、今日、謙譲へ行こうと思っています」という文章に翻訳するんだろうなあと思うと、なんだかおかしくなってしまったのでした。全く意味不明です。私自身がイランに来たばかりの頃にまさしくそうだったのですが。

もっとも、この「タヴァーゾ」はお値段の方は全く「謙譲」はしていなくてとても強気なのですが。
「謙譲」はイランにおいては大切な徳目の一つ。様々な場所でその重要性が語られています。「どう生きるのが良いのか」ということを分かりやすく描いたペルシア語の古典文学『ゴレスターン(薔薇園)』にもわざわざ「謙譲」という章が設けられているくらいです。
確かにイランの人たちは言葉ではとてもへりくだる人が多いのですが、態度や内容がをよくよく聞くとそうでもないことがあったりします。
もちろん卑屈にへりくだる必要はないとは思うのですが、実は自信満々に謙遜してみせるというのも一つの技だなあと、ちょっと感心してしまうところであったりするのです。相手に対して敬意を払うという基本は守りつつ、必要な主張はするというさじ加減が上手なのだろうなあと思うのですが、まねをするのはなかなか難しいのです。
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普通、ノウルーズ休みが明けると値上げがあるのですが、今年は一ヶ月遅れての値上げでした。油断していたところにやられてしまったという感じで、ちょっとびっくりです。
ガソリンの値上げがあったわけでも何でもないのに、物価の上昇にあわせて自動的に値上げが行われるイランのタクシー業界というのがどんなものなのかちょっと悩むところなのですが、この物価高では仕方がないかともついつい思ってしまうのでした。
ただ、乗り合いタクシーに関しては、ちょっと不満はあります。
昨年の夏休み明けころから乗り合いタクシーの数がずいぶんと増えました。認可乗り合いタクシーを増やすことでテヘラン市民の足を確保するとか、ガソリンの値上げに伴うタクシーの値上げを防ぐとか色々な理由はあったらしいのですが、交通渋滞をひどくしただけで全く意味がないように見えます。
乗り合いタクシーの会社に登録すると、一般車に比べると優先的にガソリンスタンドで給油ができ、また配給量も多いのだとか。
そのため、乗り合いタクシーとして登録だけして客を乗せようとしない人も多いのだそうです。貸し切りとして一日に三四人の客を乗せて終わり、という人も見られるとか。その代わり貸し切り料としてかなり高くふっかけてきます。
と、友人・知人たちから聞いているのですが、実際、乗り合いタクシーを拾おうとしても、なかなか拾えないことも多いのでその状況はなんだか分かります。どうして客を乗せていないのに客を拾おうとしないのだろう?と不思議に思うくらいに空の乗り合いタクシーがたくさん走っているからです。
乗り合いタクシーの値上げがあるとしばらくは、乗客と運転手の間でのけんかが多く起こるようになるのですが、今年はどうなるでしょうか。25トマーンくらいでそんなけんかまでしなくても、という光景を目にすることもあります。
でも実際、このインフレで、乗り合いではないタクシーに乗ったときなど、500トマーンや千トマーンくらいなら誤差のうちかも、という気分になり始めているところがちょっと怖いところです。
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テヘラン市内でもノウルーズを過ぎた途端に気温はぐんぐんと上昇し、例年にない暑さになっています。これは山間の農村部でも同じなようです。
この冬はとにかく寒く、一度どかんと降った雪が溶けることなく春まで残っていました。そのため、何となく見過ごしてきたのですが、降雪量自体は例年に比べると少なかったのでした。
山間部の農村に行くことが多いのですが、例年なら緑の草に覆われているはずの山々が、まるで秋の山のように緑が見られない状態です。当然、春に咲く花々も例年に比べると寂しい限りです。
また、果樹をはじめとする木々も、寒さで被害を受け、立ち枯れてしまっているものも目立ちます。ある村では葡萄の木が全滅してしまったと嘆かれました。それなりに花をつけているように見えても、果実が大きくなる時期に水をやれるかどうかと心配しているようでした。

ペルシア語で干ばつをkhashk-saliと言います。Khoshkは乾燥した、雨が少ないという意味で、saliは年。この単語、もう一つの意味として「飢饉」というものがあります。天からもたらされる雨は、文字通り命の水なのです。現世利益を否定するイスラームの地にあって、雨乞いのための儀式が各地に残されていることからも、雨の重要性が十分に理解できます。もっとも、最近はこうした儀式は行わなくなっているようですが。海外から食料の輸入ができるようになり、水不足が即大飢饉につながることが少なくなったということもあるかもしれません。
政府は、果物や米、小麦などを外国から輸入しています。安い外国産のものを輸入することで国内の物価が安く抑えられていると言っているそうですが、世界的に穀物などの値段が上がり、また、食料の奪い合いのような状況になり始めている今、国内の農村基盤を整備し、国内自給率を維持することも大切なのでは?と、毎週のように農村巡りをしていると思わずにいられません。日本は食料の輸入が止まったらあっという間に干上がるに違いないのですが、それは果たして国のあり方としてどんなものだろうかと思うのです。

もちろん、今年のような水不足は自然災害であって、政府の責任でも何でもないのは分かっているのですが。それでも、水資源は工業用を優先し、農業に使うな、という考え方はどうなのかな、という感じもします。もうちょっと考え方を変えることはできないのかな、とも思います。

高騰する原油からもたらされる莫大な国家収入は、決して一部の人々のポケットに入れるためのものではないと思うのですが、大統領閣下には「石油収入をすべての国民のテーブルに」という初心を思い出していただきたいものだと願います。やるべきことはたくさんあるのですから。
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基本的にイランの国立大学の昼間部は学費を取りません。誰でも無料で学ぶことができます。国立大学の夜間部、イスラーム自由大学と呼ばれる私立(?)大学、通信制大学パヤーメ・ヌールは学費がかかります。これは大学院でも同じです。
つまり、本来なら無料で大学院で学ぶことができるはずの学生なのに、学費を徴収されている学生がいるのです。それもイランの物価から見たらかなりの金額です。
どうしてそういうことが起こるかというと、学費を払わなくてはならない半数というのは「夜間部」の学生ということになっているからなのだそうです。
あくまで「なっている」であって、本当に夜間大学院で学んでいるわけではありません。学費を集めるためにそういう措置を執っているだけなのです。「あなたは本来夜間部の学生だけど、夜間部のクラスが開講されていないから昼間部の授業に参加して良いよ」という形を取っているに過ぎません。
一応、入試の成績順に上から半分を昼間部の学生に、残りの半分を夜間部の学生ということにしているそうですので、成績優秀者に対する奨学金というか授業料免除措置と思えば不思議ではないのかもしれません。何となく割り切れない感じがしてしまいます。
この措置が始まったのが数年前で、それと同時にそれまで原則的(※)に無料だった外国人留学生からも学費を徴収するようになりました。これも色々な算定方法があるようなのですが、「それじゃあ日本と変わらないじゃん」と言いたくなるような金額が課せられているようです。そのため、一時期、外国人留学生の数がずいぶんと減ったそうです。
私自身は、クラスメートがほとんどみんな奨学金をもらっている中、「日本人だから必要ない」という理由で奨学金がもらえませんでしたが、それでも学費無料という恩恵を被っていただけに、「留学生は来なくてもいい」と言わんばかりの措置を残念に思わずにいられないのでした。
(※) ペルシア語・ペルシア語文学科の学生と、ムスリム学生は原則として無料だったと聞いています。
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停電をするのは構わないのですが、夕食時だけは避けてほしいなあと思わずにいられません。というか、停電をするなら予告をしてほしいと思うのですが、電力会社にとっても予告不可能な予想外の停電なのでしょうか。
予告不可能で思い出したのですが、大学でも何だか不思議なことがあります。
日本語学科は設立以来10年以上経っているのですが、来年度からようやく修士課程が置かれることになりました。
そのための入学試験も先日行われ、あとは二次試験を待つばかり、というところのようです。
ところがこの大学院入試、日程が直前まで決まらないのです。
一次の筆記試験も、割と直前まで、受験票がいつ手に入るのか、いつ試験が行われるのかはっきりせず、学生や卒業生などがやきもきしていました。
そして二次試験も、5月末にあるらしい、というところまでは分かるのですが、きちんとした日程は未だに出ていません。これじゃあ色々と憶測混じりのデマが飛ぶわけだよと納得です。
試験日程を決めずに募集をしてしまうというところが、なんともイランらしいとというかなんというか。あれこれとうわさ話に右往左往させられている学生たちを見ていると、なんとかならんものだろうかと思わずにいられません。
あらかじめきちんと日程を決めることに何か不都合があるのでしょうか?それとも、どうせ変更になるのだから余計な予告はしない方がいいということなのでしょうか?
そういえば、合格人数も募集要項には書いていなかったようです。どのジャンルから何題出題されて、どのような配分の得点になっているかなどはやたらと細かく書かれているのですが、いつ入試が行われるのかという肝心な情報がないというのは不思議な話です。
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遺跡の建つ丘の斜面には、古い墓地が広がっていました。
古い墓石によく見られる櫛や数珠が彫り込まれた小振りな墓石が転々と斜面に散らばっています。あるものは割れ、あるものは半ば土に埋もれ、新しいものは全く見あたりません。
冬に羊たちをつれてここで過ごしていた人々が葬られていた墓地であるため、そのように季節の移動をしなくなってしまった現在は使われなくなってしまったのだとか。
使われなくなっただけにしては、墓石がはがされていたり割れていたり、なんだか荒れ方がすごいなあと思っていたら、「墓石をはいで売るのがいるんだよ」とのこと。「ああ、大理石だから?」と聞くと、「大理石ばかりじゃないだろうけど、そういうことだね」だとか。

そういえば、以前、コルデスターン州のイラクとの国境にほど近い地域で文化財保護庁の職員に案内されて遺跡を回っているときに、大理石の墓石を見かけるたびに盗掘されないようにと土をかぶせて隠していたことがありました。調査が行われる前に盗まれてしまうと、遺跡の年代特定などに支障を来すそうですので当然の措置だったのでしょう。
遺跡に盗掘はつきものですし、ギーラーンの山間部にはそれを商売にしている人たちもいるそうですから、墓石を盗んで石材として売る人がいても不思議ではないでしょう。実際、墓地の中に建つ廟やガッサールハーネ(遺体の清めを行う場所)などの中には、古い墓石を利用しているものが見られますから、イランでは、古い墓石を石材と利用することは普通のことなのかな?などとも思ってしまうのでした。
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赤い土のでこぼこ道
緑に囲まれた村
青い空を流れていく白い雲
むき出しの岩山
谷から聞こえてくる羊の鈴の音
調査ってどんなところへ行っているんですか?という質問がありました。
調査の対象が農村にあることが多いので、農村部へ行くことが多いのです。昨年から今年にかけては平野部よりも山間部へ行くことが多く、また、調査対象が村からさらに山の中へ入ったところにあることも多いため、自動車では行けず、気がつくと山歩きになっていることが多いです。だから自然と山の中の話が多くなってしまいます。
日本では農村部の高齢化、過疎化が問題になっていますが、若者の国イランでも農村部は似たような状況です。
仕事を求めて、進学のため、若い人たちは町に出て行ってしまい、農村にはお年寄りだけが残っているという状況です。
幹線道路はアスファルトの立派なものが通っているのですが、山間部はまだ未舗装の道路も多く、隣の村へ行くのに一時間はかかるというところもあります。また、いくつかの村ごとに一つ、保健所が設けられていて定期的に医師グループが巡回してきますが、常駐しているのは保健師だけなので急な病気には対応できません。以前訪れた村で、「冬は誰かが死んだとしても、墓を掘ることができないのが困るよねえ」という発言に驚かされたこともあります。
都市部への異常な人口の集中は様々な弊害をもたらしています。
日本も人口の一割以上が東京に集中しているそうですが、イランでもテヘランへの人口の集中は日本以上のものがあるようです。地方の振興というのが難しいのは分かるのですが、なんとかならんもんかなあとなんだか悩んでしまいます。
大統領閣下には、潤沢な石油収入を人気取りのためにばらまくのではなく、もうちょっと考えて使ってほしいよなあと、テヘランではなかなか見ることができなくなったすっきりと高い青空を見上げながら思うのでした。
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方言がきつかったので一緒にいたイラン人の友人に応対をまかせ、私はそこに寝そべっていた猫にカメラを向けました。野良猫にしてはとてもきれいで近づいても逃げ出しません。
「何を撮っているんだい」
「あの猫ですよ。とってもきれいですね」
「私と一緒にいつも村の中を歩いているんだよ」
「おや、あなたの猫でしたか」
「こんな小さな時から育てたからね。私が行くところにはどこでもついてくるんだよ」

とまあ、こんな会話が交わされている間、猫はそこに寝そべっていました。おばあさんが少しでも移動するととことことついて行き、また寝そべります。
友人と私はその様子にびっくりしてしまいました。

「犬ならともかく、猫でもあんな風に人にくっついて歩くものなのかなあ」
「本当に小さいときから大切にしていたんだろうねえ」
「それにしてもすごいですよ」
「そういえば、テヘランの人は猫が嫌いで、よく石を投げつけたりしているけど、あのおばあさんはそうじゃないんだね。どうしてテヘランの人はあんなに猫を嫌うの?」
「猫はずるいからです」
「ずるい?」
「この春、ベランダとか庭をきれいにしようと思って、鉢やプランターを買って花の苗を植えたんですよ。ところが、夜になると猫がやってきてそこで寝るんですよ。おかげで苗はぺちゃんこになってしまってしまって、花を咲かせるどころではなかったんで、悔しかったんですよ。どうしてわざわざあんなところで寝るんだろう」
彼には悪いのですが、思わず笑ってしまいました。
「猫ってそういうところが好きだから〜〜。ちょっと狭い不思議なところで丸くなって寝るんだよね〜〜」
「そうですか?」
「そうそう。ちょっと前に日本でも、鍋の中でくるっと丸くなって寝る子猫がものすごく話題になったんだよ〜〜」
「鍋ですか」
私の住むアパートの斜め前の建築現場で働く労働者たちは、猫を見ると、それがちょっと離れたところを歩いているものでもわざわざ走っていって石を投げつけます。高校生くらいの男の子たちが子猫を蹴っているのを見たこともあります。猫好きにとってはちょっと辛いところなのですが、おばあさんとおばあさんを信用して大好きな猫の様子に、山歩きの連続で筋肉痛ではあっても、ちょっとうれしくなってしまったのでした。
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村を離れて山道を歩くと、足下には高原の花が咲いています。

テヘランに戻ったら中間試験の問題を作らなくてはいけないという憂鬱はちょっと忘れて、排ガスの臭いのない新鮮な空気をたっぷりと堪能してきたのでした。
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